YS-11引退
YS-11が日本の民間航空路から引退した。41年間、日本の空を飛んでいた。まだ自衛隊と海上保安庁では現役機として飛んでいる。今回の民間航空会社の機体は10月にフィリピンの航空会社に引き取られることが決まっているとのことだ。
初めてYS-11に乗ったのは、那覇から石垣島に行く時に乗った。1976年6月だったと記憶している。30年も前の話です。フライト時間は1時間50分くらいだったように記憶しています。当時は今のJTA(日本トランスオーシャン航空)の前の会社名(南西航空)だった。機内はクーラーがなく団扇が用意されていた。パタパタ扇いで涼んだものでした。今はボーイング737型で50分くらいの飛行時間で那覇から石垣へ移動できる。当時のプロペラ機では1時間50分、気流の変化し易い高度を2時間近くのフライトは厳しいものがありました。酔い止めは必需品でした。
2回目は同年の7月末、強烈な台風が石垣や西表を襲う直前の最後の便で那覇に逃げ帰りました。風速70mの風、自分等が最後の便に川平から石垣空港に行く際も大変でした。樹木が倒れていた。石垣空港を離陸してから那覇に近づくまで、ずっと揺れていた。エアーポケットに入り、何十メートルも機体が乱高下した記憶が峻烈に残っているのでした。でも頑丈な機体だった。当時のパイロットが言っていました。人間が飛ばしているという自負できる機体だったと。現代のジェット旅客機はコンピュータ制御されている。人間が操縦している雰囲気とは違うって言っていました。エンジン音、独特の音は記憶しています。