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2015年11月30日 (月)

NAUI ITC終了でした。

 久しぶりの長時間の仕事になりました。延で8日間、朝から夜までぶっ通しでした。全体の管理です。講義や口述指導やCW,OW実技の評価等も実施です。あとは講習全体がスムーズに進行するための調整、食事の手配と準備、調理と配膳でした。食器洗いとテーブルの片付け等は講習生の役割とした。お弁当は二回かな。講習会場の都合で食堂が二回。夕食は一回だけ外食だった。ピザとサラダの食べ放題に参戦した。

 次の最終検定のための受講申込の書類を本部に送らねばならないので時間をやりくりして資料をまとめて郵便局に行き、有効期限内に種類が届くことを確認して発送した。お役所的な対応だ。何か違和感を感じながら郵送の手続きをした。あれこれギリギリの日程を承知で開催している状況なのに、とんだ勘違い野郎がいるのでした。

 さあ気分を切り替えて頑張りましょう。ITCは終了。最終検定に向けての新たな受験対策の日程を調整することにしている。最終検定日の日程は、すでに決まっているので当初の予定よりも2日か3日ほど早めに集合して、補強のためのスケジュールを立て直すことにした。頑張ろう。

 あっという間に11月が終わった。学会での口演、口演のための資料作成と校正。練習の繰り返しだ。7分の時間内で5分で勝負、残り2分が質疑応答になる。前後タイトになっているので時間の無駄がないように練習した。

明日から師走だ。何となく気忙しくなるが、着々と予定をこなします。

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2015年11月29日 (日)

終日、講義でした。

 終日、講習でした。NAUIのITC(インストラクター養成講習会)でのコース基準からNAUI、保険関係、法的側面までの学科講習でした。ハンドブックに2015年と2016年の保険関係の資料、資格更新について説明した。ときおり咳き込んでしまった。あぁぁ情けない。受講生には風邪を移していないと確信しています。

 久しぶりにITCを実施しています。前回実施したのは二年前だったか。その時は離島のダイビングサービスの二代目になる長男坊さんたちだった。すでに現場にてバリバリと仕事をこなしています。私の仕事をお願いすることもあるのでした。

 インストラクター講習会は、基本的なコーススケジュールの骨子から実際の流れまでアメリカにて直接指導を受けた。いまから30年以上も前のことだ。実技研修も受けた。自分の場合は非英語圏ということで中南米の方々と一緒のグループに編成されたのでした。まだ自分は20代後半でしたが、血気盛んなお年頃で、人一倍好奇心旺盛な時期でもあったのでした。パソコンもない時代です。英文を英語の辞書を片手に鉛筆でわら半紙に英語を書き出して辞書を引きながら日本語に訳していました。

 ワードプロセッサーもなかった時代なのでした。通信は電話かFAXですが、一般家庭にはFAXが普及していない時代でもありました。そんな中での翻訳作業だったので、膨大な時間を費やして資料を作りました。コース基準も全て翻訳しておりました。あとは指導法概論という造語も作りました。オリジナルの原稿は、アメリカ人が作成しています。1980年代の初頭、アメリカはベトナム戦争の後遺症が完全に癒えてなかった時代でもありました。アメリカの理事会に参加しましたが、中には戦争に参加した方もいました。あれこれ片言の英語で話をしたこともありました。

 延べで一年かかって指導員用と初心者用のテキスト類が完成することができました。多くの方に翻訳のお手伝いをして頂き助かりました。講義をしていて、ふと当時のことを思い出してしまった次第です。

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2015年11月28日 (土)

ITCの終盤です。

 昨日までの冷蔵庫状態からポカポカ陽気に変わった。朝からダイバーレスキュー検定と海洋実習の1と2の指導評価だった。週末なので他のダイバーの迷惑にならないようにとレッドビーチを選択した。レッドビーチ自体は、砂地で浅いのでした。軍桟橋側は岸よりでも深くなるのですが、余り軍桟橋の近くでは潜るなということなので、漁港側で潜るようにしています。ところで軍桟橋の中に立ち入って釣りをしている人がいた。これは基地内への侵入となるのでした。日本の警察のパトカーがいれば、「すぐに退去せよ」とのスピーカーで伝えられるのでした。一人だけだった。他の人は漁港側にて釣糸を垂れていた。

 セルフダイビング中の方がいた。自分等が行った時は2台止まっていた。すでに潜っているようだ。長く潜っているのでした。

 午後から受講生は筆記試験だった。一挙に実施します。以前は、一日に一科目づつ実施していたが、まとめて実施する方式に変更された。トータル的に知識を獲得しておかないと大変なのでした。器材、物理、生理学と医学、減圧、環境、技術と救助、指導法概論の7科目なのでした。どれも75%以上の合格点が取れないとダメなのでした。一発合格点でした。

 インストラクター養成講習会は日数的には8日間と別に最終検定会が2日の10日間となっています。アメリカでは10週間で初心者からインストラクターまで養成するシステムがあった。日本では結局は定着しないまま終わった。何故なのか。理由をしっかりと調べてみたいのでした。さあ、残り2日間だ、体調を崩さないように頑張ります。明日は終日、講義とワークショップなのでした。

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2015年11月27日 (金)

反省してます。風邪直します

 今朝の冷え込み強かった。咳き込みが強烈で、3回ほど目を覚ましてしまった。これまでにないくらいの強烈な咳き込みだった。おかげで腹筋が痛いです。咳き込み過ぎて腹筋まで影響が出るのは、これまでに経験したことがないのでした。ヤバしです。

 ITCの受講生やスタッフに風邪を移さないように注意しているつもりですが、この時期の気象状態は微妙だ。受講生に風邪でも移したら一大事だ。インストラクターなるためにお金を貯めて、受講する時間を得るためにオーバーワークをこなしながらの受講だったと推察されます。貴重な時間を費やしているので、どんなことがあっても風邪を阻止させます。一刻でも早く、風邪菌には退避してもらうしか方法がないのでした。栄養をつけて体力を充実させて、風邪を追い出すことが出来ても、其の後に余ったエネルギーが内臓脂肪に変身しないように燃焼させねばならないのでした。

 昼と夜の食事を受講生はスタッフと食べます。連日、キノコ類や竹輪、糸コンニャク等を刻んで炊き込みご飯の具材にしています。乾燥したエノキタケも入手できたので、調味料替わりに入れてあります。野菜サラダ、ハムの切り落とし、筑前煮等です。メインについては、レトルト食材のカレーはお湯で温めています。自分も含めて野菜不足に陥りがちなので、十分に注意してテーブルの載せるようにしています。期間中は、食事のことは後回しにしてインストラクター合格を目指して頑張って頂きたいのでした。

 食事を作る時間が制限される場合、やむを得ないですが、地元のお弁当になります。食材の種類については、できるだけ沢山食べられるように調理方法を工夫しています。ついつい食べ過ぎない程度のボリュームにまとめるようにはしているのでした。

今日までが室内プールを使っているので外気の極端な寒さは経験していません。室温27℃くらい水温も27℃くらいの大学の室内を確保しているのでした。昨日や今日の外気温は13℃くらいかな。それに北寄りの風が10m前後の強さで吹いているので実際の体感温度は一桁台の気温になっているかもしれないのでした。

 風邪直します。猛烈に反省しています。

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2015年11月26日 (木)

一挙に冬が来た。

 昨夜から急速に冷え込みました。北海道では降雪のニュースがあった。沖縄は寒いですって言っても17℃くらいかな。でも、本格的な冬の到来だ。海も大荒れ状態になっている。インストラクター講習会は、名桜大学のプールを使っている。大学に使用許可願いを提出、授業とバッティングしないように内部で検証してもらい、使用許可証が交付されるのでした。今回も潜水プールと25mも使い分けています。

 海をみながら58号線を北上した。恩納村から名護方面の海岸線には大きなウネリが打ち寄せているのでした。半端ないくらいの強さになっている。一昨日までの夏日だったが、冷蔵庫状態になった。恩納村では強風、波浪注意報が発令されていた。

 多くの若者はTシャツに短パンスタイルで生活している。自分も、まだ夏物をしまっていないのだ。今朝も受講生にも厚手のジャンバーを二つ引っ張り出して貸した。22歳の受講生は、Tシャツに短パンの井出達だった。自分は鼻風邪を不覚にも引いてしまったので反省。若い受講生に強制的に着て行くように渡した。

 海行きのスタッフも防寒体制バッチリで潜りに行きました。東海岸方面に行くとのことでした。ご苦労様です。

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2015年11月24日 (火)

不覚にも風邪です。

 不覚にも風邪を引いた。反省です。鼻風邪です。微熱もあります。咳が続けて出ることもあります。大勢が集まる中では失礼になるのでした。すいませんです。

 緑茶の粉末を買ってきました。飲み物として作るだけでなく、ウガイ水を緑茶で作っているのでした。カテキン成分が入っているのでした。市販のウガイ薬よりも効果があるとされているのでした。

 ようやく鼻詰まりがなくなりつつあるのでした。咽喉からは痰が沢山出ていないので、まだまだ炎症が進むのだろうか、ちょっと心配になるのでした。熱は想像していたよりも上がることがないのが幸いだ。11月の連休が終わりました。ホッとしています。潜水事故がなかった。

 連休が終わったので、ダイビングサービスでも12月末まで一時休暇というか、お休み宣言が出ています。年末年始の一週間から10日くらい営業して、また2月末まで長期休暇に突入するのでした。年間無休で営業しているサービスもあるし、定期的にお休みを宣言しながら続けて行く方もいるのでした。経営者によっては、冬場の副業として東北方面に行って潜水漁猟を続ける場合もあるのでした。結果的には、いつ休みをとって身体のメンテナンスをするのだろうか心配になることもあるのでした。

無理しないようにして風邪を治します。種子島から商業衛星の打ち上げに成功し、宇宙空間に衛星を軌道に乗せることに成功した。関心度合いは、テレビドラマ「下町ロケット」も大ヒット中とのこと。相乗効果が凄いのだろう。自分も成長期を過ぎてしまったかもしれないのですが、頑張ります。

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2015年11月23日 (月)

勤労感謝の日 マイヨールさんを思う

 11月最後の連休の最終日。勤労感謝の日でもあります。また、過去を遡って1976年にジャック・マイヨールさんが人類として素潜りでの100m潜水を成功させた日でもあるのでした。すでにマイヨールさんは亡くなっているが、素潜りを科学的なメスが入ったきっかけもマイヨールさんの功績になるのだろう。自分が聞いているのは、宿敵だったエンゾ・マイオルカ氏との接戦でした。マイヨールさんひとりだったら、どうなんだろう。

 マイヨールさんには晩年、亡くなる直前に那覇空港でお見かけしたことがあるのでした。自分はお客さんの送迎で那覇空港に居たが、彼は一人だった。いつもだと日本人の方と一緒に移動していたように記憶しているのでした。サインをお願いすればよかったかなって今でも思い出すと残念でなりません。

 1976年11月は自分がNAUIのインストラクターに認定された時でもあるのでした。直前ですが、マイヨールさんが海洋公園にて素潜りの世界記録にチャレンジしていたはずだったが、この時は新記録が達成できずに76mだったかな記録を覚えているのでした。漁船の上で座禅を組んで呼吸を整えている写真を見たことがありました。潜水医学の実験に参加しながら素潜りに挑戦していた。実際には、フリーダイビングで深場での心拍数が毎分26回まで低下、赤血球が著しく増加していることが判った。100m素潜り記録を達成した時の年齢は49歳だった。1983年105mに到達。55歳だった。

 昨今、潜水指導団体までがフリーダイビングを取り込んでいるが、ただでさえ、ダイブマスターやインストラクター等のスキンダイビングの能力が低下している中で、改めてスノーケリングやスキンダイビングを指導することができるのだろうか。甚だ疑問になるのでした。フリーダイビングを指導するよりも基本的なスノーケリングやスキンダイビングの技術を練成すべきかと思うのでした。

この連休は、珍しくも天候が崩れることもなく平穏に過ぎた。ある程度の海況の変化を覚悟していたが、安定した状態で推移した。助かりました。

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2015年11月22日 (日)

連休中日 資格更新

 珍しく東風の沖縄本島です。海は凪状態、前兼久から水納島方面に潜りに船が出た。珍しく気象・海象が安定しているのでした。そろそろ台風26号の影響が出そうな気配だ。さあ、明日の天候も安定していて欲しいのだ。知人のガイドサービスは、それぞれ忙しく働いている。気温が少しづつ下がっている。台風の接近ともに低温注意報が出そうだ。風邪をひかないように注意します。

 潜水指導団体は、この時期は次年度の資格更新で大わらわ。資格の更新は、現役か資格を保留するかの選択が迫られるのでした。現役資格を継続するためには所定の会費と賠償責任保険に加入する必要があるのでした。また、傷害保険にも加盟する必要があります。

 傷害保険は任意ですが、入る必要性を感じています。賠償責任保険はインストラクターとして活動している場合に、訴えられる可能性があるので、どんなことをしても加入しておく必要があります。潜水指導団体によっては、この保険が設定することができないこともあるのでした。

 個人だけでなく、サービス提供する店舗としても保険を掛ける必要性があるのでした。傷害保険については近年の多くの事故や災害の多発に伴って保険料が高騰しているためにダイビング関係の傷害保険も値上がりとなっています。自分のお店でも、個人のインストラクター資格の維持以外にも保険を掛けます。何が起きるか判らないので、とりあえず転ばぬ先の杖として保険を設定しています。

 会費と賠償責任保険、任意の傷害保険、お店の総合保険等も考慮すると30万円を超える金額となります。この時期にも仕事を入れておかねばならないのでした。それ以外に学会関係の会費の請求もあるのでした。お札が右から左へと羽が生えたように飛んで行くのでした。

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2015年11月21日 (土)

連休突入だ APECって

 風は北東寄りだが、太陽サンサン状態なので暑いです。明日からの講習の準備で大わらわです。大掃除になっています。室内のA点からB点に段ボール箱を移動だ。商品もあるが実験で使った器材も何点かあるのでした。バラして仕舞えば何でもないのですが、また実験に使用する可能性があるので、バラバラにはできないのでした。言い訳になるかもしれませんが、とりあえずダンボールの外側に中身が何かを記録しておかねばならないのでした。

 11月最後の連休です。ダイビング日和になっている。内地では、すでにドライスーツを着用してのダイビングになっているかと思います。まだ沖縄ではウエットスーツでのダイビングです。例年に比べるとファンダイバーの数は減少気味になっているかと推測される。沖縄のガイドさんもお客さんと海外でのダイビングを楽しんでいることをfacebookやHPにて報告している。内地のダイビングサービスでも、フィリピンに行く予定で計画を立てて予約もしていたが、皮肉にも目的地に辿り着けないなんてことも報告されていた。フィリピンでAPECが開催されているためらしいのだ。入域制限となっているようだ。

 来年は三重でサミットが開催される予定だ。サミット前後に日本の各地で閣僚会議が開催される。となると三重以外でも厳戒態勢が引かれることになる。サミット前後に沖縄以外への移動は考えものだ。大々的な警備体制が敷かれることになる。かつて、東京にいる際にアメリカ大使館まで所用があって行かねばならなかった。たまたま大きな外国の要人を招いての会議があるようで街角の交差点毎に機動隊員が陣取って検問している状況に出くわしたことがあった。あとは2000年の沖縄サミットの際は、恩納村が会場になっていたので、何か月も前から厳戒態勢が敷かれたのでした。

 まだ半分も部屋が片付いていないのでした。

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2015年11月20日 (金)

事故渋滞

 洗濯物が、しっかりと乾くので助かります。湿度は50%だ。心地よい感じの風なのですが、太陽光線が強いので車内はクーラーが必要になりました。夕方、琉球大学から出たが、沖縄自動車道の上り車線は渋滞で車が動いていない。交通事故があった模様だ。車両火災も発生したようだった。道路情報は、自分が聞いている限りではなかった。事故の真相は?

 帰路は県道29号線を北上したが、58号線に抜けるか、ライカム交差点方面から嘉手納に抜けるか、泡瀬方面に抜けて行くかだった。自分は渋滞状況を考えると泡瀬方面に逃げたほうが無難と判断した。そのまま北中インターを横眼で見ながらライカム方面を避けて反対側に向った。午後7時前後の帰宅渋滞にも巻き込まれることなく目的地までスムースに抜けた。ラッキーだった。

 沖縄本島での渋滞については深刻な状態との調査報告があったばかりだ。公共交通機関の鉄軌道がないことが大きな原因と言われている。あとは基地があるためとも言われれている。でも、沖縄本島全域での交通管制はなされていない。全体の交通量の管理は一切なされていない。スーパーコンピュータを使って道路と車の関係を再計算してみてはと思うのだ。ビッグデータの再構築かもしれないですね。

 今日の沖縄自動車道での大渋滞の結果、飛行機に乗り遅れたなんてことがないのだろうか。レンタカーの返却も問題になっていないかな。明日から連休がスタートだ。

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2015年11月19日 (木)

学会を終えて

 今日も夏日だった。暑いです。窓を全開にして扇風機を活用。クーラーは掃除をしていないので使わなかった。風は北寄りになっているが、太陽が優勢になっていた。とにかく暑い。体調を崩さないように注意です。

 先週末に第50回目の節目になる日本高気圧環境・潜水医学会学術総会が終わりました。会場は群馬県の前橋市でした。主催幹事は群馬大学でした。会場は大学構内ではなく前橋市内のホテルでした。自分が宿泊先のホテルからタクシーにて会場に向かった。前橋市では流しのタクシーはないとのことだった。ホテルからタクシーを手配してもらった。会場名を告げたが、タクシーの運転手さんは一瞬「?」だった。会場のホテル名が違ったのかなって思ったが、運転手さんが意外なことを。以前は、厚生年金会館だったとのこと。

 前橋では学会がいくつか続いた。そのために軒並み宿泊先の確保が難しかった。学会が用意していた宿泊の予約関係は機能していなかったようだ。自分はJTBにて航空機と宿泊先の確保をした。航空機は問題なかったが、宿泊先は12日と14日は確保できたが、13日の金曜日だけはJTB協定の宿泊先は満杯とのこと。急遽、前橋に居を構えている方に連絡して宿泊可能と思われる施設を紹介してもらった。一軒づつ電話して宿泊先を探した。6軒紹介されたが軒並み5軒は満杯とのこと。

 6軒目の宿泊先は和室だったら開いているとのことだった。とりあえず宿泊先が確保できた。ホッとした。とりあえず1日づつ日替わりで宿泊先を転々とした。それでも朝から夜遅くまで学会関係者と話が出来たのが幸いでした。来年は東京だ。また、お金を貯めて学会に出席できるように頑張ります。

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2015年11月18日 (水)

スノーケリングを教えてステイタスは

 夏日の沖縄。30℃近くまで上昇した。暑いです。夏物をしまったが、またまた引っ張り出した。暑いのでした。

 こんなおバカな話を聞いてしまった。唖然!!

 とある修学旅行のマリンスポーツだった。200人の参加者に指導者が4名とのことでした。200人に対して4名ですか?って考える。おまけにインストラクターは4名だったようだ。終わったのが夕方の7時位までかかったとのことでした。どのような手順で指導したのかは、皆目わからない。ベテランのインストラクターが、何かおかしいということで最後に助っ人の二名に聞いたそうです。答えは「初心者のオープンウォーターダイバーです。」って。ベテランインストラクター氏は、一瞬耳を疑ったとのことでした。

 はい、スノーケリングについては、誰が教えても宜しいようです。まかり間違って事故でも発生した場合の保障は、誰がするのだろうか。自分等インストラクターは、自分が仕事をする際は、賠償責任保険だけでなく、任意の傷害保険もかけて仕事を請け負っています。教える側のステイタスとしての保険もかけて対応します。

いくらスノーケリングだから教える側は頭数だけ揃えば構わないというのは問題ありだ。主催者側としても、助っ人でくるインストラクターの実態を把握しないのだろうか。いくらなんでもインストラクターカードの確認とか、提示を求めないのだろうか。

 とりあえず頭数だけ揃えば大丈夫は、困ります。事故が起きたら大変なことになっていると思う。その責任は、当然ですね。助っ人の資格を把握しないで仕事を任せている主催者と送り込んだ旅行社の責任もありそうだ。

そろそろおバカなことは辞めにしなければ。

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2015年11月15日 (日)

沖縄に戻ります。

 日替わりの宿泊、最終日は羽田空港の国際線ビル内にあるホテルに宿泊だった。幸いにもチェックインした際に空港滑走路側に面した部屋が確保できたとのことだった。行く先々で、乗り継ぎ路線の確認。完全に”御上りさん”状態なのでした。切符を見せて、目的の場所を教えてもらった。今回は、羽田空港からJR線に乗り継ぐまでは京急線に乗った。何十年ぶりかな。10年とか20年ぶりだった。品川駅では、一名が迷子状態になったが、なんとか合流し、前橋に向った。帰路は、土砂降りの中、学会会場からタクシーで移動した。あっと言う間に新前橋駅に到着。

 高崎まで上越線で移動。高崎駅にて新幹線の座席指定を変更しもらった。二階建ての新幹線で東京へ。土曜日の夕方なので、二階席は満席状態。逆に一階はがら空きだった。終着駅の東京まで、新庄早稲田辺りで記憶がなく、気づいたら上野を出発、ちらりと外を見ると日暮里を通過していた。東京駅の新幹線ホームから在来線に移動。人の流れに乗りながら京浜東北線まで、浜松町まで。あとはモノレールで国際線ビルにて降車。

 国際線ターミナルビルに入るが、国際線の航空会社のカウンターがズラリ、多くの外国人に囲まれながらホテルを探す。モノレールの駅員さんにホテルへの行き方をパンフレットをもらって説明を受けた。イザ、ホテルへ。それでも一瞬戸惑いがあった。出国手続きに長蛇の列。人の流れをかき分けてホテルに向った。チェックイン完了。セキュリティの関係でエレベーターもカードを所定の位置で提示して行先階のボタンを押す方式だった。キーレスエントリー方式なのか。

 何とか部屋に到着。滑走路が丸見えなのでした。全然、航空機のエンジン音がうるさいこともなく快適だった。風呂場は、滑走路に面している。パーテションで外の景色を遮って湯船に浸かった。外からは丸見えなのだろう。きっと。木の香りのするお湯が気持ちよかった。

チェックアウト。国内線の第一ビルに到着。ホテルから出てモノレールで移動。10分以内に空港カウンターのチェックイン。藤村時代の教え子が子どもを連れて会いに来てくれた。そう、25年ぶりかな。電車の行程を調べてくれた優さんでした。自分が藤村を退職した時は高校生だったかな。すでに40代のお父さんになっていた。多くの人、大学にも感謝しています。学会への出席と演題発表せよとのお達し。ありがとうございました。雨の中、これから沖縄に戻ります。

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2015年11月14日 (土)

充実した学会でした。

 充実した日々を送ることができました。12日から前橋へ移動。多くの旧知の方々と対面、様々なお話ができたこと。新しい知識を得ることができた。それに自分の近況を言葉で伝えることがでいました。朝から夕方までびっしりと研究や治療、調査等の報告を聴講できた。学会なので、口演者の資料の写真をばしばし撮る訳にもいかないので、ひたすら聞きのばさないように必死だった。あとは自分も口演発表を一題でした。持ち時間は7分だが、質問の時間を考えると正味5分が勝負なのでした。

 自分は、一般演題の中で発表した。前後は医療機関での治験例だった。自分は酸素使用の問題点を書いた。最終的には学会の資料集として公開されるので、それまで公開することは控えねばならないのでした。二重投稿にはならないと思うが、学会にて発表したので学会がまとめて公開するのを待つことにします。

 今日も朝8時30分から口演発表を聞いた。現場で使用する酸素マスクの性能を調査した内容は興味があった。メーカーごとに比較したもの。酸素を供給している際の口腔内と気道内での酸素濃度の測定結果。メーカーによっては規定量をカバーするには毎分30リットルもの酸素を供給しないとダメなものもありました。自分等が、DANの指示した量では、毎分25リットルが最高とされるが、実際の医療現場で使用される酸素供給資器材は最大30リットルは、正直驚いている。1分間に20リットルを供給するだけでも口腔内では溢れる感じだ。現行では15リットルを供給することになっている。15リットルでは口腔内および気道内での酸素濃度が規定以下の製品もあることが判った。

これらの性能が低いケースについては、製品名を公開することはできない。A,B,C,とするだけだ。来週から大きな仕事が待って居るので頑張ります。酸素講習もあるので、酸素マスクも調達しなければならいのでした。

 最後の宿泊先は、羽田空港の国際線ターミナル内のホテルに宿泊。午前零時半まで打合せだった。

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2015年11月13日 (金)

演題発表です。

 前橋の朝。朝日が煌々と登ってきた。窓のカーテンを開けたままにしていた。朝日が眩しくて目が覚めた。久しぶりの感触だった。少しだけ微睡んでいたかったが、余りにも眩し過ぎた。夜中が8℃くらいだった。宿泊先をチェックアウトして学会会場に向かった。昨晩宿泊したホテルから、次の宿泊先に移動なのでした。今回は、学会が重なっているようで宿泊先の確保が大変でした。結果的には、1日毎に宿泊先を転々となるのでした。

 午前中は、高気圧治療の問題点について、メインテーマを合志先生が座長になって進行した。わが琉球大学高気圧治療部、海上自衛隊横須賀病院、都立荏原病院、東京医科歯科大学、南部徳洲会病院の医療機関が参加した。学会としては潜水障害での減圧症については第二種高気圧装置を使っての治療が推奨され、アメリカ海軍のテーブル6で治療を開始せよ。とのことになっている。それぞれの医療機関での現状を公開してもらった。

 自分は、夕方の午後5時から6時までの一般演題の中での発表だった。酸素の現状についてだった。この2015年4月1日より改正高圧則によって純酸素の使用禁止の解除されたことだ。酸素を現場に配置することで潜水障害の予防と応急処置が可能となったが、実際には、医薬品なので厳密には医師や看護師が使うことになる。緊急事態では対応が躊躇される事態なることもある。医師法と薬機法との関連がある。酸素については取り扱いが非常に難しい現状を説明した。

まだまだやらねばならないことが続くのでした。頑張ります。

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2015年11月12日 (木)

前橋に到着

 朝から珍道中だった。自分は未知の場所に行くと言うのが苦手だ。群馬県の前橋に行くのだ。えぇぇ前橋って群馬でしょ。生まれ故郷は新潟だろうって。はい、そうですが、上越線か信越線では高崎は通過します。高速道についても高崎かな。群馬県では県庁所在地が高崎ではなく前橋なのだ。

 寝坊したら大変とばかりに寝入ったのだが、実際は4時半くらいから目が覚めた。いつもだと二度寝が得意なのですが、結果的には目を閉じただけだった。6時30分に起床のベル。空港に向かう準備。沖縄自動車道で移動だ。沖縄自動車道の南風原線の終点までは渋滞ゼロだった。糸満警察署前辺りから渋滞になって寸刻みの動きなった。予定した時間内に空港の駐車場に滑り込んだ。ラッキーにも満車状態ではなかった。

 チェックインして、26番スポットにて琉大、南徳の関係者と偶然にも合流した。一挙に大人数での移動となった。自分はかつての教え子に羽田空港から前橋駅までの往復の列車の行程を組んでもらった。この資料が役に立った。品川駅の「みどりの窓口」にて座席指定を含めて五名のチェックインとチケット購入。完全におのぼりさんスタイルになっている。新幹線に乗って駅弁を食べながら、あれこれ。優さんに感謝です。四名は高崎駅にて降車、自分は学会のある前橋まで移動した。前橋の駅舎、二つあることを知った。新前橋駅と前橋駅だ。自分が取った宿泊先は、旅行社の勧めだった。実は学会のあるホテルは、新前橋駅の近く。自分の宿泊施設は前橋駅の近くだった。タクシー代は1340円だった。伊豆と東京のメンバーからご飯食べようって連絡があった。合流して楽しい食事会だった。情報収集は着々と進めた。

 明日は13日の金曜日。キリスト教徒ではないので、問題ない。明日の夕方に演題発表だ。7分の中5分が勝負時間だ。頑張ります。

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2015年11月10日 (火)

晩秋の季節となった

 北風だ。さすがに半袖では肌寒いのだ。この秋、初めて長袖の服を引っ張り出した。お得意の重ね着だ。薄い長袖のシャツに半袖のポロシャツの井出達だ。長袖、袖口は長いので、ちょっとだけたくし上げた。あとはフリースを用意したが、昼過ぎの外出時は、暑く感じたので、車に置いた。

 急速に肌寒さを感じるようになりました。事務所の中では、窓を閉め切ると暑く感じるのでした。南側の窓を網戸だけにして風通しをよくすると室温は25から26℃くらい。湿度は40から45%だ。晩秋の季節に突入だ。寒くなったり、暑くなったり自律神経失調にならないように注意だ。12日から内地に行きます。12日の羽田空港着後から14日羽田空港までの旅程については、優さんにお願いして電車を調べてもらった。助かります。今回の目的地は、人生で初めての地なのでした。昨年は鹿児島だったが、今回は前橋なのでした。

 今回、学会では演題は一つに絞った。

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2015年11月 9日 (月)

CPRとAEDの講習でした。

 午前中は晴れていたが、午後からは風が廻った。南から北に変わった。大きく荒れることはなかった。頭の中は、晴れ間が広がっている中でのCPRトレーニングを想像していたのでした。天は味方してくれなかった。横殴りの雨の中でもCPRの実施となった。

 AEDについては、新旧のトレーニング機器四基と本物一基を持ち出して説明した。大人用に子供用も実物を見てもらいながらの講習だった。自分が持っているトレーニング用の機器を総動員しての講習でした。自分等が講習で使用している潜水指導団体指定の教材ですが、大元は某国産自動車メーカーの高級乗用車に配備しているファーストエイドキットに入れてある教材が基本になっている。そのために車がバックに映っている写真が主体になっているのでした。少しでも水辺の写真が欲しいのですが、無理そうだ。

 とりあえず講習内容については水辺活動に適合していることを前提に講義と実技を実践しているのでした。今年は2015年、AHA(アメリカ心臓協会の略)のCPRのガイドラインが5年毎に改定されるが、前回は2000年、2005年、2010年と内容が変遷して来た。今年は、ちょうど5年に一回の改定の時期だ。10月に英語版にて公開され、それを日本語に翻訳して公開されている。

 講習生にもAHA2010と2015年の改定された資料をCDに落し込んだものを渡した。講義でも修正点を説明、その後実技を行った。港に移動してボートの甲板にてCPRを実施。対象は成人と児童へのCPRとAEDを使っての講習でした。

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2015年11月 7日 (土)

一人用チェンバー設置

 青い空の下、朝早くからトラックの荷台から木箱に入った一人用のチャンバーの荷解きに立ち会った。いよいよ琉大の高気圧酸素治療部にも俗に言うワンマンチャンバーが導入されることになったのだ。7月に襲来した台風で屋上にあった空調機器が根本から壊れたまま。修理の費用の捻出が決まらないまま一か月経ち、二か月経ちだった。最終的には10月に予算がなんとか確保できる目途が立ったが、完全に保守点検が完了するのが、年末になりそうな気配だ。

 院内での検査が終了してから保健所の検査も必要になります。これらの一連の設置に伴う検査が終了して、運用承認を受けてから実際の治療に使われることになります。はい、搬入設置が完了、即治療とは行かないのでした。運用検査が終わってからスタッフの実際の運用の訓練を終えてからの治療となります。

貨物用の木箱から出された機器を間近に見れた。意外にも単純な構造なのですが、各種安全装置についてはアメリカ的と感心しました。二重三重の安全装置が働くような構造になているのでした。約4か月間、高気圧酸素治療を休診していましたが、ようやく第一種装置での治療が始まるのでした。大型の第二種は、もう暫くお時間が必要になりますね。

 高気圧酸素治療の適応例は、救急対応から脳外科、圧力傷害、耳鼻科、眼科と幅広い疾病や手術後の創傷回復も早くなることが判っている。沖縄での住民の疾病等でも十分に対応できる内容になっている。本来なら離島の診療所レベルでも対応可能とは思うのだが、液体酸素を貯蔵するタンクが望まれるのだが、その酸素のデリバリーがネックになりそうだ。酸素製造については沖縄本島のみだ。本島から輸送することになるが、輸送する貨物船しかないが、液化酸素のタンクローリーは無理なのでした。タンクでは限界があるのでした。

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2015年11月 6日 (金)

のんびり世代は

 昨日の曇天から一気に晴れ間が顔をのぞかせた。洗濯とばかり、朝から洗濯機を廻した。ジメジメ感が一掃されているような感じだ。厚手も物も、すぐに乾きそうだ。久しぶりの太陽マークだ。

 昨日は、消防学校の学生さんの海洋実習の補講だった。先日の消防学校の公式スケジュールの中で急な発熱のために海洋実習の最終日を陸上にて見学していた学生さんの実習でした。同期の仲間がサポートに駆けつけてくれた。スキンダイビングを一本とスクーバダイビング二本を実施した。時折、雨に降られたが、無事に潜りを完了。ご苦労様でした。

 とある「ゆとり世代」で育ったスタッフさん。いわゆる「じぬし」さんとのこと。症状については伝聞なのだが、相当の強者に成長しているようだ。早急に手術が必要かと思うのだが、現状を聞いたら、ご本人様はのんびりしているのでした。この冬場に手術して完治させたほうがいいのだが、あくまでも本人の意思決定が最優先となる。医療機関が出ている資料を送っておいたが、どうなりますやら。

 ゆとり教育の賜物なのだろうか。自分の身体状態なのだが、のんびりと考えているようだ。早く手術して健康体で仕事を頑張って欲しいとは思うが、のんびりしている。できれば手術しなくて直したいとのことのようだ。私が本人から聞いた限りでは手術して除去すべきレベルと考えるのでした。

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2015年11月 5日 (木)

単純ミスって

 久しぶりの雨だ。本格的な降りにはなっていないが、午後からは本降りになりそうな気象レーダーの観測結果だ。でも、雲行きは怪しい状態が続いているのでした。全国的には、沖縄だけが雨模様だった。幸いにも土砂降りにならずに済んだ。

 知人の車がアウトになったとのこと。朝、出勤しようとしてエンジンをかけたが、ウンともスンとも言わなかった。あぁぁ車が壊れたって。顔を見るとしょんぼりしているのだ。あれこれ確認した。夜間に駐車場に停めたが、その際にライトは消したかなとか、バッテリー自体が古くなっていないか。車を始動する際は、基本的にはキーを差し込んで電気が流れてエンジンがかかるシステムのだが、話を聞いているとキーを差し込んで捻ったが、ウンともスンとも言わなかったと言っている。となるとバッテリーの問題かなって。

 車の専門家が車を点検してみたら、ブブブゥ。ビンゴだった。ライトのスイッチがONのままだったことが判明した。何でだろうって。車を停めてからの行動パターンを再現。と言っても、頭の中でシミュレートしてもらった。本人は、全否定していた。普段と違う行動パターンはなかったかって。しつこく聞いた。

 思い当たる節がザクザクと。普段停める駐車場とは違う場所に停めたこと。それに、いつも停めている暗い駐車場ではなく、明るい電気煌々と点灯している場所に停めたとのこと。本人は、必死に否定していた。ライトを点けたまま、車のドアを開けると警告音がするはずだって。風の音で聞こえなかったのではないかって。

あれこれあったが、ジャンプケーブルでつないでバッテリーに充電したら、車が走ったとのことでした。何よりも証拠写真が送られて来た。ライトがONになったままだった。ビンゴでした。自分も同じことを繰り返さないように注意でした。

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2015年11月 4日 (水)

日程調整

 連休明けだ。二軒のダイビングサービスにご挨拶に廻りました。二件とも昨日は忙しかったとのことだった。11月の会議予定を決めることだった。仮の日程を提案して、それぞれの担当者で根回しをして詳細にスケジュールを決めてもらうのだ。

 来年の4月に東京で開催されるマリンダイビングフェアー。毎年、恩納村が出展している。来年の出展内容を決める必要があるのでした。あとは予算規模については、これまでの実績があるので、新たな印刷物を作成したり、展示内容についても再考しようとのことでした。

会場で配布する恩納村恒例の小冊子。これは毎年中身を吟味しながら、頁繰りを担当者みんなで相談するのでした。その年の大きなテーマを決めて、そのテーマに沿った内容で構成するのでした。お店の広告を載せるための供出金が決まり、それらの条件内容を賛同者に提示して、それぞれの予算規模で決めるのでした。A5サイズの小冊子であります。会場での配布分とお店に置いて配るのでした。追加印刷を含めて予算内で収まるように担当者の考えてくれているのでした。感謝です。

 お昼ご飯は炭水化物祭りでした。食べ過ぎたぁ。

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2015年11月 3日 (火)

宿が見つかった

 肌寒い朝だった。朝から宿泊先の確保で電話しまくりだった。灯台下暗しだった。地元の方に宿泊先を数軒リストアップしてもらい、そのリストを基に電話した。結果的には、一軒を除いて、全て満杯との返事が返ってきた。とりあえず宿泊先を確保できた。ホッとした次第です。

 宿泊先については、インターネットにて予約ができる。これまでの多くの仕事では、これまでの馴染の宿泊先があったので、何とかギリギリでも確保することができた。今回は、自分が知らない地域での仕事があるのでした。大手の旅行社が提携していない宿泊先だったが、直接電話して確認したら宿泊を確保することができた。インターネットを使っての予約が当たり前になった。自分の近くの民宿やペンションでも、インターネットに宿泊予約を受け付けることが当たり前とのことだった。そのために、自分等がお客さんの予約をお願いに行くと、満杯でゴメンって答えが返ってくるのでした。

 インターネット予約の時代になった。ネットを接続することができれば大丈夫なようだ。辛うじてインタネット環境が揃っているので対応が可能なのだ。これ以上の進化した接続方法があるのだろうか。デジタル電脳社会にどっぷりはまっているのでした。

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2015年11月 2日 (月)

東奔西走

 午前中に仲泊経由で沖縄自動車道にて那覇へ、そして330号で琉球大学、嘉手納。そして沖縄自動車道で名桜大学へと北上。帰路は58号線を南下した。分刻みのタイムスケジュールの実行だった。連休の合間の月曜日だが、思ったよりも交通量が少ないように感じた。

 琉球大学では、指導教官とは潜水学情報の取扱いと広報方法の打合せ。今週末に第一種の高気圧酸素治療機器が二基新設されることになりました。現在、給気と排気のガス管の新設工事中、診療室の大改造のお手伝い。嘉手納で酸素を受け取って発送準備。名桜大学へは、施設使用料の支払いと消防学校の講習でお借りした救命資器材の返却。それにフリッパー大会の相談、次年度新規の研究課題の打合せでした。夕方だったので、授業終了後だったので、大学から県道に出るまでの大渋滞を横眼に見ながら大学構内に進んだ。この逆だったら、大渋滞の最後尾だった。

 潜水医学と治療については、新しい知見があるので、目が離せないのでした。調べると日本が欧米に遅れることが5年かな。アメリカ海軍の標準空気減圧の治療が主に実施されてきたが、今後は少しづつ軌道修正されることになるかもだ。潜水傷害なので、即、高気圧酸素治療だではないのでした。臨床面では、酸素を持ちいることの優先性が高まると確信しているのでした。

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