« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »

2008年4月30日 (水)

自己防衛本能はしっかりと

すでにゴールデンウィークが始まっています。ダイビング関係では表立っていないが事故が連発している。すでに漂流というか、ダイバー置忘れ事案が二件。ガイド付きだったが、一緒に置き去りにされたゲストダイバーさんの心中は如何なものか。

 

 それにしても自分の船のガイドとゲストを確認せずに帰港するって、船長の心理は何を考えていたのだろうか。早く帰らなければならない事情でもあったのだろうか。シーマンシップとしても失格と思う。これまでは海況が、ちょっとだけ荒れていたので見失って漂流している事案が大多数だった。でも明らかに初歩的なミス。実名での名簿管理をしていないのだろうか。ただ頭数を数えた。でも二人を残してってたことは指を使ってでも数えて指折りの回数を間違ったのだろうか。

 これまでは考えられないダイバー置き去り事件だ。

 

 あとは二件U-PITSにて現場から医療機関にダイバーが搬送されています。非常に短時間に立ち上がって医療支援を実施しながら、適切な処置のできる医療機関へと搬送されている。二件のダイバーの事案については原因は明らかにされていない。事故が発生するが、なかなか当事者が公表することがない。まして公的捜査機関では、新聞発表でもしない限り事故の概要すら判らない。ただダイバーが海で溺れたり減圧症になって搬送されたってよ。

 事故防止策を練るためには何ら対処が取れない状況にあると言えるのでした。訴訟騒動が待ち構えているかもしれないので、当事者は寡黙になってしまうのだろうか。現場では、よほど様々な情報を仕入れるためにアンテナを張っていてもなかなか真相が掴めないのでした。

 自己防衛、お店選び、ガイド選び、お値段だけでは危ないかもよ。自分の安全は、自分で守るようにしてください。自然界での掟です。

| | コメント (0)

2008年4月29日 (火)

四半世紀

民族の大移動開始まで、あと3日かぁ。今年の沖縄方面は、どんなんだろう。どっとお客さんが殺到するのだろうか。まあ自分が考えているのはダイバーさんがどれくらい潜りに来てくれるのだろうかだ。航空チケットの争奪戦が、凄かった。人数ではなく人名がないと予約の確保することができなかった。徹夜で並んで整理券を確保したなんてことも記憶にあります。インターネットの時代、携帯電話でもネット予約できるようになっているから、ある時間になると一斉に携帯電話で予約するのでした。

 沖縄本島では、携帯電話の電波が通じにく地域に生活しているダイビングスタッフは、電波が通じるところまで遠征して、ひたすら航空券をゲットするために奮闘するのでした。マックやエンダー(沖縄だけかな、A&Wというファーストフード店)でも、コーヒーやルートビア片手にボタン操作するのでした。

 内地から来る方々も、それなりに苦労して航空券を確保しているだろうな。20年以上も前にダイビングポイントで知り合った仲間、四半世紀という長い歴史の中でのダイバー仲間。また潜りに行っているだろうな。

 毎年、この時期にだけ顔を合わせるダイバー仲間もいるし、何年かぶりに出会う仲間もいるのでした。四半世紀という年月は、それぞれの風貌まで変えてしまう。でもひとたび水中に入った途端、昔の記憶が蘇ってくるのでした。懐かしい。

 

 今年のゴールデンウィークの海、どんな出会いがあるのだろうか楽しみだ。

| | コメント (0)

2008年4月28日 (月)

新人ガイドの正念場かもよ

お天気は、まあまあだが北風が吹き始めている。Tシャツ一枚だけだと寒いのでした。

 さあ平成20年のゴールデンウィーク、如何な幕開けだろうか。

 すでに事故情報も入ってきている。今年は例年以上にダイビングスタッフが不足している。人材確保に懸命になっています。また中堅さんが不足しているために新人教育ができる人材がいないのでした。マニュアルがあるから大丈夫と思っているが、実際には役に立たないのが現状になっています。今年の新人さんとお客様の会話、チンプンカンブンな会話になるかもしれない。

 今年は例年とは違うことは、高齢者の多くなりそうだとのこと。自分が55歳。60代の方々が多くなっているのが、幾つかのダイビングサービスから問い合わせが来ています。どうしようか。高齢者といっても二種類に分けられます。一つは古くかダイビングを楽しんで来た、経験年数20年を越えそうな高齢者ダイバーさん。

 最近ダイビングを覚えたという初心者ダイバーさんまでレパートリーは広い。以前は、水泳愛好者が多かった。プール関係でもしっかりと距離を泳がせて、それなりのトレーニングを積んでいた。でも最近は、トレーニングについてはプール水底にて課題のスクーバ技術を練習して、その技術ができればOKという風潮になっていると本人さん等は申告してきます。潜れるかなって心配になっているようです。水深の深いプールにて練習しますが、あくまでも、その場で動かないでの講習になります。

 実際の海になると動きますし、水深の変化による圧力変化もあります。空気消費が大丈夫かなって考えてしまうのでした。あとは浮力コントロールが、どこまでできているかだ、沖縄ではサンゴが有名だが、正直言って初心者ダイバーさんにはサンゴの近くまで寄って見せてあげるが、上を泳いでみようなんてことはご法度だ。サンゴバキバキボキボキでは大変なことになるのでした。

 さあ、あすからガイドさんの正念場でもあります。事故情報が飛んでこないことを祈ります。

| | コメント (0)

2008年4月27日 (日)

あなたなら、どうします

週末でした。ガイド依頼がありましたので、旧知の方にガイドをお願いしました。これまでも20年来の仕事仲間でした。比較的、海況の安定していたので水中を楽しんでもらえたようです。自分は丘番でした。周囲のお店も活気付いてきています。比較的気象海象が安定しているのでした。

 

 さてさて、困った。皆さん本当にご自分が使用する器材のオーバーホールを確認していますか。間違ってもオーバーホールが終わったまま、そのまま装備してドボンってなことがないでしょうね。レギレーターではセカンドステージのダイヤフラムがひっくり返っていて、それを知らずに潜降開始セカンドステージから大量の海水が口にゴクリとなります。通常に空気が入るとばかり信じきっていたダイバーさん、海水の誤嚥は辛いものがある。潜降を開始したら浮力を得るためにBCにも給気してください。ガイドとしては、そのような指示が必要になりますね。

 

 自分が使った器材、それで溺れてしまうなんてことが起きる可能性がある。

 何で潜る前にオーバーホールした器材を試してみることがないのだろうか。一本のタンクが勿体無いと思ってしまうのだろうか。

 リゾートの若いスタッフさんも経験が不足しているためにオーバーホールを信用しているために器材が故障するなんてことも理解していないようだ。ましてレギレーターが使えていれば水中で誤嚥しても何とかリカバリーできて呼吸を確保することができるとも信じてしまうのでした。せっかく、ガイドもオクトパスレギレーターなるものとを装備しているが、それすら知識として欠落しているかもしれないですね。だって自分の使っているレギレーターの限界やオクトパスレギレーターの性能を理解していないのでした。

  ってことは自分自身が自己防衛するしかないのでした。

 スタッフに聞いてください。自分がいる居場所で潜水事故が発生した場合の救助手段は、どうなっているかって。てきぱきと答えられる場合と笑ってごまかすか。事故なんて起きることは絶対にありませんて笑って答えが返ってくるかもしれないですね。

 さあ、あなたは如何しますか。

| | コメント (0)

自分はお留守番でした

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度
1本目 ヤマトビシ 晴れ 25℃ 22℃ 20m
2本目 ムーンビーチ砂地 晴れ 東・微風 25℃ 22℃ 20m
3本目 真栄田岬ブイ 晴れ 東・微風 25℃ 22℃ 30m
コメント
朝から吉岡氏にガイドをお願いしました。彼とは既に20年を越えて仕事を一緒にしてきました。私の潜り方に精通しています。平均本数200本を越えるダイバーさんでした。お二人ともカメラを持参していました。適度にシャッターを押して撮影していました。お二人とも熱心なダイバーさんでした。ロギングしながら撮影した映像を見せて頂きました。老眼ガイドさんでしたが、しっかりと映像を確認することができました。

 次回の予約は5月3日からです。

 

 

| | コメント (0)

2008年4月26日 (土)

オーバーホールは大丈夫

週末になりました。日本国では民族の大移動の時期です。もうダイビングポイントに向かっている頃と思います。今年はメーカーの方々が泣いていました。それは潜水器材のオーバーホールに出される数が圧倒的少ないとのことでした、

 

 これって我々ダイビングサービス現場では怖い現象になるかもしれないのでした、もしかして現場で潜水器材の不具合や故障が出るのではないかと心配しています、

 たしかに潜水器材が壊れにくくなったことは認めます。耐久性が向上したのです。それでもレギレーターについては一年に一回を受けることが原則だ。メーカーも万が一の場合にも指定されたオーバーホールがされているとを前提にしているのでした。

 

 皆さんのオーバーホールは、すでにお済ですか。ばっちりですよね。ダイブコンピュータのバッテリーも新品になっていますよね。あとはメタボ気味のお腹に保温スーツはバッチリですね。ブカブカでも、キツキツでもないですね。

 エントリーした後の最初のレギレーター呼吸がセカンドステージのダイアフラムが固着していたなんてことがないようにしてください。マスクストラップがエントリーした衝撃で切れたなんてこともないですよね。同じようにエントリーした衝撃でフィンストラップが切れたなんてことがないように。最高傑策は、BCのインフレーターを作動させた途端に切れちゃったなんてことがないように。



   くれぐれも注意してくださいね。

| | コメント (0)

2008年4月25日 (金)

無事退院してきました、

麻酔専門医が右手静脈から全身麻酔の注入が始まりました。その直前に酸素マスクが目の前に来ました。ついいつもの癖で左手でマスクを支えようとしました、麻酔科医から「大丈夫ですよ。」DAN酸素プロバイダーの講習の習えですね。習性とは恐ろしいですね。自分が麻酔を受ける段階なのに。「麻酔薬が注入されると血管内がチクチクしますよ。それから10秒ほどで眠くり・・・・・。」自分の反応としては、あチクチクしてき・・・・・・たぁ」、その後記憶は一切ありませんでした。気づいたときは手術が終わっていました。気管から酸素チューブを抜こうとして負いました。一気に引き抜かれ、そのまま通常の空気呼吸になりました、病室はICUではなく、一般病棟に搬送されました、1日くらいはICUで丁寧に経過検察をしてくれるなかって思ったが、私よろ重傷者の対応に呼ばれていた。

  ナースコールボタンはありましたが、21日から22日までに麻酔が完全に醒めるまで、何回か確認に来ていました。盛んに血糖値を測定していた。自分の血糖値については96から107で平均的には100だった、血圧については、手術前日、118/78、酸素96%、体温36.3℃

 手術当日は、午前6時気象、必要最低限の薬を服用するように、午前8時30分まで排尿をすませて手術室に行きました。手術台は温められていたので寝転がった際に気持ちよかった。手術中は96/60、術後110/90、酸素飽和度94でした。なかなか血圧が上がりませんでした。

 手術が終わり一般病棟に戻ったのですが、酸素は4リットル投与された、マスクは中濃度マスクなのですが自分の顔のサイズに合わないので装着していると行き苦しかった。看護士さん、顔のサイズとマスクのサイズを確認してほしかった。でも、積極気声がでないので、口でアチコチ動かしていた。マイ酸素マスクを持ってくれば良かったかな。一番困ったのは、膀胱に入れたカニューレのおかけだろうか、膨満感が付くなり過ぎて、その緊張の余り腰が超緊張状態になっていたでの腰の具合が最悪な上になった、実際の手術部位よりも腰の痛さは最高だった。

 腰の痛みを和らげるために痛み止めを処方してもらいました、腰痛防止ベルトを強力なものを買い求めました、 情け長いが長いこと横たわったことがなかったので、持病の腰痛が一極出てしまった。お年寄りみたいによたよたと真っ直ぐ歩けなく、段差が苦手なのでした。血圧や102/60とか70なのでした。

 退院しました。主治医からは、とうにかく静養せよとのこと。でした。 はい、しっかりと言いつけをまもります。

| | コメント (0)

2008年4月24日 (木)

血糖値100、血圧は110から90、80から60でしたか推移しているのでした。くしゃみやせきが肺全体的揺さぶる痛み、縫合したか部位にもよい痛みがはしるのでした。 体調は良好に推移しています。

| | コメント (0)

手術4日目です。

術後四日目。

| | コメント (0)

2008年4月23日 (水)

手術3日目です

昨晩から肺を膨らませてい胸腔内入れていたドレーンチューブを抜ききぬきました、深呼吸を繰り返しタイミングを見計らって吐ききったままで呼吸を止めているあいだに抜管としてするのでした、看護師さんには躊躇なく一気に引き抜いてほくいと叫んでしまった。エイリアンの誕生のようだった。 抜いた箇所そのまま縫合してテープで固定しました。

| | コメント (0)

2008年4月22日 (火)

手術終わりました。

21日無事に手術が終わりました。三時間半だった。内視鏡を使っての肺嚢胞の切除手術でした。今日から歩くように指示されてます。手術後のエコノミー症候群対策で脚に定期的に空気を送るエアーチューブを巻き付けられました。オシッコはカテーテルで自動的に吸引する方法でした。違和感がありました。尿道カテーテルは午後に抜かれました。 肺からのドレーンチューブは右側についたままです。明日か明後日に抜管できるかな?血圧は低めに推移しています。少しずつ元気を取り戻しつつあります。

| | コメント (0)

2008年4月20日 (日)

ちょいと、ひと休み

これから入院です。多くの方から激励のお言葉を頂戴しました。ありがとうございます。しばしの静養をさせて頂きます。

  人体の不思議、まだまだ判らないことが多いです。二週間の臥せ状態では、体力が低下したことは否めません。回復は早いかなって思ったのですが、年齢を考えると低下するだけになりますね。あらためて体調を整えトレーニングしなければと思います。

| | コメント (0)

2008年4月19日 (土)

もらった命。ご心配をお掛けしております。

ご無沙汰しております。 沖縄本島の村田幸雄です。村田自身に起こったことを報告させて頂きます。

  <<概要>> 1.いつ 平成20年3月15日(土) 午前10時40分くらい

  2.どこで 沖縄本島 恩納村 前兼久漁港沖 山田ポイント(通称:砂地ポイント)  潜水ログデータ(クアンタムに保存されたデータ、携帯電話の時計より5分遅い)   エントリー10:03 エキジット10:38  最大深度 21.1m 平均深度 9.9m  水温22℃

  装備内容 : 6.5mmカブリ両面スキン地(ロングジョン、フード付き上着)、スノーケル(ビーイズム)、マスク(ビーイズム)、BC(ネルエスD、ビーイズム)、レギュレーターおよびオクトパス付き、残圧計(ビーイズム)、フィン(ダイブチームムラタオリジナル)、ブーツ、ダイブコンピュータ(ダイブデモ:ビーイズム、クワンタム:エイペックス、ヴァイパー:スント、エイピーシステムズ:ダイブブレイン、シチヅン:アクアランド)、ウエイトベルト4Kg腰、ウエイトベスト6Kg、10リットルスチールタンク、3.4リットル酸素シリンダー、酸素用レュギレーター:エイペックス

  3.誰が 村田幸雄 単独潜水 ボートダイビング(体験ダイビングへ乗合便乗)、定点ブイに係留、船上には船長とダイビングスタッフ2名が残っていた。

  4.どうなった 最大深度21mにてトウアカクマノミを撮影して、船へ戻るために浅場に戻る途中の、深度6mくらいで自力で息が吸えなくなった。

  5.なぜ 水中で右肺の肺嚢胞( はいのうほう )の破れが広がり、自然気胸( しぜんききょう )が増悪したために

  6.どのように対処したか レギュレーターのパージボタンを押しながら強制的に吸気した。船の下へ到着後、潜降ラインに予備ウエイト、酸素シリンダー、酸素呼吸できるレギュレーターをぶら下げいた。水底(5m)にて酸素レギュレーターに交換して窒素を早期に排出したかった。そこで、自発呼吸ができないために酸素レギュレーターのパージボタンを押しながら純酸素を呼吸した。その際、浮力が強いために水底5mに留まることができないために潜降ラインを握りしめてユックリ浮上した。連続排気を意識する心の余裕はあった。呼吸がおかしくなった時点では浮上しようとの選択肢は考えたが、減圧症の併発も考えられたので水底を船の下まで自力で泳いだ。時間的には3分程度の時間経過でした。



   <<詳細経過説明>> 平成20年3月15日(土)に水中で自然気胸が憎悪しましたが、何とか一命をとりとめました。U-PITS(浦添総合病院運営)のドクター・ヘリコプターにて極めて短時間に救急搬送してもらいました。救急搬送された先は名護市にある北部地区医師会病院でした。3日間はICU(集中治療室)、その後は一般病棟に入院でした。( 肺が潰れたままで治療が遅れると、潰れた肺が二度と膨らまなくなってしまう危険性が高くなるので、緊急な治療が必要でした。)

  村田の携帯電話にてU-PITSに電話してもらいました。自発呼吸が難しかったので代わって情報を伝達してもらいました。

  11:18 出動依頼(消防にも連絡するようにと指示があった) 11:25 ドクターヘリが読谷基地出発 11:33 前兼久漁港着陸(南部徳洲会病院へ連絡したが、対応できないとのこと。次の選択肢として北部医師会病院に連絡して対応受諾) 11:59 前兼久漁港を離陸 12:07 名護市数久田へ着陸(北部地区医師会へリポートが工事中だった為) 名護消防の救急車にて陸路、北部地区医師会病院に搬送された。 12:24 北部地区医師会病院救急部に到着

  <<救急車やヘリ搬送中の処置内容>> U-PITSのヘリ内では酸素をノンリブリーザーマスクで毎分12リットルを供給していた。最初の酸素飽和度測定で、自分自身の酸素飽和度が82だったことを記憶しています。心電計で心臓をモニターしていた。乱れは測定されていなかった。補液はしませんでした。ヘリ機内では酸素だけでした。名護の数久田に着陸して名護消防の救急車に移されてから補液の予定だったが、右手の甲の血管を確保しようとしたが注射針が刺さらなかったと記憶しています。ケロイド状の跡が残っています。潜水直後は血管が硬くなっていることが多いと説明を受けた。この名護消防の救急車については北部地区医師会病院の医師が同乗していた。ドクターカー的な機能を果たしている。陸路では振動がきつかった。自分の体が大きいのか寝かされているストレッチャーからはみ出しそうな感じだった。とくに腕の置く位置で困った。

  <<治療経過>> 3月15日(土)から27日(木)まで右肺にドレインチューブを入れて肺の機能を回復するための処置を受けていました。搬送直後に撮影したレントゲンで完全に右肺が萎縮していることがわかりました。3月29日(土)の午後に退院してきました。肺からのドレインチューブを抜管したのが27日(木)でした。二週間にも及ぶ入院生活、人生始まって以来の長期の臥せ状態でした。4月3日(木)に抜糸しました。

  4月4日(金)に中頭病院にて呼吸器専門医による精密検査をお願いしました。その結果、右肺については手術できるか肺胞が変性して肺嚢胞を形成している箇所も精密なCTで再確認することができました。

  4月20日(日)に入院、21日(月)に病変部の切除手術を受けることになりました。手術後の入院期間についてはおおよそ一週間程度とされています。呼吸のリハビリの程度にもよります。

  << 溺れなかった理由の考察>> 1.結果的に肺に空気が入っていたので沈むことはなかった。 2.水底での姿勢は、右体側を水面に向けた横向きの姿勢だった。 3.強制的にでもパージボタンを押して送気した。吸気を確保できたのだろうか。 4.水中で酸素用のレギレーターに切り替えたが、これもパージボタンを押して辛うじて吸気できた。 5.水底および浮上中、呼吸を止めることはなかった。自然に排気できていた。水慣れ十分。 6.水面に出た後に、最初にBCへの給気動作。瞬時に浮力を確保できた。 7.船上に船長以外にダイビングスタッフが居た。水面からの呼びかけに呼応してくれた。 8.村田、喋ることが苦しかったので、単語程度の会話、「器材外すぞ」「呼吸が苦しい」程度 9.腰に4kg、上半身にウエイトベスト6kgに分散していたので、急浮上しなかったかな。 10.船の真下まで水底移動して戻った。潜降ラインを掴んで浮上した。スピードコントロールできた。 11.腰のウエイトベルト脱装、BCユニット脱装、ウエイトベスト脱装、スーツ上着脱装、それから船のステップまで自力で移動、ステップにつかまりながらフィンを脱装して船上に上がり、船首にてうずくまった。顔色は真っ青とのことでした。酸素シリンダーを抱えてレギレーターのパージボタンを押して鼻から給気していた。横隔膜が押し上げられた状態だった。ブーツを自力で脱ごうとしたが、力が入らなかった。 12. 体験ダイビングのグループがエキジットするまで待った。 13. 港に着くまでの間、酸素シリンダーから酸素を給気することができた。 14. 着岸後、酸素キットと予備シリンダーを準備してもらった。

  <<反省点>> 改めてヘリコプターの威力に感謝しております。また多くのガイド仲間、船長、医療、消防関係者の連携に感謝します。村田自身は、法律で定められていた潜水士の健康診断を年二回受診し、完全に禁煙して六年が経過したのですが駄目でした。肺の肺胞が変性して嚢胞になります。これはレントゲン写真では判らないようです。胸のCT画像を撮影してもらうように追加オーダーしてください。とくに喫煙者、受動喫煙の可能性のある方。恥ずかしながら自然気胸の前兆を理解できませんでした。不覚でした。ただ3日くらい前より、弱いカラ咳が数回連続することがあったことを記憶しています( 軽い自然気胸状態と思われる。陸上生活だけなら自然に治る場合が多いらしいです )。最終的な確定診断名は、自然気胸でした。

  入院時のCT検査にて両側の肺に先天性肺嚢胞の存在が確認されました。潜水禁忌を宣告されました。自分としても納得しており、医師の宣告を真摯に受け止めております。 ※ 単独潜水の危険性 今回は偶然浅い水深での発生でしたが、深い水深では水圧が高くパージ程度では吸気不可能ですし、心臓変位による失神の危険性がありました。バディに異変を知らせるか気付いて貰って引き上げて貰う必要がありました。バディシステムは公務潜水を含めて、万一の場合への対応策として基本中の基本です。船上テンダースタッフとは全く別の問題です。ベテランと言う慢心があった筈です。

  ※ 躊躇 ヘリコプターを呼ぶことも救急車を手配することも躊躇。大げさにしたくないという心理状態。これは我々オジサンならずとも、日本人ならではの「恥の文化」から当然の心理ですし、「何とかなるかも」の平和ボケもあります。マリンスタッフ側では、危機管理として「最善を尽くした」と言える意識改革を徹底しておかないと、躊躇が「事故隠し」として捜査側やゲスト側関係者に疑念されてしまう現状認識が必要です。

  追加 : 自然気胸と肺破裂の違い 肺は膨らませる前の風船と同じで、小さく縮まろうとする性質があります。それを胸の大きさに合わせて膨らませて空気の出入りを可能にしているのが、肋骨と呼吸筋と横隔膜で囲まれた胸腔と呼ばれる入れ物です。刃物で刺されて胸に穴が開くと、胸腔内に空気が入って肺は縮んでしまいます。肺は無傷でも吸おうとしても吸えません。この胸の内で肺が縮んだ状態を気胸と言います。また、胸腔に穴が開かなくても肺に小さな穴でもあれば、風船と同じように肺が縮んで息が吸えなくなります。これが自然気胸です。痩せ形の若い美男子に多い病気と一般には言われていますけど・・ ・。呼吸を止めた急浮上による肺破裂とは全く別物です。

  改めて今回のような緊急事態に陥った際に比較的迅速に酸素供給、予備酸素の準備、手配関係等で短時間に救急搬送まで出来たのには、船に船長さんやダイビングのスタッフが船上に居たこと。 自分の年齢(55歳)になると何らかの身体的には生理的問題を抱えることが多くなるので単独潜水は禁止なのだが、単独の状態で潜っていた。今回の一件は非常に幸運が重なったと思います。

  心理的には、まさか自分が気胸になっているとの認識は薄かった。心臓のリズムが狂ったかな程度でした。横隔膜がつき上がった感覚と口からの吸気動作が出来ないという認識だった。そのために鼻から酸素を吸うようにしていた。これは病院に搬送されても口から吸気を試みたができなかった。ヘリコプターを呼ぶことも救急車を手配することも躊躇した。自分より重傷例がいるかもしれないから呼ぶのに躊躇した。

 港について予備酸素シリンダーに切り替えてから、このまま酸素を吸っていれば直るかなと真剣に考えていた。でも、呼吸の改善が見られないのでU-PITSに直接連絡を村田の携帯電話からして知人にしてもらった。 大げさにしたくないという心理状態。恥のイメージ、周囲に迷惑をかけているという感覚もありました。そのために前兼久漁港に接岸しても甲板上に横たわってていた。隣りの船では中高年者の体験ダイビングに出発する準備でお客さんが乗っていたので、騒ぎにしたくなかった。酸素がなくなったので、予備の酸素シリンダー(10リットル、2リットル)を事務所に取りに行ってもらい酸素を交換した。

  U-PITSに連絡したら、すぐに前兼久漁港に向かう旨の連絡と金武地区恩納分遣隊に連絡して救急車の手配もするように指示された。救急車には直接船付き場に来てもらうように指示したが、ヘリが来たので、臨時へリポートまでダイビングサービスの車で移動した。酸素は自分で毎分15リットルでノンリブリーザーマスクで呼吸した。臨時へリポートに付くとヘリが着陸体制になっていた。メインローターが廻っている状態でヘリに近づく人が居た。パイロットからは制止のサインが見えた。救急車も臨時へリポートに合流した。ヘリからストレッチャーが降ろされた。村田は自力で起きてストレッチャーに横たわった。水着一枚だけだった。

 

 今後については廃業しません。ただし潜りは止めます。潜りの仕事があれば村田流の潜りに共感してくれる仕事仲間にお願いすることにしております。あとは、これまで以上に安全潜水の思想を普及させたいので、少しづつ力をつけて行きたいと思っています。また、潜水障害時のヘリコプター搬送の重要性、医療機関との連携等、自分なりの反省点や改善点を踏まえて、ご報告させて頂きたいと思っています。

| | コメント (0)

« 2008年3月 | トップページ | 2008年5月 »