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2006年12月31日 (日)

今年も無事にダイビングを終えることができました。

曇り空、気温18℃の朝を迎えた。風は東、リーフに砕ける波は静か。ベタ凪に近くなった。この気象状態が続いてくれることをお願いたいものです。この時期、穏やかな気象状態は2日か3日くらいが限界だ。荒れる日が多くなるのでした。今年の12月の荒れ方は半端な荒れ方ではないのだ。海の中を見ると一目瞭然だ。砂地ポイントで潜ることが多くなるが、砂の堆積具合は年々厚さを増している。20年以上も前に潜った砂地ポイントの印象が頭に残っているのでした。

 平成18年も最終日だ。今年の反省は体調の維持に厳しいものがありました。齢、54歳にもなると20代や30代の体力維持と強化を怠ったことを大いに反省している。もっとあの時代に筋力トレーニングをしておけばよかったと。身体を動かしてるからと安心していたが、実際の筋力の強化には役立ってはいなかったのでした。とりあえず身体は動かしていただけなのでした。あとは調整力も必要だったかな。柔軟性は年齢の割りには柔軟度があるが、体幹筋の腹筋が弱いのだ。ぽっちゃり体型、小学生時代と変わりない体型だ。

 今更、筋力アップのトレーニングではないが、少しづつ強化するための身体運動を行うことを真剣に考えなければ。あとは耐久力というか持久力を高めることもしなければなりません。良好な体調維持に励みます。

 平成18年の潜りも無事に終了することができた。お正月も9日まで潜りが続くのでした。

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2006年12月31日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 曇り 18℃ 21℃ 20m
2本目 真栄田岬ブイ 曇り 20℃ 21℃ 25m
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東寄りの風だ。曇り空、真栄田岬も海面が静かになってきた。今日も前兼久漁港から出港することができた。”北斗号”を使ってのダイビングでした。

本日の課題は、アドバンス講習のディープダイビングとダイバーレスキューの実習でした。ディープについては減圧停止する際の予備空気源を3リットルのミニボトルにレギレーターを装着してボートから吊るした。出港前に準備を整えた。講習組は朝から真栄田岬にてダイビングを実施。私は午前の体験ダイビングの助っ人で乗船。一ヶ月ぶりの体験ダイビング対応でした。ちょうどダイブマスター候補生の体験ダイビングトレーニングも同時に実行することができました。

 体験ダイビング、透明度は昨日よりも落ちたが、15m以上は見えた。5名の体験ダイバーを3名のインストラクターで対応した。お正月休みの家族連れだった。自分が対応したお客様は左耳の圧平衡が、なかなか厳しく小刻みなアップダウンを繰り返しつつ潜降、着底した。途中何度も左側を圧平衡のタイミングに合わせるように人差し指にてマッサージ動作をした。OKサインが出た、潜降、×、少しだけ浮上、マッサージ、OKサインが、この繰り返しでした。着底OKサインが出た。一名が水底でバランスを崩してひっくりかえりそうになった。となりのバディさんにもつれそうになった。最後の一名は、どうしても右耳が抜けきらなかったので潜降を諦めた。

 午後から真栄田岬にて潜った。講習組はレスキュートレーニングの一環としてエアー切れ想定の対処と水没溺者対応、水面でのパニックダイバー対応等のトレーニング。自分は深場(15~24mまで)にて昨日から使い始めたQUANTUMの性能をチェックしていた。水中での視認性、操作性等を再確認した。

 平成18年度潜りも最終日、無事に潜り終えることができました。明日からも安全潜水に精進したいです。

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2006年12月30日 (土)

ニュースは茶の間に・・・・

今年も残すところあと2日だ。リゾートホテルにも続々とお客様が到着しています。ホテルも予約でいっぱいになっているようだ。深夜の秘密基地前の58号線では暴走車と爆音を撒き散らすバイクがチョロチョロ出没している。週末の飲酒検問はやっていないのだろうか。昨年よりも少ないようだ。でも、明日と明後日の夜は、どうなるのだろうか。やはり・・・・になるのかな。

 衝撃の映像って言うのだろうか。ニュースにてイラクのフセイン元大統領の絞首刑寸前の映像が繰り返し放映された。放送局によって放映時間に若干の差があったが、完全に絞首刑が連想される土壇場まで放映した局もあった。つい先日、日本でも殺人罪で死刑が確定した死刑囚が4名連続して、絞首刑が執行されたとマスコミが大騒ぎした。今回のフセイン元大統領の死刑執行、何故か東京裁判を思い出した。世界的には死刑廃止論が高まっている。日本でも前法務大臣は、自分の任期中の死刑執行への署名はしない旨を宣言していた法務大臣もいた。犯罪が凶悪化する昨今、刑罰での矯正教育の限界も問題になり、再犯率も高いままに推移している。刑罰としての極刑の死刑は果たして人間の欲望の歯止めをかけることができるのだろうか。

 犯罪者と一国の独裁者とされた政治家の違いって何だろう。どこかの国でも紙一重の政治屋さんがゴロゴロいるのに。政治とお金、政治と権力。地域の権力に迎合して商売を拡大させている人も多いけど最後はどうなるのだろう。スマトラ沖地震とその後の津波から二年が経過したが、ニュースは色んな映像を茶の間に送ってくるのでした。

 あと2日で・・・・・

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2006年12月30日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 曇り 北東 15℃ 21℃ 30m
2本目 ムーンビーチ砂地 曇り 北東 17℃ 21℃ 20-25m
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昨日までの北風が弱まった。午前2時過ぎに仕事が一段落したので観天望気。風よ弱くなれ。東よりにと祈りながら就寝した。朝の気温は14℃だった。潜水の準備、当然前兼久漁港からの出港だった。ポイントに到着。ウネリは、まだ残っていたシーザー号も翻弄されていた既に。船上から透明度が抜群なのが判るくらいだった。

本日の課題は、アドバンス講習のボートダイビングとナビゲーション、それに水中地形図の作成だった。すでに50本以上潜っている経験者のステップアップ講習を実施しています。年末年始の休み期間中にできる限りのステップアップ講習(アドバンス、LSFA、レスキュー、スペシャルティの一部)を受講してもらっています。自己完結型のダイビングを励行できているので水中では楽しそうに指定されている項目をこなしています。

 透明度が極端に良くなり過ぎた海況、砂地を水底ギリギリに眺めると15m以上も先でモンダルマガレイが泳いでいるのが見えるのでした。俯瞰的に砂地の傾斜地全域が見渡せるのでした。ダイバーさんがいるところだけ砂がもうもうと巻き上がって濁って見えるのでした。2001年7月以来のことですが、黒い10cm大のタツウミヤッコを見つけた。5mにて安全停止していると餌付けと間違ってヨスジフエダイとロクセンスズメダイがわんさかと私の周りに大集合してくるのでした。

 今日から一個ダイブコンピュータを追加した。APEKSのQUANTUMを使い始めました。

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2006年12月29日 (金)

ファーストエイドキット点検

冷蔵庫状態の沖縄でした。日本海側では暖冬の影響で雪不足でスキー場が閑古鳥、雨乞いじゃない雪乞いのお祈りまでしていたようだ。それがどうだろう。シベリアからの寒気団がちょっとだけ発達したら、途端に雪がドッサリ降った。これでスキー場もホッと一息つけそうだ。夏は沖縄でダイビングインストラクター、冬はスキー場でスノボーやスキーのインストラクター役で頑張って方々もいるのでした。スキーよりもスノボーのスタッフさんが多いかもね。

 一年ぶりにファーストエイドキットを点検した。内容物を引っ張り出した。ペンライトが点かない。あれって電池を確認したら液漏れしていた。自分が使用しているのは二種類、ひとつは米軍のパイロット用のペンライト。これは大丈夫だった。頑丈にできているのだろうか。電池は年に一回は交換している。一昨年に購入した日本製のペンライト、電池は単五という小さなサイズだ。よくよくライト筐体を見ると部分的に溶けている箇所があった。アッチャ液漏れで筐体のアルミを溶かしたぁぁぁぁぁのでした。電池も廃棄、ライト筐体も駄目、結局新しく買い替えることになったのでした。ハサミやピンセット類は学生時代からの愛用しているものが健在だ。耳鏡も大丈夫でした。

 バンドエイド、傷パッド類も交換した。勿体無いと思うが、ファーストエイドキットに入れたままだと湿気の問題がありそうだ。でも最近のバンドエイドも様々な機能をもっているために使い分けることができるのでした。

 フェースシールは感染防止機能を考えると万全とは思えないのでポケットマスクだけに切り替えた。あとの手袋も交換しなければならない。結構ファーストエイドキットの内容物を交換するだけでもお金がかかるのでした。でも、仕事柄おろそかにすることができないと考えています。何人かで一斉に交換すれば大量に仕入れことができるので費用的には、ちょっとは抑えることができるのでした。個別のファーストエイドキットを持つ必要があるよってガイドさんに言うのだが、何で必要なのかぁって逆に聞き返されることが多くなった。現場で困ることがないのだろうか。

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2006年12月28日 (木)

寒いぞう

気象配置図の等圧線が見事に縦じま模様だ。北風がシベリアから真っ直ぐに吹き降ろしてくるのだ。風は冷たい。この冬一番の寒さとなりそうだ。明日の朝は13℃くらいになりそうだ。最高気温は17℃くらいしか上がらないかもね。海は大荒れ状態が続くのでした。風邪を引かないように注意したいのでした。沖縄へのダイビングのお客様も続々到着しているのでした。

 今年は年末年始の連休が短いようで沖縄方面にダイビングにいっらしゃるゲストダイバーさんの数は少ない傾向にあるとのことだ。それに天候には恵まれることもないために、もっと気象状態の暖かい南の島々に出かけることが多いようだ。ダイビング雑誌でも世界中のダイビングスポットへのアクセス、旅行代理店の広告がびっしりだ。価格的にも海外のほうに軍配が上がりそうだ。

 今年の前半部は、40代のダイバーさんの心臓疾患が原因と思われる事故が続いた。この年末年始、ダイビング事故がないことを願うのみでした。そういえば加ットちゃん(加藤茶さん)の心臓疾患の闘病手術報告があったばかり、中高年者の気になる部分でもあります。あなたは大丈夫ですか。気温が急激に寒くなっているので、血圧が不安定になり気味、さあがんばるぞって、圧平衡に力入れて潜降開始、ブチッて脳の血管や、心臓の動脈に異常に負担がかかったなんて、切れちゃった状態にならないように。無理しないようにお願いしますね。

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2006年12月28日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 読谷沖 イナンビシ 晴れ 17℃ 21℃ 20m
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北風が10mくらいの強さで吹いているために前兼久漁港からの出港は中止。読谷の都屋漁港からの出港に変更。ダイブマスタートレーニングの一環だった。相棒さんは、今日からドライスーツだったが、胴体に劣化した部分があり水没してしまいました。申し訳ないが、任務続行してもらった。潜っている途中から風が強くなってきました。

本日の課題は、体験ダイビングの補助とボートダイビングでのナイトダイビングと複合スケジュールを組んでもらった。昨日の海況悪化の影響を挽回しなければならなかった。フレキシブルなスケジュール運営が望ましいが、どうしても天候と海況で身動きがとれなくなることもあるのでした。

 本日の自分の格好は、全身オレンジ一色に黒のポケット付き短パンを履いている。周囲の船からは奇異な目で見られた。水中ですれ違ったダイバーさんからもえぇぇぇってな感じの視線を感じた。水中ではソフトコーラルが沢山あり、岩の陰にアカククリの幼魚、ヒレグロコショウダイを見つけた。じっくり潜りこんでみると面白いポイント。

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2006年12月27日 (水)

基地を造っているよ。

お正月休みの取り方が企業によって様々。27日現在でお休みに突入した会社もあれば29日まで営業を続けるとの会社もあるのでした。ただしお正月明けは4日から9日までと、これまた様々だ。沖縄本島も既にお休みモードになっているようだ。スーパーではお正月用品売り場が設けられているのでした。あとは日ごろ運転したことがなさそうなドライバーさんがハンドルにしがみつくように前のめりになりながら運転している。怖い。

 前兼久の集落では、普段見かけない車が狭い道を周囲をキョロキョロしながら運転して来ます。袋小路のように狭い道なのですれ違うのは怖い。こちらの方の特徴として、出会い頭でもブレーキを踏むことはあまりなく、バックが苦手なようで自分からバックして道を譲らねばならないことも多々あるのでした。狭い道でも路肩に停める際、道際に停めないのでした。あと10cm路肩寄りに停めてくれるとありがたいが、なんてこともあるのでした。お正月明けまで自分の駐車場であっても平気で停めて行く方が多くなるのでした。大丈夫さぁの精神なのだろう。迷惑駐車お断りの張り紙をペタペタ張りまくるぞ。

 沖縄だけのラジオCMかな。”基地建設しているよ”って刺戟的な内容で始まった。最初聞いていてびっくりした。政府のプロパガンダかなって思っていたら、どうも携帯電話の中継基地を作るとのことだった。かつて”私はこれで会社を辞めました”と小指を出したサラリーマン氏のCM以来、ドット心拍数が上がりかけた内容物だ。

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2006年12月26日 (火)

爆弾低気圧発生しそうな気配

平成18年も残すところ6日となった。カウントダウン入りしている。あと一週間で平成19年の幕開けだ。さあどんな年になるのだろうか。日本の行く先も不透明感、丸出し状態。自分にとって平成18年は、いろんなことがあった。あり過ぎた一年でもあった。

 猛烈な低気圧の発達が気象情報で伝わって来た。防災情報提供センターのレーダー映像では紀伊半島から青森にかけて雨雲がびっしりと覆っているのでした。爆弾低気圧となって北上する。関東では大雨が降っている映像が流れていた。冬なのに暖かい、湿った空気が大量に流れ込んでいるのだろう。一年前の本州、とくに新潟と長野の県境では大雪で孤立した地域も出ていた。今年はスキー場は閑古鳥がないている。雪がないのでした。異常気象の象徴だ。ここまでは気象庁の長期予報の暖冬傾向にあるとのご請託はあっているのでした。ヨーロッパでも暖かいとのことでした。温暖化傾向が強まった。

 いよいよ水中での酸素減圧の準備が整いました。酸素屋さんで酸素を充填してもらうための真鍮製のアダプターが到着しました。本日、3本の水中で使用できるシリンダーに充填できました。真鍮製のオスネジのアダプター完成、年内に手元に入手することができたのはラッキーでした。

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2006年12月25日 (月)

まるで台風かと思った。

朝から沖縄本島周辺だけが土砂降りだったようだ。全国的には冬晴れという表現が当てはまるような晴れ間が顔を出していたと思います。ちょうどミニ台風みたいな風の吹き方と雨の降り方だった。海は一瞬にして大荒れとなった。気象レーダーで確認したが、まるで台風のようにきれいに渦巻き模様が見えた。これも異常気象の一つかな。

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2006年12月24日 (日)

クリスマスイブなのでした

気づけばクリスマスイブだった。コンビニにてパソコン関係の雑誌を物色していた。コンビニ戦略の一つの店内歩くルート、グルリと売り場を眺めながらレジに向かった。あれ変だぞ。いつもの陳列ケースに箱がズラリ。クリスマスケーキの箱がズラリ。二段重ねだった。予約済みのケーキなのだろうか。今年はすっかりケーキのことは失念していたのでした。予約しようかなって思った矢先、クリスマス用の予約は終わっていたのでした。今年もシングルクリスマスなので、ショートケーキでも買って食べようかな。講習生一同でクリスマスケーキカットをします。

 今年は那覇市内のメインストリートまで出る機会がなかった。また複合ショッピングモールにも出かけることがなかったので、世の中の流行を知らない状態なのでした。テレビで垣間見る程度、ただ沖縄本島でも複合ショッピングモールが多数出現しているが、そのうちの二箇所くらいしか知らないのでした。また美味しいレストランや食堂についても、この二年くらいはドアを開けたことがないのでした。ピザインくらいかな。先日、知人をギンバル食堂まで連れて行きました。野菜そばを食して来ました。二年くらい波布食堂には近づいていないのでした。

 年内に片付けるのにAEDトレーナーのプログラムを変更しなければなりません。現在の手持ちのAEDについてはAHA2000ガイドラインでのプログラミングされているので3発まで連続して作動させるが、AHA2005ガイドラインでは1発で、駄目だったら即CPRの実施へと変更になった。年内中にAEDのプログラム変更の手続きをします。来年からはAHA2005ガイドラインに即したAED講習が実施できるのでした。あとは酸素充填の手配と年末年始の営業日を確認しなければなりません。

 明日から、ちょっとだけ忙しくなるのでした。

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2006年12月23日 (土)

2006年12月23日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 20℃ 21℃ 15m
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午前中、砂地に潜りました。本日は定点潜りでした。ボートはシーザー号、北風が吹く中の出港でした。ポイントは二隻しかいなかった。装備は3mmのフード付きベスト、5mmワンピース、A-2ブーツ(新品)、ビーイズムのBCとレギレーター。それにポケット付きのパンツ。全身オレンジ色だが、パンツがブラックという変てこりんな格好で潜った。浮力は問題なかった。

荒れた海況が続いていたので水底は様変わりしていました。ボートの下の浅場は砂が新たに10cmくらい堆積していた。北西寄りの砂紋となっていた。透明度は比較的良かった。漁礁まで潜降、漁礁を支えていた水面近くのブイが切れたのだろうか、魚網が海底に落下していました。修理が必要だ。トウアカクマノミは元気でいた。イソギンチャクには砂が少し積もっていた。素焼きの破片には砂と泥がこびりついていた。

 カミソリウオをペアで見つけた。今年自分が見つけたカミソリウオの中では、一番の大きさだった。あいにくとビデオ機器を持っていなかったのが残念でした。

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週末でした

週末の土曜日を迎えた。港ではダイビング関係や漁師さんの動きは静かだった。例年に比べると海水温が高めに推移しているためにモズク栽培が芳しくないとのこと。11月から海に入れていたモズク網を回収して再利用するために残渣を取り除く作業をしている人もいるのでした。モズクは沖縄にとっては貴重な現金収入源となっている。その年の水温や気象状態によって生育に差が出てくるのでした。不作の年もありました。約半年分の稼ぎがパーになってしまうのでした。モズクの販売代金が入らないだけでなく、それまでに準備していた網代や燃料代、補修備品代等は、全て持ち出しとなってしまうのでした。網については繰り返し使うことができるが、そのためには毎年丁寧な補修が必要となっているのでした。あとは労働時間を賃金に換算するとして、それも泡と消えてしまうのでした。

2006年度を振り返る番組が放送され始めた。政治、経済、自然、スポーツ、芸能等だ。まだ自分の頭の中では現在進行形モードになっているために、この一年を振り返るってことができていない。リセットできないでいるのでした。ノート型のパソコンの機種を変更することができました。まだ完全に使い方をマスターしていないのでした。多機能に振り回されないようにします。 

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2006年12月22日 (金)

運転マナー・・・・

今年も残すところ9日となりました。やっと片手で指折れ勘定ができますね。週末の金曜日。企業では忘年会シーズンも終わりかな。連休の週末。交通検問は実施されるのだろう。まだまだ酒酔い運転での事故や検挙されたなんて報道が聞かれます。酒酔い運転の規制強化が功を奏しているのだろうか、悪質な酒絡みの交通事故も減っているのかな。駐車違反については民営化が進んだことで違法駐車が減ったとの報道があります。効果ありですね。

 恩納村は車庫証明が要らない地域に指定されています。そのためだろうか細い生活道路の真ん中にデーンと停めている方もいます。ひどい例では午後7時過ぎから朝方まで10時間以上駐車しているケースもあります。駐車違反切符って切れないのだろうか。道路を駐車場代わりに使っているケースがあるのでした。地域住民からの苦情がないと注意できないのだろうか。

 あとは携帯電話で話ながら走っている場合もありますね。速度がゆっくりだったり、蛇行したり、やたらにブレーキを踏みながらチラリチラリと携帯の画面を見ていたり、話ながら走っている例。結構あるのにびっくりした。交通法規で運転中の携帯電話はダメってなっていても関係ないようだ。喉元過ぎれば何とか・・・・のようだ。

 やたらに多いのがダンプカーだ。公共土木の工事発注が多いのだろうか。数珠繋ぎに走っている例や前後左右に挟まれたこともありますよ。それにオリーブドラブ色やグリーンの迷彩塗装した大型の軍用車両。58号線で、ダンプカーが幅寄せしたり、蛇行したりの場面に出くわした。相手は商用トラックだ。何があったのか知らないが、強烈にトラックにダンプカーは迫っていた。ちょっと危ないと感じた。

 久しぶりに那覇市内や宜野湾、浦添等の恩納村以外の輻輳する車の多い地域で運転してみて気づいたのでした。

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2006年12月21日 (木)

無灯火の車両発見した。怖かったぁ

大きく天気が崩れた。珍しく天気予報が当たったのである。横なぐりの風雨だ。海は大荒れとなっている。道路は大渋滞。高速も数珠繋ぎの低速道路となっていた。夕暮れ時の雨降り、運転する身としては物が見難いのでした。おまけに大雨となった。日ごとに冬の気配が濃くなっているのでした。と言っても気温は20℃を超えているのでした。

 土砂降りの中を那覇往復を昼と夜の二回もした。夜の部は道路が至るところで大渋滞。通常の二倍の車が路上に溢れているのではないかというくらいの数に見えた。雨降りの中だったので、普段車を運転しないペーパードライバーさんも運転していたように思える。夜、ワークショップを終えて那覇から秘密基地へ戻る途中、とんでもない光景に出くわした。

 58号線を那覇市内を北上していた。ある交番の前、一台のパトカーが58号線に出ようとしていた。片側三車線の右側の走行車線を一台のR2の新型車が自分等を追い越して行った。あれテールランプが点いていない。窓ガラスも曇り気味だ。新型車なのでテールランプも斬新なデザイン、目立たないのかなって思った。でもよくよく考えてみればテールランプが消えている。いやテールランプも点けていないようだ。テールランプだけではなく、ヘッドランプも点けていない。つまり、そのR2の新型車は無灯火。おまけに携帯電話を片手に会話しながら運転しているのでした。ドライバーさんは若いお嬢さんだった。午後10時半くらいの那覇市内を無灯火で、それも携帯電話で話ながら、それもそれもパトカーが見ている前を通過していったのでした。

 目が開いているとは思うが、パトカーの警察官、赤色灯を回すでもなく、無灯火のR2は2km以上も走っていたのでした。泊の交差点にて気づいたのだろうか、点灯した。雨降りの夜、道路を行き交う車が多いせいもあるのだろうか。無灯火で走っている車。怖かった。

 夜ともなると携帯電話で通話しながら走っている車、以外にも多いことにびっくりした。当たり前のことなのだろうか。久しぶりに夜の那覇市内を走行して感じた。

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2006年12月20日 (水)

大量の迷惑メール

凄かったぁ。3日間不在にしていただけで迷惑メールの類が380件もあった。コンピュータを仲介して使っているメール、本来はコミュニケーション手段として最良の方法であろうということで開発された。しかし、性善説ばかりの人ばかりではないこともあるのでした。様々なメールが送られてくるのでした。あれこれ様々なフィルターをかけているのですが、根気よく削除するしか方法がないのでした。

 恩納村に戻ってADSL回線に接続してネット環境で仕事を再開しました。今回は離島ではADSL回線が引かれていたのですが、接続することができなかった。携帯電話での通信となりました。世の中は進化しているようでADSLではなく光ファイバーでの、より高速通信が常識になっているようだ。前兼久でも光ケーブルが接続できるサービスが提供されているとのこと。光にすれば、もっと高速通信が可能になるが、室内LANの接続機器を買い換える必要がありそうだ。

 ネット環境の改変は大変そうだから、当分の間このままにします。

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2006年12月19日 (火)

秘密基地に戻りましたぁ

12月19日朝、今日の村内放送は、静かだった。7時の時報以外は放送がなかった。Iモードで那覇の気象状態を確認したら北東の風7m、気温17℃、曇りだった。ってことは高速船もフェリーも定刻通りの出港するとうことだ。船以外の手段がない離島では、当日の朝になってみないと船が出るか、出ないか判らないのでした。まして航路と船会社を選択することができない場合は、足止めは覚悟しなければならないのでした。

 先島諸島、特に石垣島の船会社の多様化には驚きを禁じ得ないのでした。それも日本国内でも一番の高速船が複数運航しているのは、全国を見ても石垣と西表・小浜・黒島。竹富くらいだ。公営の船会社ではなく、民間会社が運営しているのでした。30年前は定期船があったが、スピードはそれほどでもなかったが、1980年の半ばくらいから高速船の出現した。当時の船会社の社長の目標は”海上保安庁の持っている巡視艇よりも、より早い船を作りたい”の気持ちで造ったと言われています。現在は巡航速度として30ノットを超えるのが当たり前になっているのでした。あとは民間会社が複数存在して、互いのサービス向上を目指して努力していることにある。船員教育も少しづつ変わって来た。制服を着用し、言葉遣いも丁寧、親切になっている。昔はブッキラボウな態度が目立った。でも荒れた海での操船は巧かった。台風以外の休むことなく島民の生命線である食料や生活物資、郵便等を運んでくれた。相当無理しているだろうなって思ったが、それでもやってきたことがあるのでした。官民の考えたの差があるのだろう。

 午後1時くらいまでお仕事。2時半出港のフェリーに車を積み込む作業が必要なので、1時間くらい前には港で乗船手続きを終えた。

 ADSLに接続、速度の速さに感謝しています。

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秘密基地に戻りました

12月19日朝、今日の村内放送は、静かだった。7時の時報以外は放送がなかった。Iモードで那覇の気象状態を確認したら北東の風7m、気温17℃、曇りだった。ってことは高速船もフェリーも定刻通りの出港するとうことだ。船以外の手段がない離島では、当日の朝になってみないと船が出るか、出ないか判らないのでした。まして航路と船会社を選択することができない場合は、足止めは覚悟しなければならないのでした。

 先島諸島、特に石垣島の船会社の多様化には驚きを禁じ得ないのでした。それも日本国内でも一番の高速船が複数運航しているのは、全国を見ても石垣と西表・小浜・黒島。竹富くらいだ。公営の船会社ではなく、民間会社が運営しているのでした。30年前は定期船があったが、スピードはそれほどでもなかったが、1980年の半ばくらいから高速船の出現した。当時の船会社の社長の目標は”海上保安庁の持っている巡視艇よりも、より早い船を作りたい”の気持ちで造ったと言われています。現在は巡航速度として30ノットを超えるのが当たり前になっているのでした。あとは民間会社が複数存在して、互いのサービス向上を目指して努力していることにある。船員教育も少しづつ変わって来た。制服を着用し、言葉遣いも丁寧、親切になっている。昔はブッキラボウな態度が目立った。でも荒れた海での操船は巧かった。台風以外の休むことなく島民の生命線である食料や生活物資、郵便等を運んでくれた。相当無理しているだろうなって思ったが、それでもやってきたことがあるのでした。官民の考えたの差があるのだろう。

 午後1時くらいまでお仕事。2時半出港のフェリーに車を積み込む作業が必要なので、1時間くらい前には港で乗船手続きを終えた。北東の風を受けながら那覇に向かった。当然、寝っころがったままでした。30分くらい熟睡できた。

 ADSLの恩恵に浸っている。接続が簡単楽チン。携帯電話の比ではなかった。 

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2006年12月18日 (月)

2006年12月18日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 座間味 座間味港脇 曇り 北東・微風 16℃ 23℃ 20m
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曇り空だったが、風は弱まっていた。リーダーシップレベルのダイバーレスキュー検定、体験ダイビングの指導項目を行った。海況も落ち着いていたので座間味と阿嘉を結ぶ航路も軽快に走っていた。島のダイビング船も、それぞれのポイントに向けて移動していた。

寒さのために筋肉が硬直気味だ。8月の魔女の一撃以来、腰の塩梅が不安となっているのでした。保温スーツが何とか乾燥していたので助かりました。フード付きベストを着て、5mmワンピース、当然のようにオレンジ一色だ。講習生の方も風邪気味ようだ。鼻をグスグスしているのでした。昨日のマスクなしヘッドファーストダイブの影響が出たかな。

 本日の溺者は村田、ボートから離れること50mくらいで溺れ、助けを求めたが力尽きて水没、幸いにもレギレーターをくわえたまま、マスク内に水漏れもなかったとの想定。船長が発見、ガイドに救助するように指示した。船上にてスクーバ装備にてエントリー、船上から方向指示を受けながら、バックキックで溺者まで接近。水没したと思われる地点まで潜降。溺者を発見して水面に引き上げて人工呼吸しながら船まで曳航。途中に器材も脱装。人工呼吸を継続したまま曳航だった。技術判定ではOKサインが出た。一発でOKだった。溺者としても助かりました。

 次に、体験ダイビングの引率です。自分が評価者、スタッフがお客さん役となった。寒い中、生徒もスタッフも鼻水をすすりながらのトレーニングでした。バケツに入れたお湯、三名で手を突っ込んで温もりも分かち合うのでした。ホッとする一瞬、自分は無事にトレーニングが終わって、ホッとした。昨日の荒れ方が半端じゃかなった。

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孤島の不安

12月18日朝、今日の村内放送では、本日の高速船が海況が厳しいための欠航が決まったこと伝えた。フェリーは運航されるとのこと。文字通り高速船では1時間弱だが、運航中止となった。薄曇りで小雨がパラパラ、寒いのでした。昨晩は星空がきれいに見えた。座間味と阿嘉島の間の海は、海面状況も安定してきた。昨日までのウサギが飛び交う海とは違うのでした。明日はフェリーの航海もすんなり行きそうで、ホッとしている。

 座間味村では村営の船を運航している。高速船は双胴船になっている。今年の2月に乗船したことがあります。結構荒れた中での移動となりました。自分が往復ともぐっすりと熟睡していたので大きな揺れだったように記憶している。そのあと巡視船で同じ航程を移動したが、大きな揺れは感じなかった。巡視船は1000トンだったかな。もしかすると民営だったら運航しているかもと地元では囁かれているのでした。お笑い種になりそうだが、高速船が欠航しているのにも関わらず、那覇からのダイビング船(20トンクラス)が座間味まで潜りに来ている現実があるのでした。海況判断の基準、判断するのは難しいが事故がないことをお祈りするばかりだ。ただ生活の足である船の運航に関わる場合、旅行日程が狂うこともあったりで陸路で行き来する観光地ではない点の難しさがあるのでした。

 昨日もふっと思ったのは、外界と遮断された世界、なかなか現実では味わうことができない生活だ。病気になっても車で病院に行くことができる地域でもないために場合によっては手遅れになる可能性もあるのでした。緊急事態では航空機を使っての急患搬送の手段があるが、実際にはお役所仕事になるために手続きに時間がかかるのでした。非常に短時間に専門医の治療が必要となった場合に1時間とか2時間の遅れが致命傷になる場合もあるのでした。座間味諸島については急患搬送が陸上自衛隊の101飛行隊が、その任務に当たっているのでした。現在は、島の診療所のドクターが付き添って乗ることはないようだ。那覇にて医師を乗せて患者を引き取りに来ることはあるようだ。ただ、当番制のために医師を向かえに行くのは陸路、パトカー先導ではなく、自衛隊の基地まで自家用車かタクシーにて来て、それから搭乗ということになる。時間が勝負の場合の重症患者には対応することができないようだ。

 座間味だけではなく、石垣を中心にした先島諸島でも同じよう問題を抱えているのでした。行政の分けとしては、沖縄本島を中心にして宮古島までが、自衛隊が対応、石垣を中心にして宮古、伊良部までが海上保安庁の対応となるのでした。例えば石垣から那覇まで搬送しなければならない場合は、一旦宮古島に着陸させて患者を那覇から向かえに来た自衛隊に引き渡すことになっているのでした。患者の容体よりも行政の縦割りの範疇となるのでした。地獄の沙汰も金次第ではないが、人の命が関わった局面でも行政の仕切り分が分かれている現実もあるのでした。ジャーン。

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2006年12月17日 (日)

フェリーが欠航したぁ

朝の村内放送で、本日のフェリーが海況が厳しいための欠航が決まったこと伝えた。孤島になった。昨晩までの雨がうそのように晴れた。現在は水不足となっているようで夜間断水中と聞いた。民宿は貯水タンクがあるためにトイレやシャワーは大丈夫のようだ。ただ潜水器材については最終日にだけ洗うようにとのことでした。スーツだけは水で洗わせてもらった。沖縄本島から距離があるために送水管が敷設することができないのでした。

 気象状態が一定ではなく地域によって、それぞれの水事情が違うのでした。幸いにも現在の沖縄本島では渇水対策は問題なく過ぎている。近年の異常気象のためだろうか、一旦雨が降ると30ミリとか50ミリとかの大量の雨がふることが多くなりました。お湿り程度ではないのでした。ただ人口の過密化が指摘されているので水の再利用もしっかりと考えていかねばなりません。

 久しぶりに外界と遮断された世界での生活。陸路で移動することできない地域。車の喧騒がない島でした。風の音が響き渡るのでした。朝夕の村内放送が響くだけでした。この冬型の気象配置、いつまで続くのだろうか。明日はフェリーが入港するのだろうか。地元の方、曰く台風以外にフェリーが止まったのは、初めてだとのことでした。気温は2月の一番寒い温度に近いのでした。ブルブル寒いのでした。

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2006年12月17日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 座間味 ベバル 晴れ 16℃ 23℃ 20m
2本目 座間味 港脇 晴れ/td> 16℃ 23℃ 15m
3本目 座間味 バベル 晴れ 14℃ 23℃ 20m
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今年一番の強い北風が吹く中での講習でした。朝の村内放送ではフェリーが海況が悪いために欠航することが伝えられた。港の外でもウサギが飛ぶのが見えたってことは荒れ方が尋常ではないことを意味している。朝よりも午後のほうが気温が下がった。ボート上は冷蔵庫状態、水中は23℃で暖かく感じた。

ダイバーレスキューのトレーニングから開始。荒れた海域でのトレーニングを避けて、週末なので他のガイドさんの邪魔にならないようにした。エアー切れの緊急手順の確認から開始した。浮力浮上も実践してもらった。水没溺者の救助、水面での曳航、船への引き上げまで行った。最後の溺者引き上げでは、もちろん私が溺者となったのでした。今回、使用した船は35フィートクラスの和船だった。

 午後は気温が一段と寒さが増している中でのダイビングでした。午前中と同じ場所にアンカーリングした。スカシテンジュクダイの群れるサンゴの塊を見せてもらった。恩納村では見ることができない風景だ。懐かしい沖縄の原風景を見た思いだった。脱着技術をトレーニングした。初心者向けの脱着から呼吸制限が加わった脱着、マスクなしの脱着等を行った。空気の枯渇感を感じながらのトレーニングでした。船上でのお湯のサービスは暖かった。

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2006年12月16日 (土)

座間味上陸です。

雨に濡れた座間味に到着しました。天気予報では大荒れの予報だった。午前10時に泊港を出港。今回は車で移動しているので午前8時半くらいに乗船手続き。車検証の持参で手続きでした。往復のフェリー移送。泊港での手続き中は曇天だった。雨が降り出す前だったのがせめてもの慰めでした。乗船して客室の絨毯に陣取る。ディバックを枕に寝る場を確保、気がつけば外洋に出ていた。ウネリの影響は感じなかった。波の予想が4mだったが、まだ凪状態だった。ホッとした。一番の揺れを感じたのは、阿嘉島から座間味島に行く途中だった。ゆったりした時間の中での移動でした。

 今回初めてのことがあった。それは離島に行く際に自家用車を持参したことだ。潜水器材、講習器材、緊急用の資機材等も小分けして郵パックや宅急便にて何日も前から発送しなければならない。今回は、直前まで講習を行っていたので講習教材のやりくりがギリギリだったのでした。すべて車に載せて移動となりました。幌馬車状態で何でも詰め込んできました。幌馬車なんて表現、判る世代は少ないかな。代表的なのは西部劇、西武開拓時代の映画に出てきますよ。クリント・イーストウッド主演のローハイドを観てください。NHK衛星放送で放映中だったはず。テレビ欄で確認してください。

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2006年12月15日 (金)

61億円ってMLBでは当たり前なのかな

微妙なお天気だ。空は鉛色の雨雲がいっぱいです。雨が降りそうで降らないのでした。風も弱い北風が吹いています。海はベタ凪状態かな。時おりリーフに白波が立つ程度であります。明日から冷たい北風が吹く予報だ。あぁぁぁぁ。のんびり船旅は味わうことができそうにないようだ。緊張してます。

 野球がビッグビジネスって言われる所以が判ったような気がします。今朝方の松坂投手を獲得するための契約金額、推定ですが公表されました。日本円にして61億円で西武からレッドソックスに移籍することが決まった。契約期間が6年なので単純に割り算をすれば一年10億円ということになるのでした。あとは合意に達した契約内容が部分的に公表されるが、契約社会の米国での細かい内容、日本でも参考になることがありそうだ。

 現在、NPO沖縄県ダイビング安全対策協議会の会員向けに各種トレーニングを計画しています。緊急事態での対応策としてマニュアル作りを行っています。その成果物をプラスチックコーティングしたものを5点作りました。その使い方の説明会とCPRとAEDを使うトレーニングを行いました。感染症対策を考えるとポケットマスクとラテックス手袋を各自に持たせること。水面での人工呼吸を行う際にもポケットマスクの使用を義務付けることを真剣に考えなければと思いました。

 従業員のスタッフに感染症対策を講じることなくCPRをさせることは経営者として安全対策を怠ったということで訴えられると負ける。これは医療関係の世界では当たり前のようだ。AHA2005ガイドラインでも感染症対策ができない場合のマウストゥマウス法の実施については胸骨圧迫心マッサージだけをしなさいという指示からも伺えることだ。

 しばらく通信環境の問題で、HPの更新ができないと思います。では

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2006年12月14日 (木)

全国区で放映されましたね

昨日はベタ凪の晴れ間が広がっていた。ホテルの喫茶室にて打ち合わせをしていた。米軍機の飛行ルートに極めて近い場所だ。ヘリコプターの爆音が聞こえてきた。大型ヘリの爆音だった。ついつい耳が動き、目線が海辺の窓に移った。CH53型が荷物をぶら下げたまま飛行しているのが見えた。へぇって目線が動きに合わせて動いた。その後は独り言に書いたヘリコプターを見学していたのでした。

 そんな時間帯に運搬物を海に落とす事故が発生したなんて思ってもいませんでした。もう全国区でも放映されたトリイステーション沖の沿岸寄りで落下事故を起こしていたのでした。スリング飛行していた。本日、引き揚げ作業をしたようですが、海が大荒れになって引き上げは断念したようでした。トリイステーションは、いわゆるグリーンベレーが配属されている特殊部隊の基地なのでした。CH53型機は、大型のヘリコプターに分類されるのでした。このニュースの一報を聞いたのは民放のRBCが午後6時前のラジオだった。一番遅かったのは午後7時前だった。情報収集力の違いなのだろうか。

 この事故は、普天間基地の移設先で建設が決まりかけている辺野古地区でも深刻な影響を残したのではないかと思うのでした。

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2006年12月13日 (水)

U-PITSを見学しました。

本日は沖縄で運用を開始した病人搬送用のヘリコプターを見学する機会がありました。日航アリビラにて責任者の方とお会いした。現状と来年度以降の運用見通しについて説明を受けました。久しぶりに明快な回答を得ることができました。もやもやが払拭することができました。

 あえて”ドクターヘリ”という構想ではなく、医療現場派遣および患者搬送システムU-PITS(URASOE PATIENT IMMEDIATE TRANSPORT SYETEMの略)。このU-PITSの文字がヘリコプターの機体に描かれているのでした。現在は単発のアエロスパシアル式AS350B型を使用しています。来年からは双発のEC135という機体になるとのことでした。この機体の特徴はテールローターがむき出しになっていないのでした。AS350よりも人数を載せることができるのでした。

 現在、アリビラ近くの海岸線寄りにヘリポートと格納庫、医療スタッフが常駐できる施設も建設するとのことでした。来年の2月に完成を目指すとのことでした。木が伐採されて整地作業が始まった。

海岸線近くで着陸できるエリアを探す予定。行政が運用しているドクターヘリよりも柔軟に対応できるシステム作りをしたいとの意向が強く働いていることが判った。

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2006年12月12日 (火)

季節は冬だが、気温は20℃を超えているのでしたぁ

12月12日、季節は冬の季節なのだが、気温は24℃を越えそうだった。車はクーラーが必要だった。やはり温暖化の影響かな。季節は冬なのだ。冬のはすだ。巷のニュースは年末年始の話題がチラホラ。今年も残すところ19日しかない。まだ19日も残っていると解釈すべきなのかな。師走の世相だが、景気は回復基調にあるとの宣言が政府から出されているが、現実には厳しいものがある。ニュースの多くは殺伐としたものの連発だ。

 前兼久のモズク栽培は非常に厳しいに状況にあります。それは水温が思ったよりも下がらないのでした。海水温が20℃くらいまでに下がらないとモズクの成長を妨げるのでした。すでにモズク栽培を諦める人も出ているのでした。ただ20℃以下になるとサンゴの成長にも影響が出てくるのでした。微妙な水温の推移なのでした。

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2006年12月11日 (月)

朝から痙攣だぁ 痛っ痛いの巻

夕方に凄いニュースがあった。中学生三年生の女子が酒酔い運転、無免許、ノーヘルにて400ccの中型バイク、それも二人乗りで捕まった。武勇伝どころの騒ぎではないのだ。捕まったのは早朝、つまり昨晩から飲んでいた。ビールや泡盛はコンビニで購入したとのことだ。未成年者にアルコールを販売したコンビニって、どこだろう。先日は、高校生が同じ行為で逮捕されている。ある島の教育委員長が酒酔い運転で検挙され、退職している。三件とも、この10日くらいの間に起きている。アルコールに寛容な地域だが、やはり大きな問題を含んでいる。交通事故まで引き起こす前だっただけかな。人身事故でも起こしていれば、もっと大きな悲劇となる。

 本日は、朝大変な事態が勃発した。それは午前7時前かな、布団の中で起きようと力んだ途端に右足が痙攣を起こしたのでした。ちょっとだけ力んだだけなのだが。今日のは10分以上も痙攣が続いた。足の親指を手前に引いてストレッチをするのだが、なかなか快復しないのでした。通常だと2~3分で痙攣が治まるのですが、今日は長引いた。痛かった。眠い頭の中で、真剣に最近の食生活でカルシュームを食べていないことを反省した。ヨーグルト、チーズは欠かさないが小魚を食べるのを怠っていたことを思い出した。カルシュームの錠剤でも飲もうかなって真剣に考えた。

 朝からファーストエイド、CPR/AED、DAN酸素プロバイダー講習を行っています。右足の脹脛の痙攣にならないように注意しながら、CPRのデモンストレーションでした。全身の観察の事故者役をしていて、生徒が観察する際に首の周りを調べる課題がありましたが、見事に両手で首を絞めてくれたのでした。患者の観察じゃなくて、俺様を殺すつもりかぁって笑ってしまった。首の周りを調べるのを両手でと指示した私が馬鹿でした。まだ、講習中なのでした。午後11時までに終わらせたい。眠い。

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2006年12月10日 (日)

新しい県知事さんが仕事を開始した

寒い週末の日曜日だった。朝から事務処理だった。海は荒れ気味。いつもながら週末の夜になるとバイクの爆音が響き渡る58号線です。米軍の航空機の爆音は騒音被害として訴えているが、バイクや車の騒音については、どうなんだろう。訴えることができるとは思うが相手が特定できないから難しいのかな。法律で規制しても限界がある。観光地としての騒音の限界、住民もしかりだが、一般観光客の方々は、どのように感じているのだろうか。

 沖縄県知事さんが交替した。これまでの稲嶺さんは、昨日で退任。新しい県知事さんの仲井真氏がお仕事を開始しています。明日は新聞休刊日だ。問題山済みの沖縄県のはずだが。新聞の休刊日、沖縄は多過ぎるように思えるのだが、内地の新聞については、あまり新聞休刊は知らない。マスコミの取材も、のんびりしているようにも思えるのでした。沖縄では米軍施設が返還されたり、整理統廃合が少しづつ始まっているが、県内の経済状態は改善されているとは思えない。観光で賑わいを見せているが、観光現場にいる我々は肌身で感じないのでした。

 失業率を改善するとの公約だが、ある島のハローワークで仕事を探しているのは県外出身者も多くなっているとの調査報告がある。地元民の失業率が改善されないのに、沖縄ブームで県外から若者が多く来沖している現実があるのでした。

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2006年12月 9日 (土)

マニュアルを読もうっと

那覇港から実習船を見送った。全員無事に海洋実習を終えた。ホッとしました。北風が吹く中の出港でした。実習船は500トン、ハワイ沖まで実習でマグロ漁に出かけるのでした。本州方面の等圧線は縦じまになっているのでした。ってことは冬型の気圧配置なのでした。

 ノートパソコンを新しいものに切り替えて一ヶ月以上が経過しました。新しいパソコンにも慣れてきました。あれこれ使い勝手が向上している。キーボードのタッチが滑らかなのでした。タッチするストロークっていうのかな。それも深くなく指のストレスも少ないのでした。自分もキーボードについてはブラインドタッチで打ち込んでいるのです。1分間に何ワードも打てるかの検定は受けていないが、文字変換する間も惜しむくらいの速さで叩くている。変換ミスで打ち直すことが思考を妨げることもあるのでした。鉛筆で紙に文字を書くような速度でも宜しいかもね。急いで書くことで悪筆になって読みづらくなるのも問題だ。

 あとは様々なソフトを使いこなすことが問題だ。付属のマニュアルを落ち着いて読むこともなく、とりあえず使いながら覚えればって考えるのですが、正しい使い方については、それなりにお勉強することが当たり前になっているのでした。生徒にはマニュアルを読んでくださいねって、念を押すのですが、自分のことになると困った時に読めば大丈夫なんてことで後回しにする癖がついてしまった。これは改めなければなりません。

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2006年12月 8日 (金)

2006年12月8日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 24℃ 23℃ 8~10m
2本目 ムーンビーチ砂地 晴れ/td> 25℃ 23℃ 8~10m
3本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 24℃ 23℃ 15m
4本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 24℃ 23℃ 15m
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本日は北風が強く吹いていた。リーフには白い波が崩れていた。ウネリは大きく、アンカーリングした船の揺れは強かった。修学旅行の体験ダイビングのレスキュー班として潜った。海況が厳しかったのでインストラクターと生徒の比率は1:1に近い潜りだった。

午前中に2本、午後も2本だった。船は一回ごとに港に戻った。自分はアンカーリングした船で待機して、次の潜りに備えた。久しぶりに船酔いしそうだった。

 午前中は濁りもあり透明度は10m以下で、満潮だったのでウネリはリーフを超えて寄せて来た。また水中では底揺れもバッチリ感じた。体験ダイビングの参加者の集中力が良かったかな。最後までトラブルなしで潜れました。連日の3本潜りだったので身体的には楽でありました。

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体験ダイビング4本潜りだった

朝から晴天、ただし風は北風、でも気温は朝からグングン上昇してお昼には25℃を記録した。もう季節は12月、太陽が出ているために日焼けバッチリ。本日は総勢100名の体験ダイビングを午前2回、午後2回の合計4本ダイビングでした。プログラムとしては体験ダイビング班と美ら海(ちゅらうみ)水族館班に分かれた。午後は交替という内容です。午前中に水族館見学をした学生さんが午後から体験ダイビング、透明度の問題、サカナの数等でがっかりしないかな。何てことを考えながら潜っていました。

 講習の高校生は、ダイビングスケジュールがすべて完了したために美ら海水族館を目指して北上した。途中、金武町にある鍾乳洞、今帰仁城跡、美ら海水族館、万座毛と見学した。学生さんたちは明日実習船にて学校に戻ります。明日から月曜日までの気圧配置図が心配です。荒れた海況の中での移動には厳しいものがあります。

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2006年12月 7日 (木)

2006年12月7日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 曇り 23℃ 22~23℃ 20m
2本目 ムーンビーチ砂地 曇り・小雨 23℃ 22~23℃ 20m
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朝の天気予報では、雨が降ることと風が変わるとの通報。飛び起きました。結局天気予報が当たった。2本潜り終わり接岸して潜水器材を下ろしていたら、土砂降りとなった。灰色の雲に覆われ、稲光や雷鳴も聞こえ始めた。高校生の海洋実習スクーバ8本、スキンダイビング1本が無事に終了しました。

海底地形図の完成を目指して再度チャレンジした。昨日に比べると水中での動きは抜群にグッドだった。メジャーやコンパス・水深計等を使ってのデータ計測と記録、手際よくチームワーク抜群だった。スクーバ潜水の前に全員がスキンダイビングにて10mチャレンジ。最初は4mからスタート、最終的に10mにチャレンジでした。昨日までの透明度10m以下とは違ってすっきりした視界の中でのスキンダイビング気分良かった。

 ラストダイブは、バディコンタクトを確実に行いながらのダイビング。女子班はトウアカクマノミまで、男子班は根を一周するために別々に行動を開始した。お天気は雨模様、空は鉛色の雲、午前中にも関わらず水中は暗かった。透明度が良かったのが幸いして暗いが20m先が見える状態だった。課題の砂の巻上げもなくトウアカクマノミを観察できた。男子は中層をひたすら移動して根をグルリと一周していた。耳のトラブルもなく、3日間の海洋実習が終わりました。ご苦労様でした。

午後1時過ぎに大雨・洪水警報が発令された。その前にすべてのダイビングスケジュールが完了しました。

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あぁぁぁ雨降りだぁ

本日も高校生の海洋実習です。天気予報は天候が崩れるとのこと。午前と午後一本づつの予定だったが、天候が激変する前に潜水を終了するように予定を変更した。すべての潜水が終わって器材を船から降ろしている最中に雷鳴と雨足が強くなった。一時的には港の出口も見えないくらいの強い雨が降ってきたのでした。今回も強運だった。前兼久漁港から3日連続で船が出せたこと。12月の天気では安定した日が続くことは稀だ。

 昨日、水温は21℃を記録した。ずっと水温が24℃くらいだった。自分等ダイバーさんにとっては水温が暖かいにこしたことがない。ただモズク栽培の漁師さんにとっては死活問題となる。今年は水温が例年に比べると高めに推移しているためにモズクの生育が思わしくないのでした。本来なら水温が20℃くらいまで降下することが、良いモズクを栽培するには最適とのこと。産業としての栽培漁業、生育の難しさが肌身に感じます。

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2006年12月 6日 (水)

2006年12月6日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 24℃ 21~22℃ 12m
2本目 ムーンビーチ砂地 晴れ/td> 25℃ 21~22℃ 10m
3本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 25℃ 22℃ 10m
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海洋実習2日目がスタート。本日の最初の課題は大深度潜水、真栄田岬ブイを予定して計画したが、ウネリが高く壁に白く波が砕けているのが望遠できた。潜水地を砂地に変更。大深度潜水で30mを目標としたが、25m前後までに変更した。エントリーして開口一番「冷た~いぃぃぃぃ」の連呼。外気温が高めだったので落差かなって、実際に自分もエントリーしたが、冷たかった。ダイブコンピュータでは2個が21℃、2個が22℃を記録していた。3mmのフードベストを追加して着ていたので、ラッキーでした。深場に潜ると浮力がマイナスになるために減圧停止を予定している場所にウエイト玉を1~2kgを外して置きます。ちょっとだけ軽い状態で深場に移動。水底の地質は砂泥なのでフィンキックで舞い上がると視界が極端に悪くなることが予想。予めウエイト量を減らした状態で潜降しているので水底を這いずり回ることもありませんでした。

2本目はコンパスを使ってのナビゲーション。バディ単位での活動としたが、コンパスに集中し過ぎて随伴バディがついて行くが必死だったチームもありました。水中での移動距離を勘違いしたチームもあり、インストラクターが必死に追いかけていった。修正しつつも誤差3m以内に戻って来ていました。

 3本目は海底地形図の作るためのコンパス、メジャー、水深計を使ってデータを計測、それを記録するというチーム単位で活動してもらった。2チームあるために同じ場所で測定をすると混乱するために2箇所に分かれて計測してもらった。まあこれも大爆笑気味だった。最初のスタート地点が重なりそうだったので、お互いに調整してもらった。あいにくと水中視界が悪くかったので、ナチュラルナビゲーションとしての周囲の地形や岩、サンゴの欠片等をしっかりと認識することは難しかったようです。相当苦労していました。一日中、東風だった。海面はウネリとなって荒れていた。ログギングでは海底地形図をグラフ用紙にプロットしてもらうことになっている。完成した地図を明日の潜りでさらにバージョンアップ、そしてサカナやその他の生物名も記録してもらう予定だ。

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体験ダイビングあれこれ

本日も高校生の海洋実習です。幸いにも天気に恵まれて晴れ間が広がっています。ただ東風が強いためにポイントが限られています。実習なので冒険もおかせません。帰路は実習船での船旅になるために病気にも要注意となります。ポイント選びも細心の注意が必要なのでした。

 修学旅行で行われている体験ダイビングでは、様々な懸案事項があると書きました。ケガについては圧倒的に多いのは圧平衡の問題があります。平たく言えば潜水時の耳抜きの問題でトラブルにつながります。事前に健康診断データがあるので参加者のデータを確認します。分類としては潜水ができない人をあぶり出します。健診データで大丈夫と判断されても、耳鼻関係は最終的に潜降させてみないと判らない場合があります。耳がなかなか抜けない場合。あるいは全然抜けない場合もあります。あとは痛みに鈍感というか、2mとか3mとか潜ってから急に「耳が痛いって」サインを出して、浮上サインが出されちゃいます。あとは痛いと思い込んでしまう場合もあります。この場合は、動作自体は抑制傾向にあります。

 結構、強引に水底に引きずり込んでしまうようにグイグイとオーバーウエイトにして潜降というよりも水底に落とすなんてイメージになっていることも報告されています。体験ダイビング自体は必死で潜って、その後緊張状態が解れた途端に音が聞こえにくいとか、ボワーンとしているなんてこともあります。ご飯を食べようとして顎を動かすと耳管の当たりに痛みを覚えるとか、ご飯を飲み込もうとした際に喉に痛みを感じたりとかの諸症状を訴えることが多々あるようです。急性の中耳炎を発症しているかもしれないのでした。

 楽しい体験ダイビングが、耳鼻科への通院で1ヶ月かかったとか、飛行機に乗って皆と一緒に帰れなかったとか。なんてことも報告されています。また溺れて入院したケースも報告されています

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2006年12月 5日 (火)

2006年12月5日ログ記録

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 真栄田岬ブイ 晴れ 23℃ 24℃ 20m
2本目 ムーンビーチ砂地 晴れ/td> 23℃ 23~24℃ 12m
3本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 22℃ 23~24℃ 12m
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今日から高校生の海洋講習が始まりました。この時期の海洋実習になっているのでお天気の具合が心配なのでした。天気に恵まれているうちにダイビング本数を消化したいので午前10時過ぎから潜りました。夕方まで3本潜りました。学生さんも真剣に潜っていましたよ。参加者は三年生で、卒業前の海洋実習なのでした。中学生からのダイビング経験者から高校に入学してから授業でダイビングを覚えて学生さんと、各自のダイビング経験も多様化しています。各自の好奇心が旺盛なので寒さもぶっ飛びます。

砂地では弱い流れが沖に向かってありました。ブルブル震えていました。村田のダイコンでは2個が23℃、2個が24℃を指していました。オレンジワンピース一枚だけでは寒いのでした。9名を二班編成にして村田は全体の統括のお仕事でした。

 

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高校生の講習開始

沖縄では修学旅行花盛りだ。年間45万人を超える修学旅行生が沖縄に上陸したとのことだ。我が国際潜水教育科学研究所では、本日から高校生のダイビング実習が始まりました。学校の実習船で沖縄にやってきました。出港は12月3日の朝、内地では北風ビュービュー海は大荒れの中の出港だった。沖縄に近づくに従って海況は落ち着いて来たとのことでした。学生さんは当直のワッチと食事当番、日中は講義のスケジュールをこなしながらの来沖だった。まだ身体が揺れているって学生さんからの言葉がありました。

 沖縄各地で修学旅行の体験ダイビングが盛んに行われています。最近、あれこれ聞こえて来ることが多くなったことがあります。潜水時間の問題、使用している機材の問題、呼吸するガスの問題、指導するスタッフの問題、インストラクターと生徒の人数比率の問題、教え方の問題、潜水時間や深度の問題、スタッフの潜水回数の問題等々。表立った事故例は、報告されていない。ただ平成6年にあった体験ダイビングでの死亡事故は記憶に残っています。早急な対策を講じることが必要と考えています。

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2006年12月 4日 (月)

寒い朝でした。

寒い朝を迎えました。これからの季語になるかな。「今年一番の寒さです。」って書き出しが多くなるかと思います。自分もとうとう冬物の長袖を5着ほどひっぱり出しました。文字通り、衣装ケースからひっぱり出しました。夏物の半そでについては、すべて洗濯が終わっていないので衣装ケースにしまうことができないってことは、部屋は衣服であふれかえっているということですね。とりあえず寝る場所は確保してあります。

 明日から高校生の講習です。今年は人数が激減です。今回の学年は入学時から少ない学生数なのでした。さあ、今年の学生さん、どんな表情かな。明日からのダイビング実習が楽しみです。あとはお天気が気になるところであります。お天気の神様に祈ります。この何日間は、天気図が気になります。とくに大陸からの冷たい寒気団の襲来具合です。

 寒いっていっても沖縄では最高気温は22℃くらい、最低気温は18℃くらい。本州では一桁台の5℃とか2℃。お天気も雪とかミゾレ混じりの寒いじゃなく、冷たいという言葉が似合い気象状態になっている。沖縄は20℃以上の気温になっているのですが、風が北寄りなので寒さを感じてしまうのでした。

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2006年12月 3日 (日)

ほっと一息 フゥゥゥゥ

今週は多忙な一週間だった。11月28日から30日までが久米島でのお仕事。12月1日から3日、本日までは恩納村にてワークショップの講師のお手伝いでした。先ほど、那覇まで送り届けて任務終了。フゥ。心地よい疲労感ってとことです。

 日本全国から参加者がありました。熱心な講演を堪能させてもらいました。初日は水辺で技術の検証会、マリンジェットに接続したレスキュースレッドを使っての溺水者の救助技術、カヤックを使っての溺者救助、古典的な水面でのダイバーレスキュー技術。ライフセイバー、カヤッカー、ダイバーと三者三様のスポーツなのですが、危機管理意識の中での技術の交流、合体等を実地にやってみた。ダイバーの救助技術については昔ながらのドゥ・セィ・ドゥ方式による水面曳航法。動力を使ってのスピード感のある救助技術を合体させることで救命率が上がればと思うのでした。

 今回は酸素の活用についても考えてみた。驚きはダイビングが重要な地域の経済を支えている沖縄において、ダイビングサービスでの酸素資機材の普及率が全国の中でも最悪の状態であることが明確になった。北海道ではダイビングサービスが酸素供給資機材を常備しているのは当たり前、おまけに自動除細動器の装備率も高いことが判明した。伊豆半島でも同様な傾向であるとのことが判った。

 今回のワークショップでの沖縄の関係者の参加者は、数名だった。ダイビング業者が500軒近くある中の数名です。これが沖縄のダイビングを表している現実かもしれないのでした。どうなるのだろうか。

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2006年12月 2日 (土)

基調講演、面白かったぁ

海辺の指導者養成講習会の2日目。東京から講師が来沖してくれました。基調講演として「酸素の有効性について」を東京医科歯科大学の眞野喜洋教授が話してくれました。 二人目の先生は、慶応大学の弁護士の麻生利勝先生が「酸素供給における法的側面」を説明してくれました。お二人とも忙しいスケジュールを調整して参加してくれました。

 酸素については酸素減圧の話題を中心に解説してくれました。酸素の有効性と危険性を判りやすく説明してくれました。例題として宇宙飛行士の減圧の問題で説明してくれました。宇宙服を着て船外活動する際の減圧、これまでは最低12時間の減圧が必要であったが、それを2時間半程度の減圧でも大丈夫なような手法に変更できた。それは酸素減圧を行うことで可能になったとのことでした。また空気だけで加圧する現行の再圧治療についてのリスクも解説してくれました。圧力下で酸素を呼吸することで体内に溶け込んでいた窒素を洗い流してくれることも判りやすく説明してくれました。

 法的側面では、対応する自分等自身がしっかりと理解していないと駄目とのことだった。酸素については改めて有効性とマイナス面も再度、勉強しなければと思った。記録を残すこと。「孤高なる自尊心・使命感」の重要性。

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2006年12月 1日 (金)

複合レスキュー対応

本日は朝から恩納村コミュニケーションセンターを会場にして講演・講習会が開催されました。自分は二つの掛け持ちのスタッフ対応でした。日本安全潜水教育協会主催、沖縄県ダイビング安全対策協議会も協力しています。午前はDAN酸素プロバイダー講習からスタート。午後からは恩納村の海浜公園にてレスキューワークショップを開催しました。プロのライフセイバーを招聘してジェットスキーにレスキュースレッドを取り付けての溺者救助法。シーカヤックを使ってのレスキュー。それにスキンダイバーレスキューの技術でした。レスキュースレッドを使う技術は、動力を使っての迅速なレスキューが可能なのことが理解できた。

 シーカヤックについては、シットオンタイプでもバランスを崩すと転覆してしまうことが判った。自分のように体重が重いのはバランスを崩しやすい傾向にある。見事にひっくり返ってしまったのでした。ダイビングの場合は、体ひとつで泳いで助ける。自分が教えたスキンダイバーレスキューは25年以上も前に開発した技術だ。何も進歩していないなぁって考えこんでしまった。

 水辺活動では溺水事故や何らかのことで溺れる可能性があります。それに対する技術としては事故を防止する方法が優先。あとは迅速にCPRや酸素供給できるように陸上または船に引き上げる必要があります。迅速に水面を移動させるには道具を使うこと。それとチーム単位での救助活動の重要性の認識だ。発想の転換が必要。

 今日から師走。平成18年も残り一ヶ月だ。

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