2024年10月14日 (月)

洗濯日和 久しぶりに袋麺マルタイ棒ラーメン食しました 美味しかった

 連休最終日、恩納村の天候は安定しています。洗濯日和、干し物ラックを2個使って干しています。作業用ズボンやバスタオルも洗いました。連休明けは、金曜日まで早朝から仕事が待っているのでした。

 久しぶりにマルタイの棒ラーメン(二人前)を購入しました。かつて博多で長期間仕事をしていた時にお世話になりました。仕事先の社員寮での生活。レストランのシェフにマルタイの棒ラーメンの美味しい作り方を教わりました。

 それは鍋に水を入れて、そこに煮干しを入れます。煮干しは水の状態から浸けておくと美味しい出汁が取れるとのことでした。煮干しが柔らかくなる頃に煮炊きします。お湯が沸いたら棒ラーメンを入れます。自分の場合は。標準的に3分で火を止めてスープの素とセットになっている油を入れて完成です。以来、30年が経過しましたが、袋麺の中でも、選んでいます。

 最近の袋麺では、ディスカウントショップにて1個ずつ買ったものがあります。それは北海道で販売されているラーメン(醤油、味噌)だった。売り場には1個ずつしかなかったので、即買いしました。この袋麺は、煮炊きする時間が4分だった。食感は、生ラーメンそのものだった。別な日に、売り場に行ったら商品構成が違っていた。その袋麺はなかった。

 現在の居候さんはマルタイの棒ラーメンは知っていました。以前の居候さんは知らなかった。同じ福岡県の出身なのに驚きました。有名なマルタイを知らないってびっくりでした。

 ラーメン屋さんには、月に一回位食べに行きます。沖縄本島でもラーメン屋が増えました。30年位前は、ラーメン屋さんを探すのに苦労したことを覚えています。東京ラーメン、醤油味のラーメンが無性に食べたくなったことがありました。

 あとは沖縄そば系の思い出。40年位前に西表で食べた八重山そばの味、今でも覚えています。ヘルパーさんが昼食に作ってくれました。ラーメンに勝ると思っています。

| | コメント (0)

2024年10月13日 (日)

爽やかな季節が到来 そろそろ修学旅行でのスノーケリング需要が増える季節でもあります。

 連休中日、今日も恩納村では天候が安定しています。東風は弱く吹いています。湿度は55%位で爽やかです。昼過ぎには気温が30℃近くまで上がる予報になっています。今夜、恩納村では大花火大会です。短時間に2,000発上げる予定です。

 ようやく秋晴れの爽やかな季節になりました。10月中旬までは愚図ついた天候でしたが、ここに来て湿度が50~60%前後と乾燥した空気になっています。また、朝晩の気温がめっきり肌寒く感じるようになりました。当分、天候が安定してくれるとありがたいのでした。

 秋口になると恩納村でのダイビングサービスの客層が変化します。8月は家族連れが多かった。9月にはいると大学生が大多数を占めるようになりました。さて、10月は、連休までは家族連れに大学生でした。連休前後から夏休みが終わり学校で新学期が始まっているのでした。

 これからは修学旅行シーズンが始まるのでした。12月初旬まで修学旅行が多くなりますね。最近はスノーケリングのリクエストが多くなっています。スクーバでの体験ダイビングはコスト高になっているようだ。11月下旬から12月初旬には高校生のスクーバ講習があります。医療用酸素とAEDを貸し出すのでした。今年は、どうなるかな。

 フリーランスのインストラクターには、12月初旬までは修学旅行での指導員募集の連絡が行き交うのでした。新型コロナ感染症が流行して以来、フリーランスのインストラクターの数が少なくなっているのでした。そのために重複しての依頼となることがあるようでした。俗に言うダブルブッキング状態なのでした。その場合は、時間差で対応することもあった。経験者から聞きました。

 そろそろ11月から12月はダイビング業界ではあスタッフの退職の話がチラホラ聞こえ始める時期でもあります。11月末や12月末で退職するパターンが多いかな。若手のスタッフの退職が多くなっていますね。20代後半から30代前後のスタッフの離職率が高くなっています。

 若手のスタッフの補充については、なかなか確保することが難しくなっています。

| | コメント (0)

2024年10月12日 (土)

那覇と恩納村でも秋のお祭り 連休中は資料作成です。

 1964年に開催された東京オリンピックを記念して体育の日として祝祭日となった。連休の初日、天候は安定しています。風は北東から弱く吹いています。終日、天候は安定するとのことです。明日の日曜日に開催される那覇の大綱挽が予定されています。今日の那覇の58号線は、大綱挽の準備が始まっているのだろう。

 恩納村でもお祭りがあります。恩納漁港広場にて「うんな祭」が開催され、夜には大花火大会が催されるのでした。前兼久からは見えないが、遠くで花火の音が聞こえるのでした。

 この連休中は、週明けに実施される海洋実習でのトレーニング内容の検討します。また、先々週に実施したトレーニング内容を精査して提出用の資料を作る予定でいます。仕事の仕上げとして次の実習に備えるための報告書作成も考えています。二年後の実習では、学校側の担当者が新規の方に変わるのでした。

 消防学校での水難救助研修は、残念ながら一年おきの開催なのでした。当初から一年おきから毎年開催できるようにお願いはしているのですが、他の研修も複数あるので一年おきの実施しかできないようでした。

 課題としては、新規の水難救助隊員教育とは別に水難救助隊隊長クラスのトレーニングを実施したいのでした。これについて4年位前から学校側に提案しています。消防署での業務が複雑化しているので水難救助隊自体の署内での訓練時間が少なくなっている現実があるのでした。

 隊員自体の訓練時間が厳しくなっていることで隊長になっても訓練がままならい状態だと現場から声があるのでした。一般隊員とは違って現場での指揮命令を下すことになるのでした。現場での判断が重要になります。指揮命令に迷いがあってはならないのでした。そのために隊長向けの訓練が必要となるのでした。

 現役の隊長クラスと話す機会があるのですが、年々訓練時間の確保が難しくなっていることが分かりました。

| | コメント (0)

2024年10月11日 (金)

座学が終了しました。次週から実践活動です。

 久しぶりのピーカンな天候です。太陽サンサン状態、サングラフは濃い目を選んだ。午前中は消防学校にて最終の座学でした。09:00~11:50まで3コマでした。昼食は学生さんと一緒に食堂に準備してもらいました。水難救助課程と救急科の学生、それに午後からの実技を担当する現役隊員も一緒に昼食でした。

 昼食はチャーハン、スープ、イカリング、メンチカツ、ツナとほうれん草、人参の和え物、それにゼリーでした。チャーハンは、具沢山で、美味しかった。ただし、チャーハンの盛りは、20代30代の若い隊員向けだった。でも、完食しました。メインはチャーハンだったと思っています。ピラフではないと思っています。美味しかった。今日で消防学校での自分が担当する座学は終わりました。

 連休明けから実践活動として海洋実習が始まります。自分等はプールでの基礎的な潜水技量を指導しました。今週は現場の水難救助隊が学生を指導しています。内容は現場での実践している捜索技術や救助法を指導しています。16日から実際の海洋での捜索救助活動を分隊単位で実践します。想定された時間内に目的が達成できることを願っています。分隊単位での活動となります。

 自分等は、水中での分隊の動きを確認しながら捜索活動が安全に実行されているかの監視役を仰せつかっています。私は、捜索活動全体の安全管理役です。全体の流れの中では、これまでの捜索海域とは潜水環境にゆとりが出るように透明度が安定している海域を選びました。前回までは透明度が限りなくゼロに近い状態でした。

 透明度が極端に悪い場合は、捜索活動を中止することもあります。それに近い状況でした。新しい水中環境を模索している時に実施に訓練海域として使用している水難救助隊に確認して、紹介してもらいました。

 全体を把握することが可能な海域になったので、捜索活動もスムーズにできると覆います。

| | コメント (0)

2024年10月10日 (木)

10・10あれこれ スノーケリングの事故が続きます。

 沖縄では10・10空襲は「じゅう・じゅう くうしゅう」と表現されています。語呂合わせでは「じゅう・じゅう」という擬音をもじって、鉄板の上で焼く音でお好み焼きの日や焼き肉の日でもあるようです。

 昭和19(1944)年10月10日は南西諸島、琉球列島から奄美群島までの島々にアメリカの機動部隊から発進した航空機1,081機の大編隊が襲来した。沖縄本島をはじめ各島々も甚大な損害を受けた。とくに民間地域では焼夷弾が初めて使用されたことが判っています。のちの日本本土空襲の際に投下した焼夷弾の威力を試した。木造家屋を攻撃するのは最適な兵器だった。

 翌年の1945年4月1日の沖縄本島への侵攻となりました。10月の空襲で沖縄本島全域の航空写真を撮影して、その後沖縄本島上陸作戦のための資料となったことも判っています。

 昭和39(1964)年10月10日は、東京にてオリンピックが開催された日でもあります。自分等の世代では10月10日はオリンピック開催、そして10月10日はオリンピック開催を記念して体育の日として祝祭日となりました。10月10日前後は連休で、ダイビング業界では繁忙期でもありました。今年は天候が安定しているようです。

 何故か、8月から韓国から来沖してスノーケリングを楽しんでいた方々が相次いで亡くなっているのでした。本部町の備瀬海岸、宮古島では立て続けに二件、合計三名の方が亡くなっているのでした。

 スノーケリングでの事故では、二件はノーパニック症候状態で発見されている。今日の宮古島では、ライフセイバーに救助を求めた状態だったことが判明している。スノーケリングでは単独で行動しているので、何故、事故に至ったかは判らないのでした。ともにライフジャケットは未装着だったことは判っているのでした。

 ダイビング関係も、とりわけスノーケリングでの事故については、なかなか事故に至る過程を調べて原因が判明することは難しいのでした。年齢、性別、経験、体調等の諸条件を推察するしかないのでした。

| | コメント (0)

«久しぶりの外食 身近な沖縄そば、1000円を超えた