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2012年12月31日 (月)

年末、反省すること如かりです

 平成24年12月31日(月)沖縄本島は、午前中は曇り空だったが、午後からは太陽が顔を出して来た。洗濯日和になりそうだったが、突発的な所用が発生したので、洗濯どころではなくなった。せっかくの顔を出した太陽。恩恵に預かれなかった。

 カウントダウン。今年は漠然と時計の針が時刻んでいくだけに任せた感じだった。淡々と仕事をこなしてきた。年齢的には、若い世代の育成を図り、次のステージの選択肢をいくつか準備する時期なのかなって思いもあるのでした。まあ、一人よがりの年寄りが勝手なことを言っていると指摘を受けるかもしれないです。

 

 今年も様々なことがありました。迅速に対応できたこともありますが、まだまだやり残したことがあります。反省すること頻りです。幾多の反省点を顧みながら、新たな歩を続けたいと思います。

 

 今後とも皆様のご支援を賜りながら頑張りたいと思います。 宜しくお願いします。

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2012年12月30日 (日)

レッドビーチで潜りました

 
  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度 透明度
沖縄本島レッドビーチ 小雨 15℃ 22℃ 12m 12m
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 北西の台風並みに強い風が吹いていました。もはやボートは危険であります。ゴリラチョップもうねりがきついとの情報を得てレッドビーチへ。

 潜ると、レッドビーチもややうねりがありました。午前中の雨で水中も濁りが…しかし、この時期、お客様もいて潜れる事に感謝ですね。新しいレッドビーチの施設は休憩中のシャワーも浴びれて、快適な寒さしのぎのできるダイビングができました。生物はクロモドーリス・ヒントゥアネンシス、キリンミノもうねりをしのぐために陰に隠れてじっとしてました。

 

 ノブさんでした。

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天候の急変

 12月30日日曜日。昨日のお天気とは、真逆の時化。北風の洗礼だ。北風プラス雨模様。24℃から一挙に13℃くらいまで急降下。でも、室内では24℃を指している。Tシャツ一枚で平気だったが、今朝はフリースの重ね着、靴下も厚手を履くことになった。

 天候の急変のために沖縄本島からケラマ方面への定期船は、軒並み運休となっている。年末に島で潜りを予約していたダイバーさん、那覇まで移動できたとしても、それから先の島に渡れない現実にぶち当たるのでした。西表方面では、定期船を運航している船会社からのメール連絡では、石垣と上原港を結ぶ上原航路は時化のために大原航路のみとなると決定した旨の通知が来ていました。ひとつ系統しか定期航路がない地域と複数の選択肢がある地域では観光客の動きに違いが出るのでした。当たり前なことですね。

 今日のお天気ですが、平成24年の気象状態を象徴するような変動だ。8月9月10月に集中した台風の襲来。ダイビング関係では、相当数のキャンセルが続いた。潜れる環境が提供できなかった。台風の被害の復旧するためにダイビングサービスの提供どころではなかった。生活のペースを取り戻すまで時間がかかりました。中は転業や転職を真剣に考えて仲間もおりました。現在も熟慮中の方もいるのでした。

 気象レーダーでも前線の姿が、はっきりと見ることができるのでした。きれいに一直線に伸びていた。昨晩の午前3時くらいまでは就寝中だったが、暑くて布団を蹴飛ばしていた。汗ばんでおりました。風が変わったのは午前5時くらいかな。ちょうど前線 が沖縄本島上空を西から東へと移動して行った。北風の音で目が覚めたのでした。

 あと2日で新年を迎えるのですが、平成25年は、どんな年になるのだろうか。自分らで、新しい時代を切り拓くことで前進するしかないのでしょう。しばし充電中の身でありました。

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2012年12月29日 (土)

調査潜水でした 東海岸

  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度 透明度
沖縄本島:1本目 津堅島ポイント 晴れ 北東 23℃ 24℃ 16m 20m
沖縄本島:2本目 平安座 ヨコヒシ 晴れ 北東 23℃ 23℃ 15m 15m
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本日は調査ダイビングを兼ねて本島の東側にある与那城町平安座の漁港からボートで出港し15~20分したところにある津堅島ポイントでダイビングをしてきました。

 今日は天気晴れで暖かく、寒さのストレスもなく潜れ良かったです。水中ではクダゴンベなどの珍しい魚や大きなマダラエイなど、マクロからワイド系の様々な生物が観察できました。

 潜水調査部員イッシーでした。

 東海岸平安座からのボートにて調査ダイブ。この時期に多い北寄りの風に強いポイントということで、北東の風でしたがやや水面が波立ってるくらいで問題なく出航できました。

 水中は泥っぽい地質もあれば、白砂がメインのところもあったりハマサンゴなども大きく立派に育ってました。水深10m前後のイソバナにはクダゴンベがついていたり、中型のホシカイワリやフタホシタカノハハゼなど魅力的な生物が確認できました。 リーフや島に囲まれているため、台風のウネリなどの影響も受けにくいようで、居着きの生物も長く観察できそうです。またお客様を案内したり、調査ダイブを行ったり東海岸へフィールドを広げていきたいと思います。

 潜水調査部員の直でした。

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無線と有線

 週末の土曜日だ。朝から晴れ間が広がっている。風が南よりだ。うっすらと汗がにじむ。午前中は、父の自宅のパソコンの調整だ。これまで自分が使っていたノートパソコンと交換し、無線LAN の機能も再確認。事務所と同じように通信環境を整えることができた。ひと昔前の光通信の調整器とパソコンなので配線が至るところに這っているのでした。今回の調整で配線数は半分以下になった。パソコン廻りは必要最低限の電源ケーブルとコンセントとスッキリできた。

 ただ恩納村でのパソコン通信環境は、那覇や糸満方面に比べれるとひと昔前のままだ。改善される気配はないのでした。携帯電話会社が提供する無線ルーターの性能が向上しているので地上の有線での光通信ケーブルは必要ないのかもしれない。公共投資は意味がないかもしれない。室内でも無線でのLAN構築が当たり前になっているので、パソコン廻りはスッキリしているが、まだ自分はマウスだけが無線形式。プリンターへの接続は有線のままにしています。iPadは無線LANで使っている。改めて、文明の進化に感謝です。iPadは、6歳児が自由自在に使いこなしていた。柔軟の大脳は、柔軟に変化に対応しているのでした。

 学校教育の中に電子書籍が優先されるようになると、自分等はオーソドックスな教科書と黒板、チョーク、黒板消し、ノートに鉛筆、消しゴムが当たり前だった。学校教育の中から黒板とチョーク、黒板消しが電子黒板に切り替わり。教科書がタブレット式のパソコンとなるのだろう。iPadに無料で使える手書き黒板がある。青・黒・赤のマジックペン、黒板消し等が用意されたシステムがあります。手書きの良さは忘れられない。

 手書きかぁ。そう言えばパソコンでは漢字を自由自在に打ち出すことが出来るが、黒板に書き出す際は、ど忘れすることが多くなった昨今でした。平成24年も、あと2日となった。

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2012年12月28日 (金)

仕事納

 28日。すでに民族の大移動が始まっている。FBでは里帰りの写真が多くなっています。仕事納の日と花の金曜日が重なった。道路は渋滞気味だ。それに加えて、何故か猛烈なスピードで追い越して行く車が数台。一般道ですり抜けて走って行くのでした。80kmを超えているように思えた。その理由は判らない。衝突事故を起こさないでよかった。

 58号線では、何故かパトカーが遊弋して、検問でもしていたのだろうか。路肩に停車するようにパトライトを点灯させてライトをパッシングして緊急停車させていた。法定速度で走っていたように見えたが、緊急停車させられていた。理由は判らない。

 酒酔い運転でもしていのだろうか。仕事納や年末の挨拶廻りで、もしかして飲んでいたのだろうか。酒酔い運転撲滅運動も盛んなのだが。警察官でも酒酔い運転しているご時世だから、右に倣えだったのだろうか。おちゃらけているわけでもないが、アルコール絡みはご勘弁願いたいのでした。単純な言葉だが、「飲んだら乗るな。乗るなら飲むな。」です。

 年末年始で多いのは、普段車を運転していない方々がハンドルを握ることもあるのでした。ゆっくりした速度で走るのでした。果てはメールを見ながらだったり、メールを打ちながら走っているので、当然ノロノロ運転となる。当然、その車の後ろには、団子状態になるのでした。車に社名を書かれていても、メール送信中だった。どういう神経なのか、理解できない。

 明日からは完全に年末年始の休暇となるので、ますます道路状況は、車の数が多くなる。おまけにレンタカーも多くなる。渋滞情報は、大雑把でしかない。事故に巻き込まれないように注意して走ります。

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2012年12月27日 (木)

年末のバタバタ

 年末だ。仕事の関係で、カウントダウンしていなかった。明日の28日が仕事納となるのだ。残りの日数は、わずかになった。今年の課題については、基本的にはクリアできそうだが、何も手を付けることができなかったことがある。それは年賀状の準備だ。11月末に父が転倒して大腿骨の付根の骨折。12月になって骨折部位の手術を実施。サイボーグ88として蘇った。現在は、リハビリ専門病院にて歩行訓練の日々だ。自分一人なので、仕事が終わってからの病院通い。洗濯物の対処だ。11月25日に入院。12月4日に骨折部位の固定の手術。12月18日に抜糸。午前中に抜糸。午後にはリハビリ専門病院へ転院。慌ただしかった。

 幸いというか、道路で転倒した際に腕や頭部にケガをしていなかったこと。倒れ方は、ちょうど座り込む形で倒れ込んだのだろうか。受傷部位は大腿骨だけだった。腕の骨折や打ち身とか、擦過傷は確認できなかった。顔面にも傷ひとつなかった。本人は、ただ立てないとだけ主張していた。6年前の脳梗塞の際に左半身麻痺状態となった。これまでの6年間のリハビリで、それなりに動かせることができるようにまで回復した。

 左の大腿骨の骨折だった、半身麻痺状態なので受傷部位の痛みは強く感じなかったのだろうか。本人のみ知るところだ。痛覚については個人差がある。年齢の割には、骨が頑丈のようで外科医の方も驚いていました。手術後の二次感染もなく、抜糸。体力も戻っているようでリハビリに専念することになった。

 リハビリ専門病院なので、30代くらいから父と同じような年齢層まで幅広い。様々な症状でのリハビリを行っている。焦らないでじっくりとリハビリに励んで欲しい旨を伝えています。焦りは禁物。また転倒でもした他の部位の手術なんてならないように注意してと。

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2012年12月26日 (水)

想定外の事故なのかな

 お昼にドっきとするようなニュースが飛び込んで来た。千葉での川でのカヌーの大量の転覆事故。一時は15名ほどが行方不明との報道だった。テレビは点けなかったが、インターネット関係でも報道された。最終的には、14名が関連した遭難騒ぎとなった。最初、カヌーということだったのでアウトドア系のカヤック系と一瞬思ったが、それにしても天候の急変で、次々と転覆したとのことだった。競技用の細長いカヌーでアウトドア用のリバーカヤックではないことが判明した。湖面がベタ凪の際の競技用のカヌー、当然、湖面が荒れたら一発で浸水しそうなタイプだった。競技用のカヌー選手なので着衣水泳の能力はあるかと思う。

 合同の合宿に参加した学校の競技役員からは想定外の気象状態の急変のために大量転覆となったとのコメントが発せられていた。本来は水域は管理された状態の中での練習や競技なのだが、結局は、10名以上が流された事件となったのでした。自然界の中での行うスポーツの場合は、天候の激変については、気象状態を把握することが容易になった現在、想定外の風が吹き荒れたとの表現は如何なものでしょうか。

 落水を想定していないのだろうか、落水者の何人かは低体温の症状があったと報告されていた。ドライスーツは装着しているはずもない、競技用のトレーナーとかジャージ姿だけだったなら全身ずぶ濡れ状態で、風が強烈に吹き込んでくれば体表面の温度は一気に低下してしまう低体温症になってしまうのでした。救急搬送が必要な状態に陥って生徒さんもいるとのことでした。

 水辺活動するにあたっては、落水する可能性があるということなのでセミドライスーツでも装着しての練習はできないのだろうか。学生さんの予算には限界があると思うが、予防的な措置を考えると相当なお金も準備しなければならないと思います。転ばぬ先の杖ではないのですが、用心するに越したことはありません。全員無事だったことだけは幸いした。指導者の対応には、問題があったのではないのか。

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2012年12月25日 (火)

メリークリスマス 男だけのケーキカットでした

 日中は晴れ間が広がった。気分は爽快。青い空、リーフに砕ける白波。少しづつ海が凪いで来た。メリークリスマスかぁ。

 クリスマス恒例のケーキですが、今年はリゾートホテル出入りのケーキ屋さんにチョコレートケーキを注文。何と、今年は男4名でケーキを食しました。男四名でケーキを食べなら、最近のダイビング事情の情報交換だった。クリスマスケーキを食べながらの情報交換って、味気ないというか。でも男子四名では無理からぬ話かもね。内容は濃い話になりました。

 青の洞窟ということでダイビングサービスが、あちこちの空き物件、でも賃貸料が、ある程度安い物件から不動産契約がなされているような傾向だった。港に近いということで借りるのだろう。当然と言えば当然のこと。青の洞窟が話題になっているので、まだまだ恩納村。とくに前兼久と仲泊付近にダイビングサービスが集中してくるのでした。このブームはしばらく続くのだろうか。

 今年は、スクーバよりもスノーケリングが主流になっています。スノーケリングについては数的には、これくらいの人数ってのがカウントしにくいのでした。簡易的に楽しめるというのでワッと観光客が飛びつくが、実際にフィールドでは、様々なスノーケリングが展開されています。一番多いのが、とりあえずマスクを付けて水面下を覗き、スノーケルは咥えているが、呼吸ができているか、またスノーケルに水が入った場合のクリアー法については、しっかりと教えることもなく、苦しくなったら顔を上げて、スノーケルを履きだせば大丈夫。だってウエットスーツに救命胴衣を付けているから沈むことはないからって。

 究極は、ガイド一人で、じっくり対応してくれるサービスもあります。一日ひとグループの貸切で、人数はご夫婦に子供さんのファミリー対応だけ。何てことでリピーターさんになってエスコートのリクエストが絶えないサービスもあるのでした。千差万別。お客様のニーズにあったサービスの情報提供を選択できるようにしているサービスもあるのでした。薄利多売のサービスも多いのですが、少しづつ飽きられつつある場合も散見されるのでした。

 と、まあ様々なフレッシュな情報が飛び交いました。FBでは家族団らんのクリスマス情報が多かった。メリークリスマス。

 

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2012年12月24日 (月)

ヘルメット自作 実証実験 初回

 連休最終日、24日。キリスト教の世界では、クリスマスイブになるのかな。日本中のケーキ屋さんがかき入れ時だ。クリスマス商戦だ。ケーキ屋さんでは、24日と25日の2日間が超繁忙状態とのことでした。

 今年最後の実証実験でした。北風が強く吹き付ける中、プールサイドにいても風で飛ばされそうになるくらいだった。誰が飛ばされそうにって。はい、私です。冗談ではなく、身構えながら動き回っていました。プールは温水で暖かく調整されていた。今回は、水中で脳波を測定するための実験資材の作製、そして、作った装置を水中に持ち込んでの実証実験でした。まあ今回水中に潜って呼吸することができるかでした。

 実証実験は、成功しました。キャラクターになりそうな大きな装備だ。発泡スチロールで原型を作って、それにFRPを重ね併せて作りました。最後の仕上げに2日ほど徹夜。水中で顔と頭が濡れないように測定機器を取り付けて実験するには、あれこれ考えての結論が、ヘルメット潜水器でした。既存のものでは、システム一式で契約しているために、自分らの考えた実験はできないのでした。

 脳波を測定するためのセンサー部の防水と耐圧については、世界的に確認してもったのですが、皆無であること。自分は水中に潜っているとリラックスできるのですが、それを生理学的に証明する方法をあれこれ試しましたが、最後は脳波の測定ができればとなりました。が、道具ない。ないない尽くしでした。お手製のヘルメットが完成。本日の試験となりました。

 それぞれ水中で実際にヘルメットを被ってもらい、使い心地を試してもらいました。多くの人の力を借りて実証実験が無事に終わりました。facebookに動画をリンクさせましたので、ご確認ください。

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2012年12月23日 (日)

ノロウィルス猛威を奮っているのでした

 連休中日、寒いです。15度くらいかな。おまけに北風が8~10mくらいの強さで吹いているので、気温が上昇する要因がないのでした。

 食中毒情報が氾濫している。ノロウィルスでの感染者が全国で報告されています。今日も1000人規模でのノロウィルスが原因と思われる報道があった。宮崎では医療施設において収容されている主に高齢者が6名亡くなっている。病院側の会見では、介護に当たっている職員が着用している医療用の前掛けを交換せずに使い回ししていたとのこと。おまけにそれらの職員は、素手で取り扱っていたことも公表された。院内感染の典型例で、業務上過失致死の疑いで捜査が始まるようだ。

 石鹸やアルコール消毒では、ノロウィルス対策は殺菌効果がない。塩素系の液体で吐瀉物を処理し、床や壁等も、しっかりと塩素系の薬剤を噴霧。その処理をした布類は、医療廃棄物として密閉した容器に入れて廃棄することになっている。塩素系の薬剤は、家庭用のハイター類で対応可能。あとは使い捨てのラテックス手袋が必需品だ。ラテックス手袋も価格的には安くなっているので助かります。ラテックス手袋が商品化されたばかりの頃は高かった。

 吐瀉物や汚物、処理者が使った手袋等は、ビニール袋に入れて密閉して廃棄すること。あとは処理者は、マスクをすることが必要だ。掃除機を使っていると、掃除機から排気される空気にもノロウィルスが混じって感染経路を複雑にすることもあるようだ。掃除機の中の袋にもノロウィルスが吸い込まれている。

 家庭内でも吐瀉物の処理は、慎重にすることが指示されています。自分も改めて注意しなければ。父もリハビリでリハビリ専門の病院に転院している。現在は個室での入院になっているが、高齢者が多いリハビリ専門病院なので、感染が心配されるのでした。体力は問題ないと思うが用心しなければ、まあ自分も肺のこともあるので要注意なのでした。まだまだ寒気が強く張り出しているので寒い一日になりそうだ。

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北部でのボートダイビングでした

 
  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度 透明度
沖縄本島崎本部ゴリラチョップ 曇り時々小雨 15℃ 22℃ 15m 15m
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 北風(風速10m/s)にもかかわらず、やはりゴリラチョップは穏やかでした。ボートでいったので道中は風やしぶきを受けましたが、ビーチからのストレスと比べると、移動やトイレ等でのお客様への負担は少ないように思いました。

 気温が低く風が強いこの時期、快適なダイビングをどのように提供するべきか考えさせられたダイビングでした。ボートコートは必須アイテムです。生物はセミホウボウ幼魚、ミナミホタテウミヘビ、ホシゾラウミウシ

 ノブさんでした。

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2012年12月22日 (土)

イナンビシ潜りでした

 
  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度 透明度
沖縄本島嘉手納町 イナンビシ 曇り 21℃ 22℃ 15m 15m
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 北風の強い天候(風速8m/s、波高4m)であったので、近海も影響を受けましたが、無事に出港できましたが、水中もうねりがけっこうあり、酔ってしまったお客様もいらっしゃいました。

 生物はウルトラマンホヤがちらほらと見受けられましたが、ウミウシはまだまだ個体数が少ないように思いました。あとは大きなコブシメが逃げることもなく観賞させてくれました。大型台風後に初めて潜りましたが、クマノミは無事に生息していたのでなんだか安心しました。

 ノブさんでした。

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連休初日、海が荒れている

 昨日の晴れ間とうって変わって曇り空、風は北寄りになりました。連休初日ですが、お天気はご機嫌斜めです。寒暖の差が激しくなると自律神経失調に陥る方が多くなるのでした。連休初日なのですが、荒れた天候で始まったのでした。

 海が荒れているために沖縄本島と周辺離島では定期航路は、運休になっている。気圧配置図では、どんどん等圧線の幅が狭くなっている。等圧線の幅が狭いほど、吹き出す風の強さは、一段と強く吹くのでした。2日とか3日くらいは等圧線の傾斜が続くのだろうか。確実に3日から4日くらいは定期船は運休となるのだろうか。ちょうどクリスマス休暇の時期なので、島で生活する子供たちにはサンタクロースがプレゼントを持参してくれるのだろうか。子供が楽しみしているクリスマスケーキも沖縄本島から運ぶことができないかもしれない。島のお母さん達も苦労して手作りケーキになるかな。トナカイさんが空を飛んで行ってくれるのだろうか。

 今年は例年よりも気温は寒くなるのだろうか。感覚的には、寒い日が続いているように感じます。年々寒さに弱くなっているかもしれないです。外気温が20度くらいでもフリースを着てしまうのでした。年間を通じて潜っている最中は、露天でスーツを脱ぎ着していたのですが、今からでは想像がつかない感じです。水温10度以下のプールにも飛び込んでいたなんて信じられないです。本当です。水温8度まで入ったことがあります。

 沖縄でもドライスーツをガイドさんが着る時期ですね。ダイビング船ではクルーザータイプでは温水製造設備を付加しないとお客さんの予約数に違いがあるとのことでした。近い距離しか動かないと温水がキープできないので困ったと船長さんがぼやいていました。気象海象がよろしくないと遠出ができないのでした。エンジンをかけている時間が短いと水しか出ないのでした。

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2012年12月21日 (金)

夏日間近でした

 いきなりの晴天。24.3℃まで気温が上昇した。暑いの一言。自分は冬支度で外出したが。出先のスタッフ諸氏は、半袖のポロシャツでした。飲み物はアイスコーヒーを出してもらいました。願わくば、この晴天が続いてほしいのでした。おりしも12月最後の連休の始まりだ。年末年始の天気が気になるところだ。年末年始のお休みが長期間となると沖縄は、外国との競合には弱いことがあります。休みの期間が長いとアジアを含めた海外にお客さんが流れて行くのでした。

 スタッフ諸氏も、11月末から、交替しながら休暇を楽しんでいます。オーナーさんは、内地への営業活動に専心。一人オーナーさんは、この時期に里帰りすることもあるのでした。年末年始にゲストダイバーさんが潜りに来るので、その前にちょっとだけお休みとなるようでした。年末年始にかけてのガイドダイバーさんの勘が鈍らないようにして欲しいのでした。

 15年くらい前には、沖縄での年末年始のダイビングは、需要はスゴイものがありましたが、近年はダイバーの出足は鈍くなっているのでした。それでもダイビングサービスでは、12月26日から翌年の1月6日くらいまで営業して、2月末までの長期休暇に突入するのでした。ガイドの勘を維持して欲しいのでした。

 この時期になると天候が優れないことが多くなります。天気予報の確認は最低限の注意が必要だ。突然の風廻りでベタ凪だったのが、大荒れに豹変することも経験するだろう。楽しいはずのダイビングがガイドの天候判断ミスで、事故につながったことも多々あるのでした。

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2012年12月20日 (木)

ひさしぶりの講習

 久しぶりに体験ダイビングの指導でした。水中可視光線での体験ダイビングプログラムを検証も兼ねて実施しました。

 最初に保温スーツの浮力を体験。保温スーツでの浮力調整と適正ウエイト量の決定。ウエイト量を重くすれば沈む、これは当たり前なのですが、体験ダイバーにとっても腰に負担がかかります。そのために最低限のウエイト量で潜行できるかを確認しました。1mの水底で呼吸のトリミングをしても上体が浮くこともなかった。

 次に、マスクなしで、うつ伏せ姿勢で鼻から排気ができるか、できないかの確認。とりあえず鼻から排気ができることを確認。そして、通常のマスクとレギの使い方。水面上、水面、水面下、水中、水底とスモールステップにてマスクを着けた状態で呼吸に慣れる。その場、呼吸が安定したらプールを周回を顔をつけた状態で水中歩行。水の粘性抵抗にも慣れてもらう。

 マスクなしレギ呼吸、マスククリアー、BC給排気コントロール等。スモールステップにて水慣れ。浅場に潜行。レギ呼吸確保、BCからの排気動作、潜行開始。水底にて腹ばい、水底でレギ呼吸に慣れる。3分ほど、すでに呼吸が安定している。浮上のサイン。少しづつ浮上。浮上時はBCの給排気ホースを確保。水面にでたらBCに給気。浮力確保。つぎにフィンを履いてもらい。水面を浮力を確保した状態で泳いでもらう。

 マスクなしスクーバ呼吸については、鼻から空気を吸って口から吐く呼吸形式からの口から吸って口から吐く形式への転換が必要となります。これは私が指導する際に必ず実施している項目なのでした。鼻を塞がなくても水中で呼吸ができれば、ある程度は水慣れができていると判断する基準としています。

 潜行のサイン。BCから排気しながら潜行。浅場の鉄柵前で停止して。深場での水中実証実験を観察してもらう。呼吸はリラックス状態が確認できた。ちょっとだけ休憩。

 次は、深場への潜行。F氏にバトンタッチして3.5mの水底も潜行。当然耳抜きの練習。問題ないとのOKサイン。向かいあった状態で潜行。深場での泳ぎ周り、浮上。次は、フルフェイスマスクに交換する。ストラップ固定が完了。マスクシールがめくれていないことを確認。呼吸に慣れてもらう。OKサインが出た。

 F氏と浅場から深場への移動しながら潜行。プールサイドにてスピーカーをON.呼吸音が安定している状態が確認することができた。水面と水中との会話。OK。すべての検証実験が完了。初めて体験ダイビングでしたが、楽しめたようです。自分も久しぶりに体験ダイビングの指導を楽しませてもらいました。

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2012年12月19日 (水)

オスプレイの夜間飛行 見たよ

 県庁で開催されたドクターヘリ事例検証会の帰路、嘉手納基地ゲート前でガソリンを給油した。耳慣れない爆音が聴こえて来た。あれ、通常の固定翼でも回転翼でもないエンジン音、嘉手納ゲート上空を通過していった。空は真っ暗。航空標識灯を点灯した機体と、標識灯を点灯していない機体が、次々と海の方向に飛んでいくのした。

 暗い空に目を凝らしてみたらオスプレイではありませんか。独特のエンジン音だった。シコルスキー社やベル社、ボーイング社等のエンジン音とは異なる音なのでした。実戦訓練を迎えているのだろうか。すでに普天間基地のCH46型機は、キャンプキンザーに着陸して、モスボール状態にされているようだ。アメリカにお持ち帰りになる準備が終わったとも言われています。

 昨年の3・11に起きた大地震と、その直後に発生した津波による大きな被害の救援のために多数のヘリコプターが救援資機材や食料等を運んで来た。CH46や47型機、シコルスキー、ベル社、アグスタ社、ユーロコプター等も救援に飛んで来た。回転翼の機体が効率よく飛んでいた。そこにオスプレイに救援資機材や食料等満載して現場に着陸したら、どうなるのだろうか。救援物資を積んで飛来したのはオスプレイでしたなんて。

 オスプレイの夜間訓練としては、暗視野装置を使っての操縦訓練も、その教程に組み込まれているのだろう。欧米の軍隊では、暗視野装置を使っての夜間の離着陸や飛行訓練は当たり前になっているようだ。当然、アメリカ軍でも暗視野装置を使うことは当たり前だ。航空標識灯をつけないで飛行しているのは、当然、訓練も組込れているはずだ。

 近い将来、オスプレイでの救助飛行が当たり前になっていることだろう。救援物資をオフプレイが満載して着陸したら、どんな顔をして救援物資を受け取るのだろう。

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2012年12月18日 (火)

政党の乱立は

 昨日までの晴れ間が嘘のような天気に変わった。午前中は晴れ間が少し広がった。午後からは雨模様となりました。

 国政選挙が終わった。これからは乱立した政党の統廃合というか消滅と合併の動きが急速に始まるのだろう。インターネットでの情報公開が盛んになっている昨今、政治活動の手法にも大きな変化がでるのだろうか。選挙公報や管理する制度自体が、インターネットが存在するよりも遥か以前に制定された法律によって規制を受けている。

 選挙権を持っている全ての国民に周知徹底させるような方法について、しっかりと再考して欲しいのでした。選挙の際に投票に行くか、行かないかについて、あくまでも国民一人ひとりの選択権になるのかな。投票会場に行き、自分に来たハガキを提示して投票用紙をもらうが、その際に投票者が本人であるかの確認もされる。結果的には、誰が投票して、誰が棄権したかは一目瞭然だ。選挙管理委員会では、一人でも多く投票行動を起こすような方策は、万策尽きたのだろうか。納税と選挙は国民の義務。

 選挙は我々の収めている税金が投入されている。これは当たり前のことだが、無駄遣いしないで欲しいのでした。

 今回の国政選挙ですが、過去最低の投票率だったと公報された。投票率が低い場合は、組織票が大きく作用しているとされている。沖縄では、公共土木の減少から公共土木に関連する組織票の投票行動が強く作用したと分析された。これは全国的な流れなのだろうか。安易な公共土木の再開が始まるのだろうか。

 今回の投票用紙を見て驚いたのは、政党の乱立だ。この半年くらいで、どこまで政党数が動くのだろうか。比例区で当選した議員は、最初に当選した政党から離脱する場合は、議員を辞職することを明記することが肝要なのかも。

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2012年12月17日 (月)

国政選挙が終わった

 政権崩壊。諸外国のような熱狂的なシュプレヒコールが沸き起こることない静かな夜が過ぎていった。一夜明けたが、政権が交替したことの歓喜の声は聞こえなかった。結界的に投票率が戦後最低を記録したが、多くの有権者が投票行動を起こさなかった。組織票が作用しただけのことと判断している。民主がダメだが、他に投票する政党がないから棄権したのだろうか。

 議員さんは落選すると「タダの人」になると称されるが、本当の姿は、どうなんだろうか。借金だけが残るのだろうか。次回の選挙戦が始まるまで地道に地元対策で奔走するのだろうか。今回の選挙の特徴は、与党の大臣クラスや政党の執行部の幹部クラスが軒並み落選したということだ。前代未聞のことと言われている。小選挙区での選挙制度の怖さがあるのだろうか。それとも時代が、彼らを必要としないことを意味するのだろうか。

 新しい政権が、どんな施策を講じるか。

 

 政治の公約。各政党が掲げた主張については、選挙後も追跡する必要がある。でも、日本人の特性としての熱し易く冷めやすいだ。政治家の動きをモニタリングするシステムが構築できないのだろうか。喉元過ぎれば何とやらだ。あっさりと忘れてしまうのでしょう。

 原発の問題、公共事業の問題。財政再建を踏まえた中での諸問題を、どのように解決して行くのだろうか。混沌とした政治状態が続くのかもしれない。

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2012年12月16日 (日)

国政選挙 投票日当日

 晴天の朝を迎えました。前日までお予報とは違った。洗濯日和だ。国政選挙の投票日でもあるのだ。すでに投票は済ませた。結果は、どうなるかな。与党政党の惨敗。惜敗ではなく惨敗かな。一時は二大政党に集約されるかなって予想されたが、政党の乱立という結果になった。

 小政党の乱立、次に政党の統廃合になってしまうのだろう。政党を渡り歩く議員も出ている。最初の選挙で立候補した政党から離脱する場合は、議員資格を維持したままで移行している。本来の意味からすれば議員を辞職すべきだが、議員特権でもあるかのように別な政党に移籍するのでした。

 国策とは何か。国政とは何か。改めて周囲を見渡してみた。結果的には、利権の巣窟が復活するのでは55年間続いた保守政権。政権末期は、利権の争奪戦が激しく行われた感じだ。現政権に政治体制がひっくり返ったが、その間の三年間も国民が見えないところで利権の移籍があったかの感じだ。体質は変わっていなかったのだけは理解できた。

 今日の快晴のお天気。選挙民の投票行動が気になるのでした。20代の投票率は年々低下、若者の政治離れがひどくなったとの世評。政治家が職業になって久しい。あとは親の地盤を引き継ぐ世襲制も批判の的だ。政治家を一代限りとすることは可能なのだろう。戦後のどさくさから、国際社会への復帰を果たした日本だが、現在は、どうなんだろう。

 投票率が低いと、政党を支持する団体が人海戦術として関係者を投票に出るように、あの手この手を使って投票所に送り込むのでした。かつて与党の大物政治家が皮肉っぽく投票率が低いことを喜んだ論評をして大ヒンシャクをかったことを思い出した。

 午後8時の投票終了と同時に政権与党が、どこかが数秒で決まるのだろう。もしかして午後8時の時報とともに○○党が政権与党第一党に決まりましたとのコメントが流れるだろう。乞うご期待。

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2012年12月15日 (土)

修学旅行の体験ダイビングでした

 
  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度 透明度
沖縄本島ブセナビーチ前 晴れ 南西 25℃ 23℃ 20m 10m
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本日は修学旅行体験ダイビング講習でブセナビーチ沖で潜りました。

 今日は晴れの天気で風向きも南! この時期では珍しいくらい暖かく、そして波もない穏やかな海! 夏が帰ってきたかのような素晴らしいコンディションでした。 修旅で参加してくれた学校は岩手県の体育科の生徒さん達で、今日の天気の良い沖縄に満足だし♪ さすが体育科といわんばかりに、海にもすんなり潜れ、生徒皆さん楽しんでくれました!

 イッシーでした。

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修学旅行 

 12月15日、外気温は25~26度くらいの夏日でした。当然、風は南寄りとなった。車の中は、クーラーをつけちゃいました。

 先日、沖縄で修学旅行を実施した内地の高校生が食中毒になったとの報道が流れた。高校生は、沖縄で体験ダイビングも楽しんだとも書かれていた。あとは恩納村のホテルに宿泊したようだ。知人に確認したが、当該の高校生への体験ダイビングは担当してないので詳細は不明ですとのことでした。

 食中毒の原因菌は、なんだろう。食中毒のシーズンは年間を通じて起きることは理解しているが、実際に起きると後始末が大変だ。かつて国家的なプロジェクトを遂行する施設で食中毒は発生した。一回だけではなかったと記憶している。食中毒については、レストラン部門だけではなく食材として運び込まれる食料品にも慎重になります。出所のアヤフヤなものは使えない。トレーサビリティが明確になっているものを使うのでした。魚介類、肉類、野菜等多岐に渡る食材の管理だ。

 それに以外に調理に携わる人の健康管理と日常的な健康状態の確認が必要だ。また、手指にケガをしていないか。ケガしている場合に雑菌が入り込まないような処理が必要だ。ラテックス手袋を付けること。清潔な白衣というか調理場用の着衣に着替える必要があるのでした。手指の消毒は、しっかりとして欲しいのだ。あとは食器類のアルコール消毒等も実施されている。あとは調理場や食材庫の有害昆虫の駆除対策も必要になるのでした。

 短時間に大量の食中毒者が出ると運び込まれる医療機関もパニック状態にならないのだろうか。内地では、弁当が原因で1000名近い患者が発生したとの記事もあった。修学旅行では、一緒に来て、一緒に帰ることが最低限の条件だが、沖縄での入院が2日とか3日あれば、一緒に帰ることができない。修学旅行としてはあってはならないことになるのでした。あとは風評被害での、のちのちの集客に影響が出ないことを祈るのみです。

 石垣島の「水の箱」原田さんに作ってもらったスマホの耐圧防水ケース、手元に送られてきました。http://www4.ocn.ne.jp/~mizuhako/ です。

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2012年12月14日 (金)

尖閣 覚悟が

 いよいよ尖閣諸島での領海および領空侵犯がエスカレートしている。背景には北朝鮮のミサイル発射が成功したこと。その後のアメリカの出方を見ていた中国は、アメリカからの圧力がないことを確かめてからの領空侵犯をした。おまけに領海侵犯では、4隻から5隻もの中国公船が侵入した。計算ずくのことだろう。

 今回領空侵犯した航空機はプロベラ機だ。最新鋭のF15戦闘機では最悪捕捉することができないのではと疑われる。あまりにも低速での飛んでいるためにF15が低速で飛ぶことができるかな。宮古島にある防空レーダーで捕捉することができなかった。まだ、その原因追求されているが公表されることはないと思う。那覇空港で見たE2C 機体の背中に丸いレーダーを搭載した空中警戒機だが、当日は上空に上がっていなかったようだ。防空侵犯への対処は、航空自衛隊の任務になっている。

 海は海上保安庁の任務だ。対潜哨戒機のP3Cが尖閣諸島にパトロール飛行しているはずだが、P3Cには対空戦闘機能は装備されていない。水中に潜んでいるであろう潜水艦への攻撃機能があるのみなのでした。海保の巡視船に装備されている機関砲が、上空への対空戦闘も対応できる機能があるのだろうか。当然、あるかと思うが、交戦規定が曖昧なために領空侵犯している航空機への海上からの警告射撃。警告射撃を無視している場合の機体への直接照準の指示。日本国首相が発令するのだろうか。それとも国土交通大臣なのか、海上保安庁長官か、第十一管区海上保安本部長が命令するのだろうか。

 奄美大島沖で起きた北朝鮮の不審船への射撃命令は管区本部長が命令した。射撃命令が出る前では、不審船から巡視船への直接射撃があり、海保職員が負傷してからの反撃命令だった。

 今回の領海および領空侵犯への対処は、いかなる方法を用いて阻止するのだろうか。思案の為所だ。ある程度の覚悟が必要かもしれないのでした。

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2012年12月13日 (木)

領海、領空侵犯事案発生

 領空侵犯。我が国では、航空自衛隊の役割分担となっている。今度は尖閣諸島で起きた。双発の中国の航空機だ。低空で飛んでいたのだろうか。航空自衛隊のレーダーでは感知することができなかった。現場海域で哨戒活動をしている海上保安庁の巡視船から連絡でスクランブル発進したとのこと。あぁぁ航空自衛隊、昨日の北朝鮮からのミサイル発射の緊張状態からホッとしたのだろうか。結局は、航空自衛隊としては領空侵犯機を捕捉することができなかった事実だけが残るのでした。

 那覇航空基地には、E2C 空中警戒機が居たはずだが、飛んでいなかったのだろうか。24時間体制での哨戒任務でもなかったのだろうか。他の基地から派遣されたE2C だが、結果的には空中哨戒機として機能を発揮することができなかった。いくらF15戦闘機がスクランブル発進しても、すでに尖閣諸島上空を自分勝手に飛び交っている中国機には即応することはできなかった。穴だらけなのだろう。

 宮古島に上空警戒用の防空レーダー機器が備わっているはずだが、チェックすることができなかったのだろか。防空レーダーでは、24時間体制で監視しているが、盲点があったようだ。まさかレーダーに映らないようなステルス機能がある航空機ではないはず。超低空で侵入したのだろうか。木製でもあるまいし。

 航空機の所属は、軍事組織ではないが、超低空飛行しているので軍人のパイロットが操縦しているのかもしれない。それにしても何故、防空レーダーで発見されなかったのだろうか。すでに内部で調査が始まっているだろう。同じ過ちを繰り返さないような方策を立てて欲しい。また、スクランブル発進したF15ですが、低空および低速での要撃は無理だろう。F15戦闘機が失速して抑止力にはならないだろう。アパッチヘリ搭載の護衛艦を近くに配備するしか方法がないようだ。

 揺さぶりを掛けてきている。空海での領土侵犯を許すな。

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2012年12月12日 (水)

北朝鮮が発射したぁ

 とうとう北朝鮮が人工衛星と称する長距離弾道ミサイルを発射した。恩納村の防災無線からの警報で知った。即、テレビをつけてもらった。時系列で確認すると、この時点で沖縄上空を通過したことになっている。大気圏外への打ち出しに成功した。SF小説の世界ではないが、ゆっくりロケットが上昇して飛翔して行くというシーンとは違ったようだ。今回のロケット技術に関しては、北朝鮮だけでなくイランも関与しているとの情報が流れていた。

 あらかじめ予定された水域に一段目とか二段目、三段目のロケット部品が落下した。すでに情報戦の世界としては、落下したロケット部品の捜索と回収に、近隣の海軍関係が必死に捜索しているのだろう、使われている部品の金属製品の分析ができるようであれば、現在の北朝鮮の武器製造の精度と完成度合を確認することができる。とくにアメリカは、敵国情報として必死に捜索にあたっているのだろう。フィリピン海軍も捜索活動に当たっているということだ。

 日本の情報収集能力の限界が見えてきているのだろう。報道されている手順としてはアメリカからのミサイル発射感知情報からの伝言ゲームになっているのだろう。日本独自での情報収集能力は、どうなんだろう。憲法上で制限があるために周辺国での偵察活動はご法度になるのだろうか。あくまでも第一義的な流れとしてアメリカからの情報提供に甘んじるしかないのだろう。「能ある鷹は爪を隠す。」ではないが我が国の情報収集能力を他国に知らせることもないのだろう。

 まあどこまでミサイル発射の事前察知が可能だったのだろうか。あくまでも推測でしかないか思う。沖縄や青森にあった「ゾウの檻」と呼ばれる強力なレーダーサイトが閉鎖された。相当な情報収集能力があったと称されているが、すでに撤去された。それに代わるレーダー施設も、別な地域に作られたされるがなかなか、新たな「ゾウの檻」に変わる施設の探知能力は、もっと凄いと言われるが、その実態は不明のままだ。国の安全保障を司る部分は不明のままなのでした。

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2012年12月11日 (火)

身体のメンテナンス

 忘年会シーズンに突入している映像が飛び交い始める季節となりました。皆さん、スケジュール調整で大忙しとのことだ。2012年のカウントダウンが始まっています。すでに三週間を残すのみとなった。また、この時期は北半球から南半球や赤道直下の日本と季節が逆な地域への助っ人ガイドとして赴任するとの連絡もチラホラ。やはり多いのはパラオ方面が人気のようだ。4名ほどが今月中に赴任するとの連絡だ。ご苦労様です。来年の3月や4月までパラオでのガイド業に就くとのことでした。

 出発する前に健康診断を受けてと伝えたが、どうかな。健康診断を受診して赴任はしてないだろうなって。とりあえず就労ビザを取得しての移動となっているようだ。「ようだ。」とは、あくまでの伝言でしかないのだ。一名の方には直接確認したら、就労ビザの発給を受けての仕事になるとのことでした。DANカードの申請も忘れずにと伝えてあるが、どうだろう。自己責任の世界なので、申告するか、しないかはご本人次第なのでした。

 沖縄と海外、年間を通じてガイド業とは、身体的に厳しくないのだろうか。まあ、4月後半から9月末、か10月末までが繁忙期。11月12月、3月下旬、4月中旬までは身体的には、ちょっとだけメンテナンスを含めてリラックスタイムが確保できるかな。年間を通じて働くのは個人の判断だが、くれぐれも無理をしないで欲しいのでした。

 今日は、肺の定期検診でした。とりあえず半年ごとの検診です。肺のCT,レントゲン撮影、肺の機能検査、血液検査等も実施しました。肺の機能検査では5000㏄からちょっとだけ減りました。4800㏄でした。次の検査は2013年6月だ。さて、自分の身体のメ ンテナンスも計画しなくてはなりません。担当医からは、そろそろ心肺機能の低下する年齢になっているので、増強はできないが、年相応の身体機能の維持を考えるようにとのお達しが出ました。

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2012年12月10日 (月)

懐かしいラジオ放送も

 雨模様かなと思っていたが、晴れ間が広がっているのでした。これはラッキーでした。気温も上昇傾向。日溜りはポッと暖かかった。天候の安定は期待できない季節なのでした。

 ラジオは大好きだ。学生時代からAMラジオを聞くことが。AMラジオが全盛期だった時期に育った自分。学生時代は、FM放送も始まった時期だ。音楽番組が主流を占めていたが、あまり聞くことがなくてAMラジオにセレクターを動かした。鉱石ラジオを手作りした時代を忘れることができなかったのかも。ガキのままだったりして。

 大学を卒業したのが、昭和51年(1976年)。学生時代は下宿に帰ればテレビ。現在のように深夜の時間帯の放送はなかった。精々午前1時くらいには電波は停止していたように記憶しています。ラジオは深夜放送全盛の時代だった。大学を卒業してからは車を運転することも多くなったので、ラジオさまさまでした。交通渋滞を気にししつ運転しておりました。

 ついついラジオをONにするのでした。ひょんなことから小沢昭一さんの番組を聞いた。「小沢昭一の小沢昭一的こころ」軽妙なお囃子で始まる番組だ。最近は小沢さんが体調を崩されたので、かつて放送された番組を再放送していた。昭和48年から始まった。一万回を超える長寿番組となった。でも、もう聞くことができない番組となった。本日が最後になるのだろうか。

 実は沖縄では、10月の番組改編で、午後9時50分からのなってしまった。番組改編情報の告知聞いたときは、何で遅くなるのだろうって思ったが放送局の都合なのだ。かつて聞きなれたというか、耳慣れた声が聞かれなくなるのは仕方がないのだろう。CDでも発売されたら購入しようと考えています。

 天国から「小沢昭一の小沢昭一的こころ」を放送してもらいたいのでした。

 享年83歳だった。合掌。

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2012年12月 9日 (日)

現地を歩いて感じたこと

 弱気ではないのですが、今年の冬の寒さは例年に比べると厳しいように感じます。本当に寒いです。老年期に突入したからかもしれないです。基礎代謝機能の低下が暑さや寒さへの抵抗力を低下させているのだろう。体幹筋の筋力の強化も課題になっている年齢なのでした。2日間の先島方面への出張でしたが、移動の大半は歩きでした。それぞれの目的地まではタクシーで移動したが、それ以外は徒歩で移動でした。身体的には適度な運動量でした。天候が大きく崩れることもなかったのは幸いでした。

 日常生活の中に地面の起伏があるのは、あまり経験しない。平らな地面での生活が当たり前なのだが、広い平らな地面が確保できない地域では、傾斜地を歩くのが当たり前。この二日間でしたが、普段はあまり使うことがない筋肉が刺激を受けているのでした。気にしていなかったのですが、一夜明けた今朝、筋肉の緊張具合に違いがあるのを理解できた。

 ごくごく当たり前に日常生活の中に歩きを取り入れていると、いないとでは身体的には大きな違いがあることは痛感した。太古の人類の祖先と呼称されたルーシーやルーシーの祖先たちが、トコトコと歩いてアフリカから世界中に広がり、地球の隅々まで生活圏を広げたのも、歩いて行ったことになると考えると凄いと思う。

 石垣の離島桟橋、西表島の上原港の桟橋に、それぞれ仕掛けがあった。大半の観光客の方は意味が分かっていないだろうと思う。それは靴底の消毒が目的だ。消毒の主な目的は、動物の伝染病の予防だ。以前に宮崎県で大量発生した牛の口蹄疫の侵入を防ぐためだ。台湾では、度々発生する口蹄疫、一旦罹患したら殺処分するしかない厄介な病気だ。

 自分としては、一見して積極的な消毒方法かなって疑問に思うのでした。それは船からの乗降客全員が通過する通路に消毒薬の染み込んだマットが敷かれている。が、そこを通過しなくても歩けるのでした。通路の左右のど真ん中には消毒マットが設置されていないのでした。そこを通過すると消毒液に触れることがないのでした。これは盲点と思うが、どうなんだろう。一般観光客としての自分らを含めて口蹄疫に対する知識は、乏しいのでした。今後の対策は、これまで以上に真剣に考える必要がありそうだ。

 当分、雨マークが続く師走なのでした。

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2012年12月 8日 (土)

船での移動 

 朝は、寒かった。離島では移動手段が定期船となります。海況の状態が運行体制に大きく影響を与えます。午前9時30分発の石垣行きだ。天候次第では、出発港が、全然違うのでした。宿からの出発が8時10分になるか、9時10分になるか。朝食を7時30分から広い食 堂を3名で占領して食した。

 結局は、石垣を定時に出向して上原港を目指してといるとのこと。宿の出発が決まった。9時10分よりも前に港に出発した。この閑散期なのですが、一般観光客は、30名くらい、その他島の方々だった。定期船が満席だった。石垣までは荒れることが予想されての出航となりました。自分の席は、最前列となった。荷物を持って船内に入ったが、後部に座る席がなかった。あぁぁ最前列だぁ。酔い止めを服用していない。デリケートな自分としては、超危ないと思いつつ、座る席を確保した。一緒に座った知人は、危険を察知して船室外に出た。

 一人で石垣までの45分間は我慢の時間と覚悟して座った。荒れることが判っている中で最前列に座るのは、自分にとっては決死の覚悟だ。濡れるを覚悟で船室外は、諦めた。上原港から出港すると、5分も走らない内に揺れが出た。そう言えば、船内放送があった。「海が荒れているのでシートベルトの装着」を促す内容だった。

 かつて経験した厳しい揺れまではなかったが、それなりに叩かれた。西表を過ぎて、小浜島辺りから揺れは、それほどでもなくなった。相当な揺れにも慣れてしまったようだ。石垣と西表の上原航路は、ヒヤヒヤすることが多かった。自分の乗船した船の次の便から欠航となり、大原行きだけになってしまった。

 今回、痛恨のミスを犯してしまった。スマートフォンの充電器を持参するのを忘れてしまったこと。予備バッテリーも持参したが、7日の金曜日の夕方でアウトだった。二個ともアウトになったのでパソコンを使って充電していたが、夜通し充電しているとタカを括っていたが、朝起きたら、充電して表示になっていた。午前中の段階で完全に二個とも放電されたままでした。携帯を使ってfacebookで写真を掲載することができなかった。次回の出張から充電器も忘れないようにします。

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2012年12月 7日 (金)

石垣。西表出張でした

 石垣島と西表島に来ています。今回も仕事です。プライベートではありません。ヒヤリング調査です。目的地の石垣には、普段と違う雰囲気が漂っています。それは、北朝鮮のミサイル発射に備えての自衛隊が迎撃システムを持ち込んでいます。朝便にて那覇空港から出発。滑走路側から海上自衛隊、航空自衛隊、陸上自衛隊の航空機を確認することができた。やはり、北朝鮮からのミサイル発射に備えての厳戒態勢が敷かれていることが理解できるような陣容だった。

 まず、海自では、P3Cの対潜哨戒機、一見P3Cなのだが、多少の形状が違う機体。CH53型の大型ヘリコプターが格納庫内に見ることができました。次に空自側では、E2Cが翼を折り畳んで状態で駐機しているではないか。B767型の空中警戒機とは違う。アメリカ製の機体で、本来はE2Cは航空母艦に搭載できるように設計された機体なのでした。戦闘機はF15も並んでいた。翼端にミサイルが装備されていた。ダミーではなく本物のようだ。ジェット練習機も居た。救難隊前には、捜索機とヘリコプターが待機していた。後続距離が短いと指摘されているC-1輸送機。陸自側では、CH47型のタンデム形式のヘリコプター。沖縄では珍しくUH-1も確認できた。総じて、尖閣シフトなのだろう。

 石垣空港でも、自衛隊機がいるかなって思ったが、民間機のみだった。港には海保の巡視船が停泊。もちろん第十一管区海上保安本部以外からの巡視船もいた。海保は尖閣シフト。自衛隊は、とりあえず北朝鮮ミサイル対応という構図になるのだろう。観光地としての石垣と西表ですが、平時での観光地としては周辺地域の緊張状態は、イメージダウンになると心配する声が多数聞かれた。国境が近くにある地域では、ちょっとした隣国との緊張状態は、営業に深刻なダメージを与えることになるのでした。肌で実感した。

 晴天というか晴れ間が広がった石垣と西表でした。

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2012年12月 6日 (木)

ワークショップでした

 寒い沖縄でした。この時期は修学旅行とも重なるのでした。知人のダイビングサービスでは、修学旅行にダイビング講習を取り入れています。海況が恩納村の海を使うことができなかったので、反対側のレッドビーチでの海洋実習となったのでした。レッドビーチも、その使い方については地元の管理者がいますので、指示通りに使って欲しいのでした。

 修学旅行については、マリンスポーツに興じる学校もあれば、スノーケリングや体験でのスクーバダイビング、3日続けて行う初心者講習のスタイルと様々だ。学生さんにとっては、快適性を提供できるかと言えば、正直この時期は風向きが北や北東では、それなりの厳しい状況も考えられる。逆に南風でも吹いてくれれば気温は25度を超える可能性もあるのでした。南風は、何日も続くことはないのでした。季節は冬なのでした。寒い地域からの学生さんであれば、この時期の沖縄は、暖かく感じるかもしれないのでした。

 木曜日は、恒例の嘉手納漁協二階でのワークショップでした。参加者は9名、前回のアクシデントマネージメントに比べると半数くらいだ。師走なので、それぞれの事情で参加できない場合がある。あと二回を予定しています。今年のまとめは、CPRトレーニングにしようと考えています。救急専門医の方に監修をお願いしたダイビング現場でのCPRトレーニングだ。あとはヒヤリハットの詳細についてはワークショップを開催して今年の〆としたいのでした。

 ワークショップを開催するにあたり、多くの方の協力の結果と感謝しています。嘉手納漁協の組合長さんには大変にお世話になっています。来年の1月からは、潜水医学の専門家の書いて書籍を使って講習会を実施するかな。今日のワークショップは、そういう意味では興味深かった。聴講された方々に感謝です。

 12月4日に左大腿骨の骨折の修復手術が無事に終わりました。今日は、車椅子での移動後、リハビリ室にて平行棒に使って歩く練習を実施したと報告がありました。サイボーグ88号ですが、QOLを高めるための復帰リハビリが始まりました。ご心配をおかけしました。

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2012年12月 5日 (水)

航空券 パーパーレス化

 終日、雨、雨、雨でした。昨日の晴れ間が嘘のようだ。雷こそ聞こえなかったが、雨、雨、雨。それも横なぐり状態だった。気象レーダーで確認しているが、雨雲が次から次へと沖縄本島に接近するのでした。数珠つなぎのように並んでいるようだ。

 航空券の確認に那覇空港の航空会社の発券カウンターに行ってきました。そう言えば最後に飛行機に乗ったのは、昨年かな。それとも一昨年かな。記憶が曖昧になりつつあるのでした。思い出した今年の3月でした。石垣経由でエコツーリズム関係者の講演会だった。一昨年はドクタージェットのデモフライトに参加しました。

 インターネットにて航空機の搭乗券を購入した。最近は、ペーパーレスの時代だ。航空会社発行のクレジットカードで購入して、ペーパーレスでの搭乗手続きが可能だ。搭乗記録は、クレジットカード番号とお得意様番号を打ち込んでおくことで対応されるシステムだ。今回は、搭乗記録とチケットの半券が必要になる。そのために昔懐かしい上式の半券が残る形式になっているかの再確認でした。

 インターネット時代の盲点なのだろうか。それとも時代に即した規則に切り替えるべきなのだろうか。

 コンピュータで管理されているので、コンピュータシステムの故障は、大変な自体に陥いるのでした。手作業での搭乗手続きでは、短時間での処理は無理だ。個人の識別作業だけ膨大な時間がかかる。120名とか150名の名簿を確認。各自の手荷物がどこにあるのかの把握等も必要になる。膨大なデータ処理が得意なコンピュータサマサマです。

 出発時間の定刻15分までに保安検査場を通過するようにとの指示が書かれた資料ももらいました。遅れないように搭乗するように余裕を持って対応しなければ。

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2012年12月 4日 (火)

常在細菌

 私ごとで恐縮ですが、11月25日に左足の骨折で入院してた父ですが、本日、手術を無事に終えました。最終的にチタンで骨の固定手術が完了しました。骨折した部位の傷が回復次第、リハビリ病院への転院とのこと。とりあえず無事に骨折修復の手術が完了です。当分の間、手術部の二次感染への注意が必要となるのでした。ひとまず安心しました。

 術後の二次感染。自分は経験したことがないのですが、現代医療の最先端の部分では、非常に注意を払っている事柄ではあります。抗生物質にも強い耐性菌が、いくつか報告されています。日々、病室や入院棟での菌検査をしているのだろうか。定期的に床や空気中、布団やベッド、医療関係者の白衣等からの菌採取を行って培養して、どんな細菌がいるのか調べているとは思うが、どうなんだろう。

 人間の身体には、常在細菌群が生息しています。逆に言えば、常在細菌が身体各部にあることで身体外から侵入しようとする菌類に対して抵抗するのでした。毒を持って毒を制すの如くです。身体が健康状態にあって、栄養状態が安定している。適度に身体運動している。日光浴している等の生活を送ることで常在細菌の力で身体を守ってくれるのでした。あとは免疫機能も安定していることも重要かと。

 かつてこんなことがありました。ガイドダイバーさんですが、歯痛が続いた。たまたまシーズン中で痛み止め薬を服用することで痛みを和らげていた。一ヶ月、二ヶ月、三ヶ月と時間だけが経過、結果的には痛み止めを飲み続けていたようだ。結局は虫歯が溶けて歯根部まで穴があいた状態になった。次の展開が凄かった。上の歯の虫歯だったので、最後は上顎洞の骨の底部まで溶かしたようだ。上顎洞に歯根部から細菌が侵入して上顎洞炎を起こしてしまった。3月は学生の合宿だ。4月はGWでピークを迎えるために、仕事を休むことができないのでGWが終わってからの精密検査。その結果は入院しての上顎洞に溜まった膿の排除するための手術となったのでした。無事に成功してガイドを続けたという苦い経験をした方を世話したことがあるのでした。

 無理は禁物です。

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2012年12月 3日 (月)

病院は待つことだ

 ひとつ訂正がありました。昨日、体脂肪率が10%以下と書きましたが、正確には4%とのことでした。おっとびっくりでした。

 昨日の雨降りから一転、晴れ間が広がっています。やはり晴れ間があるとホッとします。車の運転も楽です。空気の湿り気もなく、カラっとしています。ジメジメした湿った空気よりはありがたいのでした。

 明日は、父の大腿骨の骨折の手術の日です。手術の前日に担当医から手術の手順と内容について説明を受けるべく待機したが、結局、約束した時間も過ぎてお忙しいようで、とうとう入院病棟に退出を促す放送が流れた。午後8時だ。付き添いやお見舞い客の退出の時間となりました。自分ら兄弟というか姉妹の3人だけの肉親だ。手術の承諾書には、まだ署名していない。

 前日にナースステーションにて確認したら、明日の午後7時くらいだったら主治医も手空きになるとのこと。その時間帯に説明するので待機するようにとの指示があった。一名は東京から全員が揃うのは、午後7時くらいだった。ナースステーションに3名揃ったので、病室で待機するようにとのこと。待てど暮らせど。忍耐ですね。病院では待つことに慣れている。結局、主治医はいないので研修医が説明に来ますとのことでしたが、仕事を終えたら、説明に来るとのことでしたが、時間切れ。

 ナースステーションにいた研修医に、明日の手術を受けるものですが、明日は何時に来ればよろしいかと尋ねると、正午くらいかなとのこと。手術の順番は、2番とか、3番目とかだった。では正午くらいに病室に来ますと伝えて帰宅した。

 午後9時半過ぎに登録していた自分の携帯に主治医の方から電話があった。午後2時から3時くらいから手術開始とのこと。救急指定病院なので、緊急手術があれば、遅れることになるようだ。とりあえず、明日の手術の時間が確定した。心配ことが少しは解消したかな。

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2012年12月 2日 (日)

那覇マラソン 直さん 完走ご苦労さまでした。

 那覇マラソンだった。例年は晴れ間が広がる中でのレースが多かったが、今年は大雨の中でのスタートだった。レース中も雨降りだった。ずぶ濡れで北東の風、ヒートロス状態になるかなって思いましたが、走ることで血液が全身を走るので筋肉が発熱というか産生熱となって体温を上昇させることになる。エネルギー代謝が凄いことになりそうだ。全身ずぶ濡れ状態での42.195km、走り終わった後の体力は、通常の走っただけのエネルギー消耗の倍くらいの消耗しているかもしれないです。生理学的なエネルギー代謝の計算方法、忘れてしまいました。

 自分の知人で9月から那覇マラソン出走の計画を立て、練習してきたのですが、仕事の都合が、1日ずれ込んでしまったので仕事優先しなければならなった。今回は、二人が出場を取りやめたとなりました。まず、出場を決心、最初にシューズ選びからだった。そして個人の足型を取って、最適なシューズ選びとトレーニング処方のアドバイスを専門家より得ていた。それらに基づいて、トレーニングをしていた。フリーで仕事をしている場合は、予定したスケジュールの変更を余儀なくされます。また、来年のチャンスを狙うことになるのでしょう。頑張って欲しい。

 師走です。ダイビングインストラクターにとってはインストラクター資格を更新するために経費がかさむ時期でもあります。3日のまとまった仕事は、フリーのインストラクターにとってはありがたい。月末払いではなく、仕事が終わった直後に現金収入となるのでした。

 完走率が72.6%のデータが公表された。悪天候の中でも、しっかり指定された時間内に走ることができたとは、普段からのトレーニングの結果かも。気になるのは、参加者の出身地域別のデータだ。沖縄県内なのか、内地から参加しているのか等だ。

 悪天候にも関わらず例年よりも完走率が高かったのは、晴れた日のマラソンに比べて体温上昇が少なかったのかもしれないです。温度上昇でのバテが少なかったのでしょうか。体脂肪が10%くらいの完走者に聞いてみます。

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2012年12月 1日 (土)

糸満でした

 
  ポイント 天気 風向き 気温 水温 透視度 透明度
沖縄本島糸満 トコマサリ西 北東 22℃ 23℃ 25m 25m
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本日は南部糸満にてのDive。昼にかけて徐々に風、波共に上がってきてましたが早めのエントリーでドリフトダイブ。

 水中入ってすぐに、イソマグロが横切ったり、大きなアオチビキがペアでいるなど大物の確認はできました。ドームの中には相変わらず、アカククリかまたくさん群れていたり、イセエビやノコギリダイの群れものんびり泳いでいました。他にもネムリブカが2個体見られるなど、改めて糸満の魚影の濃さを再確認できました。

 那覇マラソンに出場予定の直でした。

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12月突入だ 師走

 週末の土曜日だ。12月1日です。小雨模様のままだ。昨日の11月末で一旦、休業するダイビングサービスが多くなります。FBにも、お休み宣言が出されています。中には、年末年始まで一時休業から、南半球のダイビングサービスにて移動してガイド業を継続。営業を兼ねて内地に移動したなんて報告だ。

 夏場にお休みが取れなかったスタッフにも、ちょっとだけお休みの時間になっている。繁忙期では、定休日がとれない。この仕事の厳しい局面です。一般社会では、週休2日で実就労が5日かな。1日の労働時間が8時間となると40時間労働だ。10時間とか12時間労働になっている。70時間から84時間。労働格差は、広がるばかりだ。こんな状態を解消したいと考えるが、実際には解決策はないのが現実だ。

 この時期は、退職するスタッフが集中する。区切りの時期でもあるのでした。5年とか、8年とか、区切りをつけて他業種に転職。転職については、なかなか再就職先の当てはないと聞く。自分の愛弟子は、医療の専門学校に入学が決定した。作業療法士の勉学に励みたいとのこと。もっともダイビングスタッフになる際に両天秤にかけたこともあったと聞く。退職の時期を決めてからは、入学先の資料の取り寄せと入学資格の再確認、少しづつ受験勉強等をガイドの合間の時間を調整しながら勤しんだとのこと。幸いに呑み助さんではなかったのが幸いしたようだ。希望した学校の受験し、そして合格通知を手にした。4年間の勉強のスタートだ。4年後に国家試験の受験が待っているのでした。

 作業療法士なのでリハビリテーションの方法論として無重量状態でのリハビリにも興味があるので、資格を取得してからダイビングインストラクター資格を活用して水を介してのリハビリを実践したと抱負を語っていました。頑張って欲しいのでした。微力ながら手助けできるように考えています。

 労働格差が顕著になっているので、ますますダイビングスタッフ予備軍のなり手が少なくなっているのでした。

 FBの利便性に感謝です。反面、メールでのやりとりが激減したのでした。

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