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2005年12月31日 (土)

2005年も無事故で潜り納めすることができました。

2005年も残り数時間だ。本日は今年最後の潜りでした。2005年も無事故でダイビングが完了したことでホッとしています。年の切り替えでメリハリをつけています。来年でインストラクターになって30年の節目を迎えます。今年初めてなのですが、のんびりとしたお正月を向かえようとしています。

 年末年始の潜りについては、ここ数年はお天気に恵まれていません。今夜から日本海側では大雪が降るとの警報だ。こうなると海も荒れるのでした。本日の沖縄本島の天気は東風だった。場所によっては南東の風も吹いたとの記録が残っています。午前零時前にナイトダイビングでエントリー、零時に花火の打ち上げを浮上して海面で眺めるなんてこと。一回だけ開催することができました。オーバーナイトダイビング、久しぶりにチャレンジしたいって考えてます。ただ例年になく寒いので暖かくなってからの企画になりそうだ。

 プラス思考で前向きに前進!!

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2005年12月31日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 16℃ 21~22℃ 12m
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2005年最後のダイビングでした。天気予報とは違って雨足が強くなった。風も強くなりました。体験ダイビング(潜降と浮上)の助っ人でした。約3週間ぶりの潜りでした。
水底では北寄りにリップルマークが形成されていた。深度7~10mの砂地にあるユビエダハマサンゴの周辺がリップルマークは深かった。12月は海が荒れることが多く、荒れ方が凄かったことを意味するのでした。
無事に全員潜降、餌付けポイントに移動も完了したので、体験組と分かれて深場に移動。トウアカクマノミまで移動、深場の砂地にもリップルマークが出来ていた。トウアカクマノミは産卵が終わったのか、一時は代替わりするかなって心配していたが、体表面もきれいに回復していた。イソギンチャクの脇には素焼きの破片が2つあった。産卵しやすいようにセットしてくれたようだ。
ハマクマノミやハナビラクマノミ、セジロ、カクレクマノミは健在だった。ユビエダハマサンゴについては全体的に活力が乏しい感じがしているのでした。ちょっとだけ心配なのでした。
2005年も無事故で潜り終わった。2006年も安全潜水に留意して潜りたい。

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2005年12月30日 (金)

お正月用品の買い出しだぁ

2005年も残すところ2日だけとなりました。すでに多くの方々は年末年始の恒例行事の民族の大移動中は、それとも寝正月だぁって決め込んで、ビデオ屋さんに行っていますかね。沖縄本島では小雨がパラパラ状態です。路面も濡れない程度のギリギリの雨。気温は20℃くらいだ。蒸し暑いって感じになっています。
 沖縄本島ではスーパーマーケットの駐車場が大混雑となっています。大きな地域ではガードマンがいて交通整理をしているようだ。小さなスーパーでは、駐車場の整理には誰もいない。駐車場が満杯の場合は、路上駐車が当たり前だ。車線が片側一車線の対面通行する一般道では、確実に渋滞になっているのでした。もう少し路肩に止めて欲しいと思うのだが。いつもの夕方の食材買出し時間帯は、確実に混むのでした。レジも総動員状態のようだ。普段よりも買い物の量が多いようだ。スーパーの買い物袋に詰めながらのレジ打ちしているので時間がかかると思うのだ。過剰包装しなくてもいいと思うし、マイバック持参で詰め込んでもらえればいいと思うが、丁寧に丁寧に袋詰め作業となるのでした。まあしょうがないかぁ。
 ホテル駐車場では”わ”ナンバーが占領している。コンビ二内でも”お国なまり”が懐かしいではないが、様々なお国言葉が飛び交うのでした。

 本日は、深夜にお正月用品の買出しにでるかな。さすがに夜中は、レジは大混雑ではないのでした。広告チラシの点検だぁ。

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2005年12月29日 (木)

今日も雨だった。

事務所前の58号線、交通量がちょっとだけ増えた。”わ”ナンバーが多いかな。雨降りだったので、ちょっとだけ心配な音が聞えるのでした。それは路面が濡れているために”ツルツルタイヤ”のブレーキを作動させたときの滑っている音なのでした。続きに”ドーン”とか”ガーン”とか”ガリガリ、バリバリ”って衝撃音は聞えないのでした。とりあえず滑っているが追突事故には到っていないのでした。年末年始、お酒がつきものの事故が増えてほしくないものでした。酒酔い運転日本一の沖縄なのでした。
 夜、雨が降り続いています。渇水対策に役立つような雨量ではないが、ちょっとだけ夜の国道は静かなのでした。さすがに雨が降っているために気温も、下がるバイク族も寒いのだろう。事務所前では深夜の騒音は少ないのでした。
 山形での列車事故での行方不明になっているのではということで捜索が再開されたが、当人が名乗り出たとの報道があった。でも、事故現場では、行政の縦割り縄張り争いがあったとも漏れ出てきているのでした。一義的には消防関係が担当しているが、警察関係も捜索救助活動に当っている。警察からは行方不明者の情報が消防に伝わっていないかったようで、一旦は消防は捜索救助活動を停止した。これは現実的にあることだ。自分も経験していることだ。水辺活動での行方不明者の捜索時、警察・消防・海保と三つの公的な機関が捜索活動を行う。自分等も民間として参加するが、事故者の情報として(いつ、どこで、だれが、どのように、どうなったか等)伝わって来難いのでした。捜索現場で二重三重の手間がかかってしまう。これは当たり前のようだ。改善の気配はない。”我がほうが先に発見しました”って言いたいのだろう。
 2006年は安全・安心を充実させたいと考えてます。

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2005年12月28日 (水)

伊豆の水温は14℃って

さあ民族の大移動が始まった。官公庁は、本日より1月4日までの年末年始のお休みに突入だ。目の前にそびえる高層ホテルだが、午後6時前は真っ暗だった。午後7時過ぎに見上げると8割が点灯していた。コンビ二も旅行者で溢れていました。恒例行事の始まりだ。さあお天気は如何なことになるかな。

 伊豆のダイビングサービスとの会話。水温が12月なのに14℃とのことだ。黒潮が沿岸部よりも沖を流れているのだろうか。それに大雪のお陰かな。何か珍しいサカナでも見ることが出来るのだろうか。例年だと水温は18℃くらいなのだが、太平洋でも異変が起きているようだ。沖縄は22℃くらいだ。潜ったあとは寒いのでした。ドライスーツだらけだと思う。
 沖縄でもドライスーツのお客様が増えている。でも、ドライスーツにアルミタンクのセットはお客さんが可愛そうだ。大量のウエイトベルトを腰に巻き、足首にはアンクルウエイトをつけて潜る羽目。せめてスチールタンクに変えてあげるだけでウエイト量はすっきりと減らすことができるのに。一説によるとタンクの素材はアルミだけと刷り込み現象を起こしている単細胞なガイドさんが沢山いるってことらしい。お勉強してくださいねぇ。アルミとスチールの二種類あるのでした。

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2005年12月27日 (火)

安全・安心はいつになったら確立できるのかなぁ。

お天気は下さり坂の模様だ。明日は沖縄本島では雨降りとの予想だ。年末年始の民族の大移動が始まるのかな。まだかな。会社関係は、28日か29日からお休みになるのかな。で、1月4日までの長期休暇なのだろう。気付くのが遅かったが、テレビ番組は既に12月26日からお休みモードに突入していたのでした。これも時代の流れなのだろうか。
 耐震強度偽装事件ですが、その後の調査で耐震強度不足の建物、とくにホテル関係で新たに発覚しているのだ。どこまで広がるのだろうか。それに政治家、与党の議員さんの証人喚問は見送られたとのことだが、疑獄事件の臭いがプーンと漂い始めた。でも与党の数が絶対過半数以上、衆参両院で占めているから野党からの与党議員の証人喚問問題は拒否されるのは当たり前だ。最終的には捜査陣の力次第になるのだろう。
 山形での列車転覆事故では、一旦捜索救助活動は終了したとの宣言が出されたが、その後行方不明者がいることが判った。見えるところだけの捜索だったのか。また列車に何人乗っていたかについては正確な数は不明なのでした。安全・安心が根底から崩れた2005年を象徴する事柄が続いたのでした。

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2005年12月26日 (月)

またもや寒くなる気配・・・・

ちょっとだけ穏やかな1日半でしたが、午後から北風が吹き始めました。気象図は、バッチリ縦じま、おまけに境界線が細くなっているのでした。あぁぁぁまたまた冷たい風が強く吹く兆しです。
 年の瀬、新聞広告はクリスマスからお正月用品の広告へと様変わり、お正月のご馳走として各種オードブルやお鮨のセットが目白押し。さあ、今年の年末年始のご馳走は、何にしようかな。定番を注文するかな。スーパーの広告を見るだけでも涎がタップリと出てきそうだ。

 昨晩はクリスマスだったが、スーパーに買出しに出たが、夕食時だったがガランとしていた。近くの居酒屋さんもガランとしていた。人の動きが変わったのだろうか。普段の賑わいはどこへやらだ。レストランは予約で一杯だったというお話でした。例年の如く、交通取締りがあるが、相変わらず飲酒運転での逮捕者が多い。酒酔い運転の巻き添えはご勘弁願いたいものだ。
 悲惨な列車事故が起きた。吹雪の中での列車転覆事故、多数の死傷者が出ている。救助活動が懸命に行われているが、4名の方が亡くなったとのことでした。雪国での長距離列車、降雪のために定時運航が厳しい状況にあります。遅れを取り戻すために急いだ、それが原因での事故でないことを願うのみだ。強風が吹いている中での転覆事故、横殴りの雪模様の中での救出活動。年末年始の民族大移動の時節だが、安全安心での運航をお願いしたいのでした。

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2005年12月25日 (日)

カボチャの煮っ転がしぃぃぃ

あぁぁぁはぁぁ、とため息混じりの吐息が出てしまった。カボチャの煮物を作ったが、失敗の巻でした。カボチャを食べ易い大きさにカット、鍋にはお水と昆布だし(インスタントの顆粒:4g)を1袋、それに種無しのプルーンを一袋投入。グツグツ煮こんだ。約10分くらい、あとは保温すべく専用のサーモケースにいれた。3時間後にあれぇっぇぇぇぇぇ。水の分量を間違えたようだ。カボチャが煮汁にプカプカユラユラと泳いでいるのでした。
 本来ならば落し蓋でもして水分を飛ばすように煮詰めるべきだったのだろう。グツグツ煮込む時間が勿体ないと思い、使い慣れた保温調理具を使ったのでした。最初から水分量を少なめにして置けばよかったかなと反省している次第でした。なお、味付けは昆布だし以外に既製品のすき焼きタレを大さじ3杯、三温糖を小さじ2杯だった。量は適当ですよ。でも出来上がったお味は、バッチリでした。ある程度、カボチャに味が染みたら、煮汁を取って、軽く煮詰める作業をすればよかったのかな。
 一応、保存食としてカボチャの煮込み、というか煮っ転がしプルーンを一緒に煮込む味は大好きなのでした。前はねぇガラスの耐熱容器にカボチャ、水、昆布だし、すき焼きのタレ、お砂糖で合計で10分くらいチンしたが、最後に作った時に水分が足りなかったのだろうか、カボチャが硬かった。カボチャ全体に水分で浸るくらいにすればよかったのだろうか。それとも何回かに分けて、電子レンジを止めて、煮汁に満遍なくカボチャを浸す努力を怠ったためだろうか。そんな反省から煮汁タップリで煮込んだが、保温作業を中断して煮込べよかったようだ。次回にチャレンジ。
 年末年始はスーパーが製造販売しているオードブルで過ごす予定だ。

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2005年12月24日 (土)

ホワイトクリスマスかな

クリスマスイブだぁ。クリスマス商戦真っ盛りだ。新聞のチラシもクリスマスバーゲン。クリスマス用のオードブルセット&お鮨やチッキンだぁ。広告を見ているだけでも生唾ゴックン!!
 目の毒、気の毒状態。B級グルメ廃業宣言をしてしまったので、ただただ眺めるだけなのでした。あとは年末年始に向けての大売出しが続くのでした。ジミーのケーキでも買いたいなぁと思うのでした。(地元話題でした)
 内地の多くがホワイトクリスマスなのだろう。あまりにも大量に降りすぎた感はありますが、とりあえずホワイトクリスマス万歳ってかぁ。本来は、クリスマスはキリスト教の流れで派生している行事のはずだが、何故かマスコミは朝からクリスマス話題満載だ。沖縄本島でも家々に電飾モールでクリスマスイルミネーションを点灯している。先日、ニュースで放送されたお家、見物客が殺到して周辺住民の生活に支障が出ているとのことだ。電力の無駄遣いだって声高には叫べないね。車で殺到で交通渋滞、おしゃべり、談笑、ゴミ放置状態なのだろう。想像できるのでした。
 昨日、ようやくパソコンを使っての年賀状作成が完了した。初めて住所を印刷することができた。これまではつたない文字で申し訳なかったのですが、手書きで書いていました。今回からプリンターにて処理させてもらいました。

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2005年12月23日 (金)

今年最後の連休でした。

沖縄本島は渇水状態。来年の2月か3月にはダムに貯水されている水はゼロになるということだ。本州では20年ぶりの大寒波の襲来。積雪2mを越える勢いだ。12月中旬から下旬なのにすごい降雪量だ。雪の塊を沖縄に運んで、ダムに放り込んでしまいたい。寒さだけは内地並みだった。
 世の中は年末の慌しい動きなのだが、沖縄でも米軍基地の再編成の動きが垣間見れた。辺野古沖に建設予定とされた普天間代替施設だが、現場での調査活動を仕切っている海中作業会社は撤退の方向のようだ。さぁ一気に全国区に向けての米軍基地の規模縮小のアピールって。

 ガァーン、その矢先に耐震建設偽装事件が発生。政官界を巻き込んで一大疑獄事件に発展しそうな気配。一挙に国民の目は、沖縄での米軍基地問題なんて、どこえやら。それに、この異常気象のために沖縄の問題は、どこかに行ってしまったのでした。

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2005年12月22日 (木)

暖房器は使わない生活でした。

どこまで寒暖計は下がるのだろうか。風速は10m以上、朝方に那覇では瞬間最大風速は28mを記録したとのことだ。沖縄本島各地では”あられ”が観測されたとも報告されていた。新潟では大雪が降っている最中、広い地域で停電中とのことだ。現代は電気が生活の中で基本となっている。停電ってことは暖房設備も稼動せずということを意味するのだ。
 かつては隙間風って言葉があり、そこから雪が入り込んだことも経験したが、いまは冷暖房の効率化を高めるために密閉型の生活になっている。ガスを使う際は強制的に室内の換気が行われる。調理の際のガス調理器具は強制換気されないと点火できるが、継続的な燃焼はできないのでした。換気扇を回すのにも電気が必要になっているのでし。ストーブも電気が使ってモーターを回して灯油を燃焼させている温風ヒーターが主力。電気こたつ、電気カーペット、お風呂等々、電気供給が当たり前の暖房装置。いきなり炭火って訳にもいかないだろう。
 かつては練炭火鉢、囲炉裏、掘りコタツ、薪ストーブや石炭ストーブ、石油ストーブ等が日常生活の中で使われていたが、オール電化の時代。送電線が雪の重みで切れたのだろうか。

 一桁の気温を記録している沖縄本島でした。寒い!!
 羽毛の寝袋の重ね着は好調です。寒さ知らずの朝までグッスリなのだぁ。 

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2005年12月21日 (水)

やはりお天気は下り坂、大荒れになった。二日連続で北部に行きました。昨日は風光明媚な風景を堪能できましたが、本日は雨降り、ガスで見通しが悪い中の移動でした。自然現象だから仕方がないですね。
 さてさて年末、修正された気象庁の長期予報では、寒さは1月中旬まで続きそう。温暖傾向だよとのご請託はぶっ飛んでしまった。防寒対策は真剣に考えなければなりません。

 昨晩は羽毛の寝袋を布団の上に広げた。あれジッパーの位置がおかしいゾ!!
あれぇ壊れているではないか。あぁぁぁぁ忘れていたぁ。ジッパーが根元から壊れているのでした。しまった忘れていたぁのだぁ。何回かジッパーの位置を合わせるのだが、先端から解けていくのでした。直すのを忘れていたのでした。昨晩は寝袋を二枚重ねた。内側に羽毛の寝袋、そして外側にキルティングのジッパーが壊れていない封筒型の寝袋だった。ツルツルしている生地、重ね着して寝るのも限界があるために寝袋を二重にしたのでした。ベッドの上はキャンプ生活そのものだった。お陰で風邪を引かなくて済みそうだ。ウガイも忘れずに!!真水でのウガイで大丈夫とのことだ。この冬場は水でのウガイを励行しよう。
 まあ形あるものは、いつかは壊れる。の如くなのだ。寝袋みたいに長いジッパーを修理してくれるのはテント屋さんかな。軽量で暖かい布団類が販売されているが、学生時代から使っている寝袋は捨てがたいのでした。

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2005年12月20日 (火)

耐震データ偽装疑惑の今後の展開は?

昨日までの冷凍庫状態から一転、ポカポカ陽気なのだ。朝から朝日がまぶしく、上空の空は真っ青。夜間に放射冷却が懸念される天気になりました。でも、明日から三回目の寒波襲来との予報だ。羽毛の冬用の寝袋を用意します。マイナス40℃以下のシベリア直行の強烈な寒気だというのだ。
 ようやく耐震データ偽装疑惑解明のために警察が動き出した。警視庁と千葉・神奈川の県警との合同捜査となった。国会での証人喚問はなくなった。建築基準法違反での立件は微罪でしかないので、詐欺罪での立件を考えているのだろうか。国会での証人喚問での茶番劇を見せられているよりもベターな方法なのだろう。
 いずれにしても真顔で嘘をついているようにしか思えない。かつてのロッキード事件のときのように証人の豹変振りをテレビ中継で見た峻烈な記憶が蘇ってくるのでした。政治家が小粒になったというか、議員調査権を行使して、しっかりと調べ上げての証人喚問、もう期待できないようだ。国会議員の歳費の見直しをすべきかもね。
 あれこれ一年間を振り返るニュース番組が月曜日からスタートしたが、師走の”先生も走りまわる忙しさ”の表現通り、国会議員の先生方にとっては、どんな年の瀬なのだろうか。それに偽装疑惑での浮上してきた関係者の処遇は、どうなるのだろうか。逮捕されるのかな、それとも任意での事情聴取ということになるのだろうか。
 2005年もあと残り12日かぁ。

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2005年12月19日 (月)

重装備の正体は、着膨れだった。

久しぶりに太陽がキラキラと輝き、風は弱まった。太平洋側に来るとポカポカ陽気、昨日までの膚を刺すような寒さはどっかへと消えたようだ。昨晩は、重装備にて身の回りを固めて寝た。朝までグッスリ眠れた。重装備って、はいフリースの二枚重ね着アンドMA-1ジャンパー、靴下、キルティングのオーバーズボンを履いた。寝袋に潜り込んで寝た。寒さで早朝に起きることもなく、グッスリでした。
 今回は厳冬期用の羽毛の寝袋までは使わなかった。3シーズン用の薄手の寝袋だった。表面がツルツルしているために上にかけていた毛布がズレていた。寝袋だけで寒かった。寝袋の中に毛布を入れて、それに包まっていれば暖かかったかな。風邪を引かないように注意したい。鼻の粘膜が乾燥しているのでした。
 鼻の粘膜が乾燥、もしかして風邪の前兆かなって。

 犬じゃあるまいし、鼻の粘膜については乾燥することで抵抗力が低下する。粘膜は濡れていることで外部から押し寄せる雑菌類から生体を防御してくれるシステムの第一関門と理解しているので、要注意の段階かなって。今年は身体的には厳しい状況が続いているために、少しでもリスクを減らすことを考えねばならないのでした。皆さんは連日の忘年会疲れ、大丈夫ですかぁ。健康が第一ですよ。

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2005年12月18日 (日)

冷凍庫内生活二日目だ。

今日も寒い一日だった。沖縄本島の北部では最低気温が10℃を切ったとのことだ。ブルブル寒いのでした。 吹いている風も2月の極寒のときの冷たさなのだ。暖冬傾向ですよとの予報だったが・・・・・。寒~い。
 最近、民間航空機での機体のトラブルが多数報告されている。エンジントラブル、計器の不具合、操縦系統の不具合等々、様々だ。メインエンジンの中心部の軸が錆で劣化、高速回転に負けて折れたという事故、当然、エンジン自体が爆発したように壊れる。これは滑走路上での事故だったので、墜落事故には到らなかった。この機体はB777でボーイング社では新しい機体だ。機体の問題ではなく、エンジンを製造する段階でのミスがエンジンの中心部の軸を腐食させたということだ。これは怖い。定期検査では発見することができない致命的事柄に分類されるものだ。エンジンを完全にオーバーホールして部品一個一個を非破壊検査でもしなければ分からない事案のようだ。国内の航空会社の主要な機体なのでした。
 とりあえずエンジン二基の機体では、最悪の状態、つまりエンジンが停止しても飛ぶことができるように設計されている。単発エンジンよりは二基の双発エンジン、二基よりは3基、3基よりも4基となるが、燃料の消費が多くなるために最近では双発の機体がメインになった。
 航空機事故は、一旦起きると大きな被害が発生する。観光産業に携わっていると一回の航空機墜落事故が発生すると観光客の出足に影響を与えることがあります。
 ダイビングでも小さなトラブルの積み重ねが、改善されなかったり、見過ごされたことが事故につながることがある。あるいは当事者、つまりダイビングのガイドさんが気付いていないこともあるのでした。
 航空業界では、事故隠しはないはず。でもダイビング界では、ガイドの恥じになるというので外部に漏れることはない。事故が発生すると、何故事故が起きたのかって。まあ当然だが、同じ内容での事故が続くってのは、根本的なところに原因が潜んでいるからなのだろう。人為的なミスってやつだ。注意しなければ!!

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2005年12月17日 (土)

今日、明日は冷凍庫になるかなぁ。

先日の独り言の訂正をしたいくらい寒いのでした。日本海側では、これから明日にかけて大雪警報が発令されている。今日以上に寒くなることが予想されているのだろう。冷蔵庫ではなく冷凍庫に頭を突っ込んだ感じの寒さなのだぁ。
 この異常寒波の襲来で、日本海の漁師さんが困っているとのことだ。それは海が荒れているために出漁することができないとのこと。その漁獲の対象は、カニさんとのこと。観光客がどっと冬の味覚の代表選手であるカニ目当てに観光地に繰り出すのだが、肝心のカニさんが獲ることができないのでした。長期間冷凍にしたものを解凍すればと思うが、1年間の冷凍保存でも冷凍ヤケというか、商品が劣化するようだ。せっかく解凍しても新鮮な獲りたてのカニに比べると雲泥の差となるようだ。自分には味の見分けはできないだろうな。ここ沖縄ではスーパーの魚介類の販売コーナーの冷凍品を陳列している部分にロールイカや冷凍魚の切り身、冷凍えび、貝類等と一緒に展示されているのでした。年一回くらいしか食することがないのでした。かつて伊豆半島で仕事をしていた時代は、しょっちゅう食べる機会があったのでした。
 沖縄のスーパーでも鮮魚売り場でも、海が時化ているために獲りたてのサカナの数が激減しているのでした。周囲を海に囲まれた沖縄ですが、サカナよりは肉類を購入することが多いようだ。サカナの高級商材については、売り場では売れ残り割合が高いのでした。連日ではないが、しょっちゅうスーパーに行くと売り場をチェックすると、売れないで陳列棚にならんだままが多いのでした。世界中の海の名前が印刷された値札が気になるのでした。地元産ではないのでした。アフリカ産も珍しくないのでした。さあ夕食のおかずは何にするかな。冷凍庫にストックしてある冷凍食品を引っ張り出すかな。
 寒さで買い物に行くのも躊躇してしまうのでした。寒いのでした。

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2005年12月16日 (金)

今日から寝袋用意だぁ

私の生まれは新潟です。大雪が降り続いているとのニュース。昭和38年(1963年)の”サンパチ豪雪”の記憶が蘇ってくるのでした。2005年だが、20年前1985年、その20年前が1965年。大雑把かもしれないが、20年周期くらいでの大寒波、大雪の到来なのだろうか。現在、自分が生活している沖縄本島、ここ何日間は”メチャクチャ寒い”のである。寝具が薄い夏用しかないためだろうか朝方にオシッコで眼が醒めてしまうのでした。それも午前5時とか6時とか、絶対に目覚めることがない時間帯に尿意を催して起きてしまうのでした。あれぇ「お年のせいでは?」ってかな。今日からキャンプ生活のように寝袋を用意しよう。
 ダイビングの話題、ちょっと海況がゼッ不調だ。北西寄りの風が吹いているので西海岸では手も足も出せないのでした。まあ冬場の潜りとしては防寒対策、しっかりと対応しないと風邪の餌食になってしまうのだ。インフルエンザにでも罹患したらアウトだ。猫はコタツで丸くなるぅ状態にならないように。身体を動かします。エネルギー代謝を真剣に考えます。

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2005年12月15日 (木)

今日も寒い。

本州では積雪があっという間に2mに迫ろうとしている地域まで出現。12月半ばの降雪量としては観測史上、初めてのこと。長期予報では温暖な冬だよってことでしたが、温暖の気候のはずの沖縄本島でも外気温が14℃くらいと寒いのでした。おまけに吹き付ける北風は、手袋が欲しくなる冷たさだ。この時期、除雪に伴う転落事故の報に接することが多くなるのでした。
 寒い寒いばかり言っていてもしょうがない。動かねばならない。寒いと言って猫同然にコタツで丸くなっていてもダメですね。犬のように元気に動き廻らねばと思うのだが、寒いとポケットに手を突っ込んでしまうのでした。歩きは早足にしている。歩幅はやや大きく開いて歩くようにしている。早歩きすることで体温もホンワカしてくるのでした。自然のエネルギーを燃焼させているからだ。とりあえず内臓脂肪を燃焼させたいと思っているのですが、そんなに甘くないかな。寒さを逆手にとって健康のために燃焼させる算段なのだぁ。
 12月は修学旅行シーズンたけなわ。参加者にとっては沖縄は暖かいってイメージで来ると思うが、空港を出た途端に吹き付ける風は、ブルブルになってしまうのでした。でも、内地も10℃以下の気温になっているので、それなりの服装で来沖するとは思うが、「以外に沖縄は寒いって」感想が聞えてくるのでした。夕刊に出ていた本日の気温、何と最低気温は奥で10.2℃、渡嘉敷では10.9℃を記録したとのことだ。

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2005年12月14日 (水)

証人喚問見ましたかぁ。

外気温が15℃だが、体感温は10℃以下のように感じてしまうのでした。寒い。明日も続くようだ。風邪を引かないように注意しなければ。
 実は長袖のワークシャツは一枚しかもっていないのだ。半袖のポロシャツかTシャツしかないのでした。まだ衣替えができていないのでした。先日夏のかりゆしウェアーを洗濯に出したばかりだ。半袖のシャツにフリース一枚の格好、昨年までは平気だった。が、今年は異変が、寒いのでした。内地では大量の積雪を記録しているようだ。まだ12月だというのに本格的な積雪を記録しているのでした。
 今年は喪中の連絡が多いのでした。すでに20枚くらいの喪中の挨拶状が届くのでした。本日も二通が郵便受けに入っていた。例年の倍以上の数だ。ちょっと驚いているのでした。
 本日は午前中からテレビ中継に釘付けではありませんでしたか。耐震偽造事件の当事者の国会証人喚問だった。国会議員が質問するが、何か裏で政治的な決着がついているかのような気配を感じるのでした。証人の落ち着き度合いを見ると勘ぐりたくなるような感じなのだ。疑いすぎかな。自民党は積極的に証人喚問する気概がないようにも受け取れるのでした。
 建設業界は、規制と緩和のさじ加減が微妙になると献金額が増えるのだろうか。天下り天国の日本、官僚が国を滅ぼすって本当なのだろう。国会での証人喚問中継を見て感じた。何かぁ変だなぁって。

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2005年12月13日 (火)

少しづつトレーニングしてますよ。

沖縄本島は冷蔵庫状態になった。寒いのでした。世界的にも寒いようだ。北半球が北極からの強い寒気団の影響をモロに受けているようだ。風邪を引かないようにしなければ。本日は午前6時前に眼が醒めたのだ。何でだろうって考えたが、結論は寒いの一言だった。
 当分、この寒さは続くのだ。気象配置図はバッチリと等圧線が縦線になっているのでした。典型的な冬型なのでした。

 私毎ですが、つくづく体力トレーニングの重要さを痛感した年はありませんでした。4月に10年ぶりに腰に違和感を感じて以来、2ヶ月はじっと我慢の状態が続いた。左右の背筋のバランスを整えるのにてこづった。あとは加齢現象のために内臓機能、消化機能が低下した。自覚症状としては昨年の10月末に感じた。医者にて精密検査を受けた。とりあえず消化機能が低下しているとの確定診断があった。乳酸系統の消化剤が処方された。離島での生活が続くので、一ヶ月分の薬を処方してもらった。当然、食も細めるように注意した。
 B級グルメも返上したよ。何て!!

 午後11時過ぎから早歩きを始めた。夜になるとさすがに58号線を通る車も減るのでした。排ガスの影響が少なくなる時間なのでした。それ以上遅くなると寝不足になるのでした。心拍数は50~60くらいなので、それが100くらいになるまで強度を上げています。少しづつトレーニングしているのでした。

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2005年12月12日 (月)

中型ヘリが決まった。

北寄りの季節風が強く吹いている沖縄本島でした。本日、内地に向けて実習船が出航していきました。艫綱を外しての出航準備。約2日間の航海とのこと。頑張って!!
 海上保安庁が次期の中型ヘリコプターの機種が決まったとのことだ。機体はベル社ではなくフランスのユーロコプター社のユーロコプター式EC225となった。アエロスパシアル式AS332L1、通称スーパーピューマからの発展型だ。中型ヘリという概念が正しいのか、ベル212や412が中型でスーパーピューマは大型ヘリのイメージがあるのでした。対テロ対策として鎮圧部隊と資機材を輸送することができる。この機体から発生するダウンウォッシュについては、212や412の比ではないと言われている。海面の被救助者救助については、ある程度の高度を保って吊上げ救助するのだろうか。これまでに212や412のダウンウォッシュは体験しているが、スーパーピューマ級のダウンウォッシュについては経験したことがないのでした。第十一管区海上保安本部ではベル212と412が配備されているのでした。
 新しく建造されるヘリ甲板付きの巡視船は、これまで以上に利便性を考慮した内容が盛り込まれているようだ。海上保安新聞の紹介記事を読んでいて、あれって飛行甲板に着船しているヘリコプター、よくよく見るとユーロコプターの機影だったのでした。そうだよねぇ、船に降ろす機体の重量を先に考慮しなかれば基本設計はできないよねぇ。

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2005年12月11日 (日)

そして誰もいなくなったぁ

ダイビングサービスのストーブリーグ真っ最中だ。今年の特徴は、ダイビング業界を退職して他業種に就職する事例だ。それまでは自分で独立してダイビングサービスを経営する場合が多かったかな。1980年代や90年代半ばまでのように大きな資本を投下しての新規ダイビングサービスを起こす。そのチーフクラスになる例や、リゾート開発するためにアドバイザー等華やかなデビューが多かった。バブル崩壊とともに下降線を辿る傾向にある業界となったのでした。若者が定着しない業界になったりしてと心配しています。
 一般社会からはダイビング業界は、どのように映っているのだろうか。一見すると華々しく見える業界だが、余暇活動の一環でのダイビング活動になりますので、どうしても景気の動向に大きく影響を受けるのでした。インストラクター1名で水中で対応できる人数に限りがあるために経済的な効率は低下するのでした。それぞれの潜水指導団体がコース基準(規準)で初心者講習の海洋実習ではインストラクター1名に対して受講生8名まで、アシスタント1名を追加した場合、受講生10名までは認めるとなっている。ただし、海況や天候を考慮しなさいとの記述がある。これをどのように解釈するかだ。自分は初心者講習では1名の場合は2バディ、つまり4名にアシスタントを1名で講習を行うと決めている。経営効率から言えば失格なのだろう。でも一人で水中でコントロールできる人数には限界があることを理解しているのでした。無理は禁物だということ。

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2005年12月11日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 曇り 北東 18℃ 23℃ 12m
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海況は北寄りの風、ウネリは北西寄りだった。8日から開始した高校生の上級コース(NAUIマスタースクーバ)の最終ダイビングでした。4日間も前兼久漁港から出航することができた。この時期としては珍しかった。
一回でも真栄田岬にて潜れるように海況を判断したが、昨日よりも大きなウネリが岬に当って砕けるのを確認することができた。リーフ際の水路を移動したが、改めてウネリの影響を再確認したが無理と判断。砂地のブイに船を固定して潜降。学生の一名が圧平衡に時間がかかるので私がマン・ツゥ・マンで対応した。ライン潜降でバルサルバ法にて圧平衡、無事に4mの水底に到着。最終的に水中で本隊に合流した。
久しぶりに気象図から目が離せなかった1週間だった。今回はラッキーだった。17名の学生さんご苦労さん。仕事を手伝ってくれたインストラクター諸氏に感謝します。

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2005年12月10日 (土)

久しぶりの雨降りだった。

あぁぁぁぁぁ雨だぁ。とうとう夕方から本格的に雨が降り出した。一雨毎に気温が下がるのが冬場の雨降りと相場が決まっているが、沖縄では当てはまらないことが多い。20度前後で推移しているのでした。
 愚痴になりますねぇ。それは観光地でありながら全天候型ではないのでした。雨が降ると観光客の動向に変化が生じるのでした。青い空をバックに楽しめる季節は問題ないが、梅雨の時期や秋雨の時期、冬場等では強烈な降雨量ではないが、動きを封じられるのでした。天候によって左右されるのでした。でも、自然環境の中での動きになるので諦めるしかないのかなぁ。
 沖縄本島、座間味島では雨量が少ないために生活用水に限りが出てきているのでした。とくに座間味島では深刻な影響が出ているのでした。隔日断水が断行されているのでした。那覇から水を定期船によって送られている。島では観光客が多くなる時期とも重なっているので、その対応に苦慮しているのでした。蛇口をひねれば水が出てくるなんてのは当たり前の生活のありがたさ、忘れないようにしなければならない。
 今回の雨が、どれだけ渇水地域に恩恵をもたらすか、それは分からない。水は貴重だ。

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2005年12月10日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 曇り 18℃ 23℃ 12m
2本目 ムーンビーチ砂地 曇り 20℃ 23℃ 12m
3本目 ムーンビーチ砂地 曇り 20℃ 23℃ 12m
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海洋実習3日目だ。本日の山場はスキンダイビングでの垂直潜降10mへのチャレンジだ。それにスクーバレスキューでした。午後からは水中地形図の作成とファンダイビングを行いました。東風が3~5mくりの強さがありました。冬のこの時期、いつ北風に変わってもおかしくないのですが、とりあえず少しづつ気象状態が安定して来ているのでした。
スクーバレスキューについては、潜水事故発生の宣言とともに救助者が装備をつけて溺者まで泳いで行くのでした。想定は水没溺者、呼吸停止としている。水面に引き上げて、人工呼吸をしながら船まで曳航、最後は救助補助と一緒に溺者を船に引き上げて容態確認までを自己完結型に行いました。全員フゥフゥ言いながら溺者救助に当っていました。
午後からはコンパスやフィンキック数等を駆使しながら水中地形を記録した。全ての潜水が終わってから海底地形図を作成してもらったが、チーム毎の個性が出ていてユニークな海底地形図が完成した。上手かった。
最後はファンダイビング。今回は8本とも同じ砂地ポイントだったが、それなりに水中活動を楽しんでいた。高校生の海洋実習、体験ダイビングと違って学校でのダイビング講習の集大成のダイビング活動になりました。ご苦労様です。

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2005年12月 9日 (金)

とうとうフードベストも着てしまった。

米軍のヘリコプターが超低空で前兼久漁港近くを通過していった。CH53型だった。何かあってもオートローテーションで不時着できる高度よりは低く感じた。その後、沖合いを対戦車攻撃ヘリコプター、UH-60型も通過した。機体の色は海兵隊用だった。普天間基地を基点に伊江島方面までの往復の飛行訓練だったのかな。それ以外には、空中給油機が2回3回と我々の上空を旋回していった。私は全身オレンジ一色だったので、よい目印になったかな。あっそうだ、午後からフードベストも着て潜ってしまいました。現在の水温は23℃くらい。

当然の如く全身オレンジ一色なのでした。水中で出会ってもビックリしないでねぇ。

書名は「ウンコロコロ」なる本を買ってしまいました。寄藤文平さんと藤田紘一郎さんの共著だ。どんな本かなって。藤田さんと言えば寄生虫の研究者でもありますね。当然の如く「ウンコ」のお話だ。お食事中の方がいましたら、すいませんです。是非とも読んでください。実業之日本社から発売されています。何故か表カバーの下は、ウンコ色かな。それも健康なウンコの色かな。
 何故か、何ヶ月かは本を集中して読むことができなかったのでした。自分の性格だと、読み始めると一気に夜昼関係なく読んでしまうのですが、1~2ページ目を通すだけ、それから先に進まないのでしたが、「ウンコロコロ」は、あっというまに読み終えてしまいました。面白かった。ボケボケなオッサンの頭脳でも読むことができましたよ。

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2005年12月9日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 18℃ 23℃ 12m
2本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 21℃ 23℃ 12m
3本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 20℃ 22~23℃ 12m
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高校生のマスタースクーバ海洋実習2日目。できるだけ潜水本数を稼ぎたいのでした。予定通りに3本潜りました。トレーニング内容は、ディープダイビング、サーチ&リカバリー、ナビゲーションの3つの課題をこなしました。
風が東寄りに変わった。まだ北寄りのウネリが残っているので真栄田岬まで行けなかった。岬には白波が上がっていました。朝一番の課題は、ディープダイビングだった。砂地でもラマダ寄りの深み、30mくらいまで確保することができるのでした。トウアカクマノミでは最大深度が20mしかないのでした。ブリーフィングスレートにマジックで各色を並べて色付けしてラミネートした。水底が泥なので着底時に舞い上がってしまったので、泥の粒子が漂った中で色の変化具合を確認してもらった。ばっちり成功だ。
午後からサーチ&リカバリーとナビゲーションを行いました。リフトバッグ・メジャー・サーチ用のライン等が2個しかないので、交替で使った。学生さんも楽しんでいた。昨日の動きよりも軽快なフットワークだった。午後からは2本連続の潜りとした。船上に熱いお湯を用意したが、熱過ぎたので浴びることができなかった。幸いにも東寄りの風だったこともあり、昨日のようにブルブルって状態ではありませんでした。隣りのブイでは修旅の高校生が体験ダイビングに興じていた。
本日は午後から3mmのフードベストを着用して潜り始めました。全身オレンジ一色です。水中で遭ってもビックリしないでくださいね。

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2005年12月 8日 (木)

2005年12月8日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 北東 17℃ 23℃ 12m
2本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 北東 16℃ 23℃ 12m
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昨日までの大荒れ状態が、少しづつ落ち着きを取り戻した前兼久漁港沖でした。午後から講習でのスクーバ2本潜りでした。若さムンムンの高校生集団だ。お国言葉が飛び交った講習前のブリーフィングでした。
学校教育の中のダイビング実習なので少人数制に徹した講習。生徒数17名にインストラクター自分を含んで7名です。まあ新人さんのインストラクターを1名含み、彼の教育も含んでいます。相乗効果を狙っています。自分は全体を確認するためにフリーに動き回っています。
砂地にガーデンイール、一匹なのですが確認した。15mロープに大きなブイをつけて水中を曳いて泳いでいました。自分のトレーニングも兼ねているのでした。さあがんばるぞ!!

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高校生の海洋実習が始まったぁ

「忘年会だよぉ。」電話口の声は疲れたニュアンスが感じられた。一瞬何かなぁって考えてしまった。理解するまでに数秒の間、あっそうか社会的には忘年会シーズンたけなわだった。自分だけ縁遠い行事だったのでした。組織を離れて10年が経って、恩納村での生活になるとなかなか忘年会ってのがないのでした。お酒を飲まないのが災いしているのだろうか。まあ関係ないかぁ。
 くれぐれも忘年会の連荘、休肝日を作ることをお勧めします。寝不足でのお仕事、注意してくださいね。
 本日から高校生の海洋実習がスタートしました。大人数での講習。今回は上級コースのダイビング経験を積むということで来沖しています。昨日までの大荒れ状態が、ちょっとだけ小康状態。ラッキー。崎本部に移動かなって覚悟していたのですが、何とか前兼久漁港から船で出ることができました。本日は2本続けて潜り、温水シャワーで作って来てくれたお湯のありがたみ。手桶でお湯を汲み、首のスーツの間から流し込むのでした。生き返る面持ちでした。そういえば季節は冬に突入したのでした。
 オレンジワンピース一枚だけで潜っているのですが、そろそろ限界かなぁ。

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2005年12月 7日 (水)

YS-11ご苦労さん!!

YS-11って聞くと、独特のエンジンを響かせて優雅に飛んていた姿を思い出す。最後に乗ったのは1995年だったかな。沖縄本島から奄美大島を往復した際に搭乗した記憶があります。それか福岡空港から壱岐までのJACの機体だったかな。壱岐までの搭乗は1998年12月かな。記憶が定かでないのでした。記憶が峻烈なのは最初にフライトした際の経験、1976年7月だった。沖縄本島と石垣島の往復だ。片道1時間50分くらいの飛行時間だったように記憶している。
 YS-11型機は戦後初の純国産の航空機。ターボプロップエンジンを2基の双発輸送機。キィーンって金属音が混じったプロペラ機。短い距離での離着陸可能な機体だった。自分が乗った民間機は現在日本トランスオーシャン航空(旧南西航空)だった。座席前のシートポケットにはウチワが用意されていた。パタパタと扇いだ。
 官庁では、海上保安庁、航空運輸局、自衛隊でYS-11を使っている。今回は民間機のYS-11が全機が引退するということだ。JACにて鹿児島と種子島間を運航しているのだ。ラストフライトを控えて新たに機体を再塗装したとのことだ。無事に長い飛行時間を記録した機体。最終的には解体分解されるのだろう。動体保存するのだろうか。海上保安庁では5機がミッションを担当している。第一管区の千歳に2機、第三管区の羽田に1機、あとは我が沖縄を管轄している第十一管区海上保安本部の那覇に2機だ。超低空でパスして行く姿を海面から眺めていると勇壮な機体に見える。でもねですよ。昭和44年3月に就役した機体から昭和54年3月に就役したものもあるのでした。昭和44年っていうと+25年だと1969年で、36年前となるのだ。まあオーバーホールしているから、大丈夫だが、整備員のご苦労が伺えるのでした。でも機体年齢からすると解役間近なのだろうか。
 飛行性能が安定した好きな機体でした。聞いた話ですが、YS-11は機体が原因で墜落したことがない飛行機とされているのでした。長い間ご苦労様でした。

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2005年12月 6日 (火)

大時化が続いているのでした。

北風ビューだった。この寒さはいつまで続くかな。大時化の中での漁船や作業船の転覆事故が全国で相次いでいる。海上保安庁の大活躍となりますが、陸地から遠く離れているためになかなか捜索状況についての映像が公開されないのでした。海上保安庁の捜索勢力としてミッションに参加している固定翼の航空機で撮影された映像かな。大時化の海面でもヘリコプターがホバリングして撮影している場合は、周囲に対象物がないために大きな波頭でも平坦になって見えるのでした。大揺れに揺れる巡視船からの映像では大変な映像になりそうだ。二重事故の危険性を伴う苛烈な環境での捜索および救助活動が続くのでした。

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2005年12月 5日 (月)

胸骨圧迫心マッサージが15回から30回連続になるぞぉ!

沖縄本島は冷蔵庫にスッポリ入ったようだ。寒いのでした。今朝の沖縄本島北部では11℃くらいまで下がったとのことだ。那覇市では14℃くらい、最大風速が北寄りで20mの強さで吹いた。当然の如く海は大荒れだった。思わず厚手のフリースを引っ張りだした。
 11月30日(水)午前12時32分37秒。AHA(アメリカ心臓協会の略:http://acls.jp/index.htm)のホームページに公開されたのでした。何がぁって。さあ大変ですよ。”AHA Guidelines 2005”が公開されたのでした。CPRやAEDについての新しい勧告がなされたのでした。これまではCPRの胸骨圧迫心マッサージ15回に吹き込み2回だったのですが、よりCPRの効果を高めるためには30:2の比率が宜しかろうとのことだった。
 実は西暦2000年8月15日にAHA2000ガイドラインが公開されて世界中のCPRの実施内容を統一した。所謂、世界標準の一環だ。それから5年が経過。病院外での呼吸停止や心停止者への救命処置が有効に機能しているかの検証が同時に行われていた。その結果から15回の心臓の圧迫よりは30回の圧迫がグレースピリョード(天恵の時間)時に有効だったのだろう。
 お恥ずかしながら村田はCPRトレーニングを受けたのが1978年だったが、それ以来様々な圧迫に関しての変更を経験したが、今回の15回から30回圧迫となると体力や集中力が残っているだろうかって心配になります。先日の日本経済新聞にも記事として出ていました。日本は2006年の3月か4月くらいから改訂作業に入るのだろうか。やっとAHA2000ガイドラインでのCPRに慣れたのですが、また身体が覚えるまでトレーニングしなければならないのでした。さあ大変な転換作業になるかもしれません。

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2005年12月 4日 (日)

寒波襲来中!

昨晩遅く気象図を見た。低気圧が5個数珠繋ぎに点在しているのでした。今朝は寒さで目が覚めた。雨の音、北風が強く吹き付ける音。あれぇ晴れじゃないんだぁ。那覇マラソンの号砲を聞こうとラジオをつけた。自分の知人が5名ほど参加しているのでした。どうも雨降りのようだ。また北風が10m以上と強烈に吹き付けているのでした。選手の皆さん頑張ってくださいね。外気温は一気に18℃くらいまでに下がった。明日は17℃くらいとの予測だ。
 昨晩の遅く、正確には12月4日の午前一時半過ぎに九州方面に地震があったとのこと。震源地は奄美大島近海で深さが10km、マグネチュードが6.1だった。結局、午前1時10分、1時25分、1時49分と連続、深さは全て10km、マグネチュードは6.1~5.5までだった。北緯29.1と29.2。東経130.7と130.8だった。大きな被害が出なくてホッとした。
12月3日には紀伊半島沖(北緯33.2と33.3、東経137)で深さ10km、マグネチュードは4.5と4.6だった。あとは12月2日に八丈島近海と宮城県沖でありました。深度40と50kmと深かった。マグネチュードは4.3から6.4だった。それぞれの震源地は、ユーラシアプレートにフィリピンプレートと太平洋プレートがもぐり込んでいる付近のようだ。奄美大島近海での地震では、発生が午前1時過ぎと深夜だった。幸いにも津波の発生がなかったことはありがたいことでした
 地震頻発国の日本では耐震構造が法律で守られているから大丈夫との自負心があったようだが、現在では足元からガラガラと崩れてきた。社会生活での衣食住の住の基本が倒壊する可能性が大きくなった。地震が活発に発生する地震多発活動期に日本列島が突入したこと。地震と津波、島での生活ではセットで危機管理しなければならないのでした。

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2005年12月 3日 (土)

水温が下がっていないのだ。

テレビのニュースを見るのがオゾマシク思えるような事件や事案が続く。社会規範が崩壊したみたいだ。幼い子どもが犯罪に巻き込まれる事件関係は痛ましい限りだ。たくさんの夢がかなえる前に生命が閉ざされてしまうのは、余りにも憐れだ。
 師走だが、今年は天候が暖かい傾向なのだろうか。水温は24℃だが外洋は25℃くらいあるかな。モズクの種を網に植え付ける作業が盛んに行われています。晴天は光合成をするためには好条件となるのだが、水温が少々暖かいのが大問題なのだ。すでに一ヶ月が経過しているが、モズク養殖の漁師さんは辛いはず。漁協の栽培指導員の方も、大変だ。

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2995年12月3日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 北東 23℃ 24℃ 12m
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昨日までのベタ凪は、ドコって感じの荒れ方だった。昨晩の風廻り、南東から北に変わり大雨ザアザアだった。朝は青い空が見えたが、風は北東だった。ウネリがリーフに打ち寄せていた。前兼久からは砂地ポイントしか行けなかった。
本日はスキンダイビングインストラクターのトレーニングでした。垂直潜水、水平潜水、ウエイトリカバリー、マスク・フィン脱着、重量物の回収と運搬等を行いました。ウネリの影響が残っていたが、指示通りにクリアーできた。水中では、ウネリの影響を受けて水底の砂が巻き上がり透明度を低下させていた水温は24℃。モズク養殖の漁師さんは困った顔をしていた。
潜水指導団体の傾向として教材類、とくに視覚教材が充実してきたので実技については、デモンストレーションではなく教材を見て技術を覚えるというバーチャル試行が大きな比重を占めるようになった。そのために教える側のデモンストレーション能力の低下が深刻になっているように思えるのでした。そのためではないが、デモンストレーション技術はしっかりと定着させる必要があると思う。デモンストレーション技術は美しく表現できますかぁ。

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2005年12月 2日 (金)

民活って

世の中の様々なシステムが崩壊しつつあるようだ。銀行の統廃合や公的資金の注入等の問題が一段落したと思ったら、今度はマンションやホテルでの地震対策としての建設強度の手抜き問題の発覚。地震対策上でも大問題だ。実際に深度5強程度の揺れが発生した場合に倒壊することになるのかな。でも、対震構造を強化するために補強するのではなく、完全に壊さなければならないっての凄いことなのだろう。それだけ内容が深刻だってことなのだろう。建設業界全体が、おかしな方向に進んでいるでもないはず。たまたま今回発覚した業者の関連会社だけが問題を起こしているのだろうか。性善説ってことでお役所は対応しているとのことですが、検査をして人間が生活できる強度の建物かの検査については国家が対応しているとばかり思っていたが、民間に検査を委ねたのは知らなかった。やはり検査がズサンになるのは当たり前なのだろう。それは「想定外」それとも「想定内」だったのだろうか。
 民間活力導入ということで市場原理が働くことで多くのプラス面があると思ったが、マイナス面が大きく強調されることになった。どのように政治は対応するのだろうか。

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2005年12月 1日 (木)

衣替えの途中なのでした。

本日から師走だ。2005年も残すところ一ヶ月となりました。「もう幾つ寝るとお正月」の歌が浮かんでくるのでした。子どもじみてないですよね。穏やかな12月1日です。
 本日は、夏物の半袖をクリーニング屋さんに出しました。店員さん曰く、かりゆしウェアーについてはサービス品として安く洗濯できたようですが、そのキャンペーン期間中が終わったとのことでした。まあ今年は寒暖の差で苦しんでいたので仕方がないかぁって。半額キャンペーンだったらしい。衣服の衣替えは、全然終わっていないのでした。まだ部屋には夏物の短パンが転がっているのでした。
 さあ師走なので湯舟に入れる入浴剤も変えようかなって。これまではブルー系統の入浴剤を使っていたが、これからは柑橘系にするかな。石鹸やボディシャンプー類もシーブリーズ系のひゃっとする系は、早急に使い切るしかないかな。季節の変わり生活に取り入れることで身体の生活リズムが保たれることになるのでした。
自分の生活には関係ないのが師走になってからの忘年会、それに年明けにある新年会。忘新年会のCMも始まった。ホテル関係は売上を高めるために宿泊付きを提案している。アルコールに寛容な地域の沖縄方面では、飲酒運転での事故の急増が懸念されるのでした。飲んで運転すれば法律違反だって判っていても、ついついいつもの習慣だからとか、自分だけは大丈夫だったから、なかにはツワモノが「だって明日は車で出勤しなければならないから車に乗って帰るのだぁ」って空いた口が塞がらない言い訳が出てくるのでした。唖然!!

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