« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »

2019年3月31日 (日)

平成最後の週末 夕食は外食でした。

 沖縄では北風の影響をモロに受けて西海岸側は大荒れだった。晴れ間が広がっているのですが、風は冷たかった。本日は所用で国頭まで行って顔合わせと相談だった。週末の日曜日、58号線を北上した。1時間15分位で到着した。あくまでも一般道だけを走行しただけです。バイクと自転車が多かった。

 平成最後の週末の日曜日だ。いよいよ新しい元号が、明日の午前11時30分に発表されることになった。カウントダウンが始まるのでした。明日のテレビ視聴率は、どれ位になるのだろう。新元号が発表されて1時間半過ぎには、様々な新元号の商品が出回るようだ。ビジネスチャンス到来とばかりだ。元号の訂正印、新元号の文字を彫り込んだ商品類が出回ることになるのでした。ゴム印を製造販売しているハンコ屋さんが大忙しになるのだろうね。

 夕食は野菜類を自社生産しているお店に行きました。各種料理類は、バフェスタイルになっているので自分で、少しづつ選んで食器に盛って行くのでした。以前、料金は食べ終わった後に支払う形式だったのですが、今日は入店と同時に人数を申告して精算する方式に切り替わりました。大人数が利用するので食後の精算で人数を誤魔化す輩がいたのかもしれないです。

 家族連れで賑わうお店なのですが、幼児も児童も料理を取りに行くのでした。小さい子どもなると自分の膝や腰位の高さしかないので要注意です。家族連れの多くは座れる座卓式の場所で食べているのでした。料理を子どもだけ取りに行かせるのでした。子どもや止まることをしないので怖いです。さながら遊園地状態になっているのでした。親に文句を言っても仕方がないのでしょうね。

 沖縄では居酒屋さんでも親はお酒を飲みながらワイワイ談笑している間に、子ども達は居酒屋内を飛び回っているのでした。午後10時過ぎでも居酒屋に子ども同伴は当たり前の社会なのでした。今は居酒屋でも禁煙化が進んでいるのですが、ちょっと前は紫煙濛々の中で子どもたちが飛び回っていたのでした。

 平成最後の日曜日も暮れようしているのでした。

| | コメント (0)

2019年3月30日 (土)

那覇空港は劇混みだった。

 平成最後の週末だ。午後から那覇空港に出迎えに行った。道路は、思ったほどの混雑には遭遇しなかった。それぞれの信号も二台か三台位しか並んでいないのでした。恩納村から那覇空港までの上り線だったから渋滞していなかったのだろう。と勝手に解釈した次第です。空港の駐車場は大混雑状態だった。


 週末の土曜日で、那覇から内地に向かう学生さんの見送りで車がどっさりだ。辛うじてP3の駐車場の屋上に若干の空きスペースがあるのみだった。最初から屋上を目指して中途階の駐車スペースには目もくれず屋上で止めた。一発で駐車スペースを確保できた。ラッキーだったようだ。周囲を見ると「れ」ナンバーの車も何台も止まっていた。これは問題の違法駐車の典型だったようだ。


 二階の搭乗口には若者が群がっているのでした。見送りに来たのでした。見送りが終わると駐車場に集団で向かうのでした。歩くのに邪魔になりそうなくらい広がって歩いているのでした。よくよく彼らの話を聞いてると帰路の車の乗れる人数がオーバーしているようだ。荷台にも何人か乗せれば大丈夫だよって言っているのでした。違法性を認識しているのだろう。あぁぁ世も末だ。車の定員オーバーは、沖縄ではお馴染みなのだろうか。いやいやそんなことはないはずだ。重量や定員オーバーは過積載の典型だ。
ブレーキ効果もあやふやになるはずだ。止めて欲しいのでした。若さ故の成せる技なのだろうって。過積載はダメです。


 那覇空港の駐車場では、入庫して30分以内であれば無料になっている。それ以後は350円が必要になるのでした。3階の出発ロビーへの侵入が大渋滞になるので、とりあえず道路に駐車されるよりは駐車場に車を誘導するが、その代りに30分は無料との処置となったと聞いたことがある。春休み期間中の空港では大混雑が続くのでした。


 明日は沖縄本島を延べ200㎞位走る予定だ。二か所で面談があるのでした。

 

| | コメント (0)

2019年3月29日 (金)

平成最後の平日かなぁ。

 午前中に前線が通過した。大雨の洗礼を受けた。2日前に洗車したばかりだったが、こればかりは仕方がない。花冷えです。週末に向けて天候は下り坂、気温が20℃以下に下がる予想だ。春先の気温の乱高下は、身体的には自律神経失調に陥るのでした。風邪引き注意です。

 今日は年度末の金曜日。言い換えると平成最後の平日との指摘があります。4月1日の午前11時30分位に新しい元号の発表があるとのことでした。年度末でもあるので金融機関の窓口やATMでは、普段よりも人が多かった。おまけに銀行の駐車場も満車状態が続いているのでした。道路を走る車の数も、切れ目が無い位でした。銀行から振込みを終えて出ようとするのですが、なかなか331号線に出ることができませんでした。恩納村とうるま市石川を車で走っただけですが、年度末の忙しさを感じた次第です。

 週末は、外地と内地からのお客さんとの打合せです。リクエストでは沖縄本島北部と中部の漁協関係者との面談も含まれています。内容は漁師さん志望の方が沖縄での漁師の見習いが可能か、どうかの確認と現場を確認したいとのことでした。本来は、自分の仕事ではないのですが、知人からの頼まれ仕事でした。来沖は週末なので、本来は漁協も週末の土日はお休みなのでした。そのために事前の面談の日程調整が難しかった。平日であれば問題ないのですが、週末は漁協はお休みとなるので、そのために職員に対応しなさいとは言えないのでした。最終的に2か所での面談が決定した次第です。

 人手不足の昨今、「漁師見習い」として仕事をしたく、将来的には自立した漁師を目指す。以前は漁師さん見習いの育成プログラムがありましたが、公的資金のサポートは沖縄ではなくなったかと思います。人材育成のために是非とも必要な公的支援策とは思うのですが、地元での定住に備えた支援システムも重要になります。当日は、長距離の移動になります。

| | コメント (0)

2019年3月28日 (木)

新しい元号発布まで3日です。

 残すところ3日、平成の終焉を迎えるのでした。マスコミも盛んに「平成最後の・・」って表現を使って番組の宣伝を繰り返している。平成は3月31日までで、4月1日に新しい元号が決まるのでした。4月30日までが平成扱いになるのだろうか。どんな元号になるのだろうか。一方では、西暦だけにすべきとの意見もあるようだ。昭和の場合は、25を足すと西暦に変換できることは理解しているが、さすがに平成となると西暦換算は、ネットを頼って調べるのでした。まさか自分が3つの元号の中で生活するとは思わなかった。

 昭和の時代は戦争の時代でもあった。昭和20年8月15日で戦争が終わり、新しい昭和は戦争からの復興と成長の時代だったと認識している。自分が生まれたのは昭和27年だから戦争が終わって7年後に生まれた。小学生位までの記憶は残っている。昭和34年4月は小学校に入学した。保育園での記憶は多少の記憶はあるが希薄になっているのでした。

 平成の時代は、大規模な災害が発生している。大きな地震、想像を絶する大きな津波、台風、土砂崩れ等々が全国区で発生した。多くの犠牲者が発生した大規模災害の発生の時代でした。新しい元号になってからの時代は何を象徴することになるのだろうか。世界的には紛争が絶えることがない争いの時代に突入するのではと思うこともあるのでした。

 本来なら平和な世界を望むのですが、現実の世界を垣間見ると、いつでも戦争が発生してもおかしくない状況にあるのでした。沖縄周辺だけでも台湾を武力を用いても併合すると宣言している中国。おまけに尖閣諸島への領海侵犯を繰り返している現実もある。資源搾取のための侵攻を計画している。2030年までに実際の侵攻を開始する可能性があるのでした。北朝鮮問題も微妙に紛争の火種は燻っているのでした。中東では、イスラエルと周辺国も紛争が絶えないのでした。

 20世紀は戦争の世紀と揶揄され、歴史的にも戦争が続いた記録が残っているのでした。

| | コメント (0)

2019年3月27日 (水)

春休み期間中 子どもが目立つのでした。

 暖かい日が復活しつつあるかなって思ったが、風は冷たいのでした。前兼久漁港からはスノーケリングのお客さんを満載し出航している。春休みになったので子ども連れも目立つようになりました。天候の安定が週末まで続くことを期待したいです。

 学校は春休みになったので外で遊ぶ子ども達の姿を多く見受けます。また大型商業施設のフードコートでも家族連れや子どもだけの集団に出会うのでした。自分はリンガーハット具志川店を利用します。周囲は牛丼と日本そば、うどん専門店、タコ焼き専門店、ピザやスパゲティ専門店が並んでいる。先日は、子どもがテーブルの周囲を走り回っていた。ワンコインから1000円位の食事が提供されているのでした。自分はリンガーハットしか利用したことがないのでした。他のお店も利用してみるかな。現金ではなくワオンカードでの支払いができるのが有り難い。ポイント稼ぎです。

 春休み中の運転は、普段以上に慎重にならざるを得ないのでした。何故ならば交差点や道路の路肩や、歩道で遊ぶ子どもたちの動きに神経を使います。道路に飛び出す可能性を考えています。怖いのはキャッチボールやサッカーに興じている際に、不意にボールが道路に転がってくることがあります。子どもは条件反射の如く、道路に飛び出してくるのでした。あとは自転車の二人乗りも目立ちますね。彼らは遊びの延長なのだろうが、車を運転する側からは怖いです。運転しながら子どもの動きに注意しています。

 二年ぶりかな南上原の沖縄そば屋さんに立ち寄りました。「やじろべぇ」です。大学の行き返りにお店の前を通過します。午前11時から午後1時30分くらいまでかな。麺が売り切れると麺完売の立て看板がお店前に出されます。是非とも立ち寄りたいお店です。今日は軟骨そばの大盛りを頼みました。フーチバが食べ放題なのでした。フーチバも新鮮でした。今日は偶然にも食べることができた。ラッキーでした。

| | コメント (0)

2019年3月26日 (火)

平成30年度末、残り5日だ。

 3月の最終週に突入だ。事業年度では平成30年度末となるのでした。来週は新事業年度の始まりだ。この時期は、公務員関係では転勤情報が行き交うのでした。自分の関係するのは国関係では海上保安庁の警備救難課と航空基地関係者、沖縄県であれば観光振興課、沖縄県消防学校等になります。

 公務員関係では、概ね3年で部署が変わることになっています。一つの部署で、全員が変わることはないので誰か担当者で名刺交換していれば面識ありとなります。担当部署の責任者が転勤する場合は、主任クラスに申し送り事項として情報を引き継いでいるので安心です。4月の二週目までは、それぞれの部署での挨拶廻りや会議や打合せ等でバタバタしているので、外部からの連絡での面談調整は中々難しいものがあります。

 海上保安庁以外は、メールでの連絡対応が可能なので情報交換は問題ないのでした。海保では、当初は担当者とのメールでの打合せが主流でしたが、ある時点から外部とのメール交信が全庁的にダメになっているのでした。また、電子的なCDやUSBでの記録提示は不可能に近い状態となっているのでした。そのために紙に印刷したものを郵送する方法しかないのでした。

 4月になると国や県サイドの体制が新規にスタートすることになるので面談の日程調整が必要になるのでした。今年は4月末からのゴールデンウィークは10連休なのでした。長期休暇の連続になりますが、役所関係は軒並み暦通りになります。つまり、長期休みとなっているのでした。差し当たって自分関係では医療用酸素の充填の問題があります。これは充填工場の予定を確認します。あとは医療機関についても同様です。救急対応は、24時間体制を維持しているので、余程のことがない限り対応不可はないと考えています。

 あと6日で新年度になります。東京ではマリンダイビングフェアが開催されます。恩納村から出店します。4月の第一週は、東京からの情報発信が多くなると思います。

| | コメント (0)

2019年3月25日 (月)

那覇へ二回往復しました。

 春の嵐の洗礼を受けました。天気予報通りだった。午前中は曇りから晴れ間が広がっていた。ポカポカ陽気の中、仕事先を回ることができました。幸いにも外回り最中は、雨の洗礼を受けることはありませんでした。午前中は医療用酸素の受領と発送の手続きだったのでした。耐圧検査が終わったとの連絡を先週末に受けていました。延べで4本もありました。在宅用の酸素ボンベが多くなっているので耐圧検査も時間がかかっているようでした。一か月待ちでもありました。

 実は、午前中に発送手続きをしたが、恩納村に戻り駐車場に停めた直後に着信音がなった。携帯を確認すると輸送会社だった。あれって内容を確認したら、輸送運賃の計算違いがあったとのこと。電話では、今度荷物を発送する際に不足分の支払いで大丈夫とのことでしたが、何時になるか分からないので、すぐに輸送会社に戻る旨の返事をした。てなことで本日、二度目の那覇行きとなりました。

 薄曇りの中を石川インターから那覇に向かった。午後3時位だったが渋滞なしに那覇に辿り付けた。渋滞覚悟で那覇に向かったが、肩透かしだった。輸送会社にて差額の支払いを済ませ、発送伝票も修正完了しました。荷姿を確認して恩納村に戻りました。那覇市内から雨が本降りになった。午前と午後の天候の変化。一時はワイパーの速度を早くして運転していた。タップリとした雨量だった。58号線の下りの嘉手納から恩納村では、路肩に溜まった雨水を盛大に弾かせながら車が交差していた。

 雨雲が沖縄本島を覆った時間帯が午後3時位だったかな。ダイビングでは午後便も出ている最中なのだが、無事に港に戻っていた。視界が限りなく低下した中での運航だったかと思います。車を運転しながらの天候急変に遭遇すると、どうしても時計を見て海では大丈夫だよなって自問自答するのでした。これは癖になっているのでしょうね。肌寒い午後でした。

| | コメント (0)

2019年3月24日 (日)

終日、認定証の発送業務でした。

 週末の日曜日が終わろうとしている。年度末だ。公務員の知人の転勤転出が続いているのでした。自衛隊関係では陸自に空自の関係者だ。在籍6年から3年の方々だ。公務員は定期的に転勤があるのでした。逆にご家族を沖縄に残して単身赴任の方もいらっしゃるのでした。今年は特に「引越し難民」なる単語が巷を駆け巡っているくらい引越し業者の人手不足も深刻になっているとのことだ。皆さん、それぞれの任地に飛んで行きました。

 自分は、終日認定証の発送作業に追われていました。酸素講習を実施したのですが、その受講した証としての認定証。東京の事務局に送って認定証を作成してもらっています。事務局の運営は、自分は知らないのですが、申請してから一か月以上の空白があるのでした。テンポラリーカードを講習終了と同時に発行しようかと考えています。東京の事務局では、酸素講習以外に他の認定証も発行しているので時間がかかるのかも知れないです。

 酸素講習の中で、空のボンベに酸素を充填する際に業者には、医療用酸素を取扱える有資格者としての身分証明の提示をお願いしています。酸素充填事業者に、自分等の講習内容を説明して了解を得ています。あくまでも民間の資格かのですが、どのように医療用酸素についての教育しているのかを知ってもらう必要があるのでした。顔写真付きの認定証を発行しています。認定証には顔写真、講習を受けた月日、講習生の氏名、認定された番号、有効期限等の情報が印刷された認定証を発行しています。

 受講生毎に認定証に書かれている記号や番号についての説明文を作成。実際に医療用酸素を使用した場合の報告書式、最新の医療用酸素について昨年6月に九州高気圧環境医学会誌に書いた論文の別刷りを添えました。夕方には発送業者にお願いしました。ちょうど年度末だったので学生さんや研究者の方に転勤の有無を確認して宛名書きをして発送しました。

 明日は医療用酸素の船積みが待っているのでした。頑張ります。

| | コメント (0)

2019年3月23日 (土)

真冬並みの寒さ到来だ。

 寒い朝を迎えた。北風の洗礼を受けているのでした。昨日までの温かさは、どこへやらだ。ダイビングも北部の崎本部海岸に集中したことだろう。連休の中日だが、気象海象の影響で恩納村でのボートダイビングは諦めることになるのでした。でも、体験ダイビング専門店は、船を出していた。

 いつも問題になることは、今日のような海況の際にボートダイビングを実施するか、しないかの判断基準だ。大半のダイビングサービスは、北風が吹き、リーフに寄せ波が打ち寄せる海況の場合は、出航停止と判断。代替ポイントを北部の崎本部海岸か金武町のレッドビーチ、場合によっては南部の糸満でのダイビングとなるのでした。が、一部のダイビング事業者は、前兼久漁港から出ているのでした。港を出てから右側の場所でスノーケリングを展開しているのでした。

 自然環境を相手に仕事をしていますが、最近は、多くのダイビングサービスが海況判断は慎重に対応しています。まずインターネットでの気象情報を確認します。気象情報での注意報や警報については敏感に反応する習慣が定着しています。仲間での情報共有をしています。

 北部の崎本部海岸では、現在港湾施設の延長工事が実施されています。そのために工事現場周辺での潜水禁止または進入禁止区域が設定されています。水中での活動範囲は、以前に比べると半分近くに制限されているのでした。拡張工事が完成しても年間の80回程度が大型クルーズ船が接岸することになるのでした。船の大きさは10万から20万トンクラスとされています。朝に接岸して夜に離岸することになっているのでした。接岸時と離岸時共に岸側に強烈なスクリューからの水流が押し寄せるとされています。

 そのために、その時間帯はダイビング禁止となると県サイドから連絡を受けています。現在、定期的に沖縄県と地元ダイビング協会が情報交換を行っています。

| | コメント (0)

2019年3月22日 (金)

ウィンドウズ7から10へ

春分の日と週末の間の金曜日。ちょっと昔だったら「花の金曜日」、いわゆる「花金」と呼ばれたことがありました。年度末で、久留米大学との共同実証試験を恩納村で実施した際の研究資機材を大学に返納することになりました。段ボール箱4個、発砲スチロール1個、それに心電計を輸送会社に持ち込んで発送手続きを行いました。これで年度末のお仕事は完了しました。月曜日に配達されるように期日指定を行いました。

 天気は、今日までかな。明日以降は西高東低の冬型になるとの予報だ。気温は急降下するとのこと。場合によっては一気に15℃位の下がるとのこと。沖縄だけでなく本州でも同様に気温の急降下があるとのことでした。風邪を引かないようにしなければ。かつて東京で仕事をしていた時に雪が降り積もった経験がありました。

 そういえばウィンドウズ7の更新が2020年1月14日で終了することになっている。今、メインパソコン2台、予備2台を使っているが、メインと予備ともに1台づつがウィンドウズ7のままになっているのでした。長年使っているので躊躇するが、更新作業が終了するとなると、全てウィンドウズ10に乗り換える必要性があるのでした。パソコンの専門家に相談します。かつてのウィンドウズ95から切り替える際も苦労した覚えがあるのでした。

 ワード、エクセル、パワーポイントを使い分けているだけなのでした。これらのソフトも年毎の番号が付いているのでした。その他のソフトについては使いこなせないのでした。写真を加工するソフトもあるのですが、使いこなせていないのでした。それぞれのソフトのバージョン違いもあるのでした。

 その他のソフトについては基本的にCDの状態で購入するようにしています。ダウンロード版が多くなっているのですが、自分は古典的にCDからパソコンに落とし込むようにしています。

| | コメント (0)

2019年3月21日 (木)

午前中は那覇往復でした。

「春分の日」だった。午前中は那覇まで遠征した。那覇のガイドさんに資料を渡すためだった。ご本人は、午前様だったとのことでした。今日は、ダイビングの仕事がない日だったので友人達と飲んでいた。昨晩、電話した際は、その真っ最中だったようだ。無事に資料を手渡して帰路についた。実は、石川インターから沖縄自動車道で那覇に向かったのですが、インターの手前50m位に自転車に乗った人がいた。一瞬、沖縄自動車道に乗り入れるのかと気になりバックミラーで再確認した。自分はETCを通過して那覇に向かったが、その後は分からない。昨年は喜舎場のトンネル付近の路肩を歩く人を発見したことがありました。あの時はびっくりした。 帰路、スーパーに寄った。食品売り場では行楽弁当や春分の日の盛合わせ総菜セットが沢山販売されていた。お彼岸なのだと実感した次第です。独り者なので季節の風物詩には 疎くなりました。そろそろシーミーのシーズンにもなるのでした。午前中にも関わらず副都心のスーパーは混雑していました。  往復ともに沖縄自動車道を使った。行きは石川から那覇インターまで、帰路は那覇インターから沖縄南まで走った。車の性能が向上しているのだろう。軽自動車が100㎞近くのスピードで抜いていくのでした。相変わらずレンタカーが疾走していくのでした。沖縄自動車道は95㎞以上が取り締まりの対象となっていると聞いたことがあります。追い越し車線を猛烈なスピードで追い抜いていく車両は確実に100㎞以上になっているのでした。  沖縄では軽自動車の保有台数が普通車よりも多いかもしれない。軽貨物車に仕事道具を満載して仕事場に向かって走っているのだろうか。運転席の窓全開で走っている車、もしかしてクーラーをつかっていないのだろうかなって考えてしまうのでした。夏場ではクーラーは必需品だ。クーラーなしでの運転は熱中症になってしまうのでした。実際に夏場に搬送された事例が何例あると教えてもらいました。

| | コメント (0)

2019年3月20日 (水)

退職して24年が経過した。

 すでに3月も残すところ11日となりました。この3月は海洋実証実験が2件ありました。しかし、3月になってからの天候不順が続き延期となった。しかし契約では2回実施しなければならないことになっている。海況判断がし辛い状況だった。船長も日にちの特定に苦労していました。結果的に12日と18日に実施することができました。12日は日焼けしましたが、18日は雨の洗礼をたっぷりと受けました。

 これから月末にかけて天候は晴れ間が多くなるのだろう。今日は晴れ間が広がっているが、風は北寄りかな。肌寒いのでした。俗言う「花冷え」状態が続くのでした。日々の寒暖の差があり過ぎて自律神経失調になり易くなります。そのために風邪もひき易くなるのでした。おまけに年度末で仕事が集中することが多いのも要注意です。ついつい休んでいられないと我武者羅に仕事に向ってしまい、軽い風邪気味状態でも休息を取ることなく風邪で倒れることになるのでした。無理は禁物です。

 さて、今年のゴールデンウィークは10日間の長期連休が決定している。自分の心配は酸素の充填もお休みなるのだろう。全国的には金融面ではATMが、どこまで使えるのだろうか。医療機関では輪番制で緊急対応するのだろうか。あるいは救急医療は、継続的に開院してくれるのだろうか。大きな事件や事故がないことを願っています。

 協会でも、対応策を考える必要がありそうだ。この時期は、新人スタッフが多数デビューします。事前の研修も必要になるかもしれないです。理事会に対応を協議しようかと考えています。安全講習会、酸素講習を恩納村主体に考えて日程を設定する予定にしています。あとは自分は、緊急対応の連絡ネットワークを作っているので、県内での緊急対応の支援を考えています。

 今日は退職してから24年が経過した。地下鉄サリン事件が発生した年でもあるのでした。

| | コメント (0)

2019年3月19日 (火)

仕事が一段落しました。

 久しぶりに洗濯や不在通知を受けた宅急便と郵送物を受領で午前中が終わった。金曜日から日曜日まで県外に出張。月曜日は朝から外出だった。さすがに4日間の恩納村不在となると溜まりますね。年度末の月でもあるので健康保険証の不在通知もありました。

 宅急便は、水中ビデオカメラのビデオ部分とディスプレイ部分を収納するための防水ケースとなりそうなハードボックスを取り寄せました。また、画像を録画するためのアダプターケーブルと二本のケーブルを一個のジャックに接続するための中継器も届きました。

 朝、港にて船長に遭いました。昨日の海洋実証実験が終わったことを報告しました。アキさんに相談して作ってもらった海洋での水面基地のフロートが機能を維持したことを報告しました。喜んで頂けました。工作物については基本的にアキさんに相談してから材料選びを始めるようにしています。

 今日と明日は事務処理仕事が溜まっていますので、籠っている予定だ。経費の伝票整理と報告書作成だ。自分一人の会社ですが、報告書を作成することで次回の仕事の参考になるのでした。今回は、初めての沖縄県外だったので様々な人にお世話になりました。スムーズに講演会を終了することができました。感触としては、来年も実施したいなと考えました。現地での足掛かりもできたので、継続的な交流の必要性を感じました。

 4月の長期連休前の講習会の予定を立てねばなりません。沖縄本島では恩納村を筆頭に3か所、あと離島でも開催できればと考えています。今週中に、それぞれの責任者に打診して日程の詰めをしなければなりません。安全講習会と酸素講習です。酸素講習については一般講習とインストラクター講習を開催する予定でいます。沖縄本島では酸素の輸送は大丈夫なのですが、離島となると輸送に時間がかかるのでした。そのために簡単に実施することができないのでした。実際に酸素を使って講習するので調達方法を考えねばならないのでした。

| | コメント (0)

2019年3月18日 (月)

海洋での実証実験が無事に完了しました。

 午前8時位に電話がありました。「今日の海洋実証実験は実施しますか?」って。ごく自然に「はい、予定通りに実施します。」よって何も考えずに返事をしました。でも、ラジオから聞こえる天気予報は、雨が降ることを伝えていた。あれ昨日の予報と違うぞ。あめが降るのか、それも夕方には強く降るとのことが聞こえた。  午後から嘉手納漁港から海洋での実証実験の船を出す段取りを整えていたのでした。頭の中では、船上での雨対策を実施する準備を整えることにした。ブルーシートを3枚購入し、車にも2枚のブルーシートが5枚もあれば大丈夫と考えた。固定するためのクランプも揃っているのを確認した。嘉手納漁港に向かった。港に到着した時は、ボツボツと雨が落ちて来た。できれば、このままであって欲しいと思ったが、全員が集まる頃には本格的な雨となったのでした。とうとう自分は雨合羽を羽織りました。  電子機器や発電機、ケーブル類、それにパソコンとそれぞれを繋ぐハブ等が濡れては困るのでブルーシートの下に入れて現場で組み立てることにした。雨の中での組み立てに問題がないと判断した。ドローンについてはケーブルや送受信用のトランジューサーをセット、これは雨降りの中でもケーブルを束ねる作業を進めた。陸上での組み立て作業が完了したので船に積み込んで出航した。  現場海域に到着したので船の雨対策を実施した。船の左右と前に、それぞれブルーシートを展張して電子機器や発電機と研究者の居場所を確保して実験開始した。発電機は携帯コンロのガスボンベを燃料している。排気ガスは危険なので空気の通りを確認してガス中毒にならないように注意した。現場にて実証実験は続いた。延べで3時間半の実証実験が無事に終了した。途中は、雨脚が強くなったが、全ての実証項目を無事に完了した。研究者から、実験完了、全てのデータを記録し、映像もバッチリ確認できましたとの報告があり内心ホッとしました。これで3月に予定していた、全ての実証実験が完了しました。

| | コメント (0)

2019年3月17日 (日)

福岡空港広くなった。浦島太郎状態でした。

 今日も早朝から移動でした。昨日の講習会を終了して、福岡に戻りました。週末のためにホテルは満室状態でした。結局は、ホテルに投宿して資料のまとめを行いました。すぐに熟睡態勢。一回も起きることなくぐっすり眠れました。

 福岡空港に到着。搭乗手続きのために航空会社のカウンターを探す。福岡空港も工事が続いているようでした。目的のカウンターを探した。近くにあった案内カウンターにて確認したら二階に上がってくださいとのことでした。会員向け専用の受付に到着、搭乗手続きと手荷物を預けてラウンジ内に入れた。早く空港に到着したが幸いしました。

 自分の前のお客さんが登場手続きしていた。お金持ち風の女性3名、家族なのだろう。母親に成人女性二名だった。自分の受付カウンターの荷物置き、成人女性の手荷物があるために自分の手続きができない。受付の女性に注意されて動いた。ああぁぁ周囲の状況を把握しろよって思った次第。手荷物検査場でも母親らしき女性は3回も金属探知機をやり直し、最後は靴も脱いで通過、一件落着。

 福岡空港の立地と利便性は、利用者にとってはありがたい存在だ。都市部に近い、空港内もスムーズな流れとなりました。那覇空港の利便性と、ついつい比較してしまうのでした。那覇空港の手狭感は否めない。来年には第二滑走路が完成するが、空港ターミナルはそのままになるだけなので人の流れは、どうなるのだろうか。現在位置での航空機への搭乗は変更なく、離発着だけが第一滑走路になるか第二滑走路になるかは空港管制官に指示 の動きになるのだろう。

 熊本での医療用酸素講習会は、予想以上に聴講者が集まってくれました。感謝しています。できれば次回も開催できればと思っています。これからも地元の学生さんのダイビングクラブやダイビングショップの皆さんと相談しながら計画したいと思います。多くの関係者が参加できるアカデミックな内容にしたいと考えています。

| | コメント (0)

2019年3月16日 (土)

熊本での医療用酸素講演と講習会

 昨日は早朝から熊本に移動し、夕方から医療用酸素の講演会を開催した。約50名を超える聴講者が登録してくれました。感謝しております。大学のダイビングクラブ員の支援を受けて開催することできました。感謝。

 今日は西日本病院の講義室を借りての講習会を開催しました。ダイビングショップの代表者と大学クラブの主将の二名が受講してくれました。医療用酸素についてはエアーウォーターの支援を受けることができました。複数の関係者の方々には感謝しております。沖縄県内であれば問題ないのですが、他県での医療用酸素講習は、実際に医療用酸素の講習を行うのは難しいのでした。医療用酸素を実際に使って講習するので、その供給がスムーズに対応できないと困るのでした。

 酸素講習については、様々な団体が実施している。しかし、酸素そのものについては、しっかり理解している人が講習を実施しているかは疑問だ。潜水指導団体ではファーストエイドの一環として酸素を使うことを指導内容に加えているかな。しかし、実際は医療用酸素問題で自分等と連携して厚生省と話しあいませんかと問いかけたのですが、一緒にやりましょうとの同意を得ることができなかった。また、自分が加入している学会でも、サポートして欲しいと要望したのですが、拒否されてしまいました。学会でも演題として発表しました。学会誌にも掲載されました。足跡を残すことができたかと思います。

 医療用酸素については、まだまだダイビングサービスにとっては未知の領域になるかと思います。医療用酸素をダイビング現場に持参しているのは一軒だけ、その他のサービスでは装備していないことが判りました。医療用酸素の効能について理解できていないことも分かりました。酸素の危険性、酸素中毒の項目だけが記載されているのでした。となれば、誰も準備はしないか。医療用酸素は救急車に配置されているから大丈夫とも思ってしまうのだろうか。これからは積極的に手許に配置するサービスが増えてくれることを期待したいです。

 帰路の飛行機が午前9時過ぎしかとれなかったので福岡に移動しました。

| | コメント (0)

2019年3月15日 (金)

熊本県立大学ダイビングクラブ員の支援を受けた講演会を開催

 早朝の恩納村は雨降りでした。那覇空港までは雨の洗礼を受けたままだった。またまた一番機の搭乗だった。何年かぶりの福岡空港だった。那覇を離陸してシートベルト装着状態が続いた。しかし、いつものように熟睡だった。搭乗前のカウンターでは、揺れが続くためにトイレの使用ができないので搭乗前にトイレに行くように放送があった。先週の石垣から那覇に向かうJTAでも同様だった。確かに離陸して那覇空港に着陸するまで揺れが続いた。九州に近づくに従い気流が安定したようだ。自分は夢の中だった。寝返りをうてないので脚を伸ばし動作で、一瞬右足が攣りそうになりました。福岡空港に着陸寸前に 目が覚めました。イヤフォンからはクラシック音楽が流れていた。

 地下鉄に乗り、博多駅に到着。新幹線の切符売り場に並んだ。長蛇の列だった。半分以上は外国人だった。駅の中をすれ違う人々は外国人(中国、韓国系)が目立った。恩納村で生活していると、すれ違うことも少ないかもだ。博多から熊本へは新幹線を利用した。鹿児島まで行く新幹線でした。乗車時間は30分位だった。電車の旅の定番の駅弁をかった。牛肉と明太子のお弁当だ。15分位で食した。美味しかった。

 今回は熊本県立大学のダイビング部部員の方に面倒をみてもらった。熊本駅に迎えに来てもらいました。車で市内を移動した。講演会場は中に入れなかった。医療機関、浮島神社(淡水の綺麗な水辺、夏場になると水草が綺麗に繁茂し、水流に靡く景色は幻想的だ)初めて見ました。ただ冬から初春だったので水草は枯れていた。

 午後7時から合志先生と一緒に熊本にて医療用酸素についての講演会を開催。熊本県立大学のダイビングクラブの支援を受けて講演会を開催しました。延べ出席者が50名を超える聴講生が参加してくれました。合志先生を最初に講演をお願いしました。大学のダイビングクラブ員やダイビングショップ、一般ダイバー、消防署の水難救助隊等が集まって頂きました。昨年に作りました資料を基に説明しました。約2時間30分の講演と質疑応答でした。

 開始直後に落雷の洗礼を受けましたが、最後までしっかり聴講してもらいました。

| | コメント (0)

2019年3月14日 (木)

ようやく座席が確保できた。

 週末の金曜日から熊本に行きます。ギリギリまで沖縄での実証実験の二回目の日程が未定のままだった。そのために出発日と戻りの航空機の確定が厳しかった。最終的に実証実験の二回目の予定が何とか確定しそうなので、急遽、座席指定を確実にするために那覇空港に行って来ました。

 午前中でしたが、ANAもJALも搭乗手続きの長い列ができていた。ANA側では米国人が国際線の乗り継ぎ手続きで並んでいた。手荷物が沢山だった。荷物を見ると軍人だった。最後尾の一人は犬を連れていた。大きな犬用のケージと手荷物を押していた。ワンワン鳴き声が空港内に響いていた。

 今回の移動手段は航空機と新幹線となる。航空機については那覇から福岡までの往復を予約したが、沖縄での仕事の関係で航空券はネット予約し購入したが、便名については未確定だった。ネットで予約した段階では、帰路の福岡から那覇便が満席状態とのことでネットでは予約ができなかった。18日に沖縄での仕事が決まったので、17日には沖縄に戻ることが必至となったが、当日に福岡空港にて空席が判明するとのことだった。

 那覇空港の発券カウンターからの端末でも同様な回答だった。搭乗便を変更して予定よりも早い便で確認してもらうと1席だけ空席があることが判った。事前に購入したチケットを払い戻し、新しい便に予約を変更し購入した。福岡便は、人気路線らしく満席状態だった。あぁぁ甘かったです。でも、何とか行きと帰りの座席を確保することができたのでホッとしました。

 今回の熊本での講演会は、熊本県立大学のダイビング部の監督だった方と生前に約束していたのですが、ようやく実施することができました。併せて酸素講習も計画しました。講演会では学生を中心にして40名位が参加するとの地元から連絡でした。ダイビングサービスが5軒位、消防関係、海上保安庁にも声を掛けました。

 さぁ、何人位の聴講者が来てくれるかな。頑張ります。

| | コメント (0)

2019年3月13日 (水)

水中カメラの性能は凄かった。

昨日と同様に晴れ間が広がりました。しかし、陽だまりは暖かいのですが、日陰は肌寒さを感じるのでした。若い人は半袖の方も見受けられました。自分は冬物の長袖のワークシャツを着ていました。ダウンベストが欲しいくらいでした。さすがに陽が沈むと肌寒さを通り越して、やっぱり冬だぁ。

 年度末の3月。外注の仕事の中でビッグプロジェクトが一つだけ残っているのでした。最終的には国の仕事となっているので、下旬までに完了報告を提出しないとならないのでした。自分は、海洋での実証実験を滞りなく遂行できるように段取りを組んでおかねばならないのでした。これまでに依頼を受けた仕事は、すべて順調に終了することができました。あと一回だけの海洋での実証実験が残っているのでした。無理は禁物なのでした。

 海洋実証実験の水中監視用に水中カメラとディスプレイを購入しました。水中カメラはルアー型なのですが、水中ケーブルの長さは50mもあるのでした。今回は、船の周辺の10m位をカバーすればいいかなって仕掛けを作りました。水中カメラの性能がグッドでした。画面のど真ん中にターゲットの十文字があるので水中での対象物を捉え易かったのでした。今回は初めての出動でしたが、バッチリ水中の対象物の動きを確認することができました。ディスプレイに録画機能がなかったのでディスプレイの画面を直接カメラで撮影することができました。重宝できました。

 午後から床屋さんに行きました。15年以上通っている。経営者の方は一生懸命に仕事をしてくれます。事前に電話を入れて時間の予約をしています。自分の髪型は短髪の五分刈りにしてもらっています。丸坊主ではないのでした。いつも経営者の方が対応してくれます。髪切りと洗髪、髭剃りです。約1時間位の床屋さんでした。いつも熟睡してしまうのでした。リクライニングシートは快適なのでした。

| | コメント (0)

2019年3月12日 (火)

海洋実証実験でした。

 久しぶりに晴れ間が広がりました。昨日から天候が、徐々に安定化に向かっているようだ。大陸から高気圧の張り出し具合が強くなったおかげです。週末の出張に備えて現地で使う教材や資機材をパッキングでした。航空貨物の輸送会社に電話したら、すでに配達員さんは事業所を出発しているとのこと。午前中の集荷を希望したのですが、午後からとのこと。自分は仕事で不在になるので名護営業所まで夕方に持参することになりました。
 午後からは嘉手納漁港にて海洋実験の安全管理者としてお仕事です。二週間ぶりに船での仕事です。場所は嘉手納沖を予定しているのでした。当初予定していた6日は大荒れ状態だったので、今日に延期したのでした。安対した海域での実験を想定しているので海況には風に強いポイントを選択する必要があったのでした。しかし、今年の天候は気まぐれで風廻りが短時間に変わる傾向があるのでした。晴れ間が広がり、日焼け止めが必要なくらいの日照でした。風は北風が吹いて冷たかったです。ユニクロのダウンジャケットを羽織りました。足元は長靴を履きました。

 船尾にカセットコンロ用のガスボンベを燃料にする発電機を二基配置しました。パソコンは4台を使います。水中のドローンを制御するためのパソコンと受信したデータを記録するパソコン等です。パソコンから水中に指令を発信するパソコンやコントローラーを、それぞれ接続するための配線コード類が甲板を占領していました。パソコンや水中ドローンの動力源として発電して電気を供給しているで水濡れ厳禁状態でした。全て順調に進行しました。

 自分等は船の揺れは慣れているのですが、パソコンを操作するスタッフさんは下を向いたままなので船酔いの兆候がありましたが、酔い止めのツボを押したり、遠くを見るように指示。事前に酔い止めは飲んでいたのかな、メールには飲むように指示しておりました。13:00から17:00まで約4時間の揺れでした。実験については、事前に計画した以上のデータと映像を確保できました。

 自分は研究者が、予定していた内容の実験とデータ収集と解析も4時間の中で獲得できたことが判りホッとしました。一部の活用内容はfacebookに反映してあります。

| | コメント (0)

2019年3月11日 (月)

あれから8年経過 防災対策は

 「3・11」の大震災から8年が経過。午後2時46分。自分は、外で打合せが終わって前兼久の事務所に戻って来たのでした。車のラジオを聴きながら戻った。当時の事務所には自分以外に4名が執務していた。沖縄も含めて津波警報が発令されたので全員に自宅に戻るように指示をして解散してもらいました。港では船長が沖合に船を移動して津波襲来に備えて沖合いで待機。結果的には大きな津波の襲来はなかった。水深300m以深の海域であれば津波が襲来しても乗り切れるとのことだった。

 この8年間、日本だけでなく世界中で地震が発生している。それもマグニチュード6以上の揺れの観測が多くなっているのだ。地震だけでなく火山噴火も頻繁に報告されているのでした。環太平洋を取り巻く断層や火山帯に沿って発生しているのでした。より大きな災害が発生しないことを願うのみでした。

 防災よりも減災という言葉が目立つようになりました。今年配られた電話帳の裏表紙には減災というタイトルが大きく書かれていました。実は、まだ開封していないのでした。沖縄では、防災については手薄になっているように感じる。自衛隊反対や基地反対闘争が当たり前になっているので本格的な救援活動が必要な場合に、どこまで機能するか不明なのでした。

 民間人の自分が、こんなことを書くのも変ですが、ドクターヘリの運航でも場合によっては邪魔者扱いされ、爆音が五月蠅いとか着陸する際に「墜落する」と叫ぶ教員とか。救援物資を輸送したり、負傷者を輸送する際でも同じようなことが起きる可能性があるのでした。離島を複数存在する沖縄県では、離島への救援物資を輸送する際も反対派がシュプレヒコールを叫んだり、反対のプラカードが待ち構えるのだろう。普段から自衛隊や米軍反対を叫んでいる人々は救援物資を受け取るのだろうか。円滑な救援物資の輸送は不可能になりそうだ。

 あとは地元住民以外に観光客の保護も含めるとなると相当な規模での救援救護活動が予想されるが、対応できるのだろうか。心配になるのでした。一部の防災関係者と話す機会があったのですが、苦労しているとのことだった。

| | コメント (0)

2019年3月10日 (日)

潜水事故が続きました。

 週末の日曜日。天気予報通りに荒れた。午前中は、それほどでもなかったが、午後からは前線が通過した。ただ気象レーダーに映っていた強烈な雨雲を伴った前線は沖縄本島よりも南下して通過したことが判った。予報の土砂降りと落雷は回避できた。でも、霧状の煙霧のような雨風が強かった。

 週末になるとNHK沖縄からのニュースの発信はゼロになる。10日の夜に至ってもニュースの更新が8日のままになっていた。九州沖縄の括りだけで福岡放送局が対応することになっているようだ。これも新しい働き方の仕組みなのだろうか。金曜日以降の沖縄県内は事件や事故も発生しているが、沖縄放送局からの発信はゼロのままだ。一応、民放は週末も関係なくニュースを日々更新しているのでした。公共性が高いはずのNHKが週休二日制を維持しているようだ。

 潜水事故が発生した。先日はセルフダイビングだった。それも海況が荒れている状況でダイビングを結構している。詳細は知る由もないのだが、タンクを本島内のタンクを貸し出す業者から借りているのだろう。亡くなった方は50代、ボートではなく万座毛の近くでビーチからの潜水している。

 ビーチと言っても断崖にある獣道みたいなところを降りていくのでした。周囲の断崖では釣りをしている方が何人かいます。今回は、海面でバタバタしているダイバーを発見。釣り人が海上保安庁に救助連絡を通報してくれた。海況が荒れているために断崖から引き上げることができずに近くの琉球水難救済会所属のホテルの救難所から船が出て救助したが、50代のダイバーが亡くなった。

 5日は、サンゴの日イベントで前兼久にてセレモニーが開催された。事故については報道で知ることになった。周辺のダイビングサービスに確認したが、事故のことは知らなかった。最も海況については、ダイビングサービスとしてはリーフアウトする形式については、潜水禁止の判断をしているとのことでした。前兼久で観察しているが、やはりリーフに寄せるウネリの力は強かった。

 3月8日は体験ダイビングでの事故が発生した。小浜島での講演会を無事に終えて恩納村に戻った直議に電話連絡で事故の件を知ることになりました。事故の連鎖が続きます。どこかで断ち切らねばなりません。事故原因を調べます。

| | コメント (0)

2019年3月 9日 (土)

荒れ模様の天気が続く

 週末の土曜日だ。相変わらず天候は雨模様だった。一週間ぶりに歯科治療だった。恩納村では、港からボートが出航してダイビングサービスを提供している。東海岸を北上したが、レッドビーチも荒れていた。風が廻っているのでした。明日は、西海岸が大荒れの予想だ。予定していた海洋での実証実験は船長判断で延期とした。関係者に連絡をした。  雨、雨、雨。室内の湿気は気になります。除湿器は24時間廻しているが、水を貯める水槽は、1日も経たずに満タンになります。今年は例年に比べて雨の降る量が多くなっている。また天候の荒れ方も尋常にない。3月は海洋での実証実験が続いているのですが、 事前に計画している日が、悉く荒れてしまい延期を余儀なくされている。3月25日までに実験を終了させていなければならないのでした。3月は年度末です。実験のための予算執行は3月末までだが、実際には25日までが限界となっているのでした。あと予備の日を考えても2回の実証実験を実施しなければならないのでした。  実証実験については、実際に海洋で実施すること。実験対象物の物体の水中での動きを動画と静止画を提供しなければならない。映像記録は、研究者の実績としての報告する際に使用することになる。また、次年度の研究継続の予定もあるので、年度内に当初の実験計画に沿って完了しなければならないのでした。  自分は海洋を含む水辺域での実証実験の安全管理を依頼されているのでした。これまでは研究者が、独自に実験場で研究者のみで実施していました。水辺では、転落して溺れる場合もあるし、実験対象物が水没して水底から回収しなければならないこともある。実験の内容を映像として記録する必要もあるのでした。水中でのダイバーが必要になります。 ダイバーについては、ただ潜れれば宜しいというレベルでダメなのでした。研究者の実験意図も理解しなければならないのでした。それにチームワークを理解していること。

| | コメント (0)

2019年3月 8日 (金)

小浜島で医療用酸素講演会でした。

 何年かぶりに小浜島でした。琉球水難救済会よりの講師派遣依頼を受けて講演してきました。内容は平成30年度の潜水事故の概要説明と医療用酸素についての二本でした。本来は、午前中に講演会を実施し、午後からレスキュートレーニングを海洋で行う予定でした。昨年に実施する予定でしたが、当初の設定した日は台風接近で延期。次に延期したら、またもや台風の襲来で延期となった経緯があるのでした。年末になったので訓練実施が難しくなり、今回の講演会のみとなったのでした。小浜島のリゾートホテルの「はいむるぶし」が救難所として指定されているので、関係者に声をかけて聴講者を集めてもらったのでした。救難所以外にダイビングサービス、スノーケリング事業者、カヌー関係者、漁師さん等で20名の方でした。あとは石垣海上保安部からも参加して頂きました。  自分は酸素供給資機材を持参しました。酸素供給器(酸素レギレーター)、ノンリブリーザーマスク、ポケットマスク、酸素飽和度計 、バックバルブマスク、聴診器、アネロイド式血圧計です。酸素ボンベを石垣にて調達しようと確認したら、3.4リットルサイズの大きかったので諦めました。酸素ボンベについては映像で見てもらうだけにしました。  参加者には、実際に実物を触ってもらいました。映像で見るよりも、実際に触ってもらうことは有意義でした。実際のイメージが沸いたと思います。小浜島には、診療所以外には酸素ボンベはないことが判りました。話だけでなく、実際に酸素ボンベも用意し、呼吸してもらうことができなかったのは残念でなりませんでした。  午後からは石垣に戻り、空港まではレンタカーに載せてもらいながら戻りました。空港に到着して搭乗手続きの際に一便早く戻れるか確認したら可能であることが判明。最後尾の31Kを確保できた。ところが搭乗予定の飛行機が遅延することが判った。天候が宜しくなく遅れが発生した。30分遅れで出発。石垣を離陸してから那覇に着陸するまで揺れが続いた。  1泊二日でしたが、自分として有意義な内容で締めくくることができたと思いました。

| | コメント (0)

2019年3月 7日 (木)

一番機でフライトでした。

 今年初めて航空機搭乗でした。朝一番機でした。機内では熟睡していないと思うのですが、離陸直後で記憶なしで目的地で着陸寸前のアナウンスで目が覚めたのでした。マスクをしてのど飴を舐めた状態で記憶をなくしていました。一番機に乗るためには恩納村を午前5時に出発です。空港には6時に到着し、搭乗手続き、手荷物検査場。今年初めてのフライトですが、搭乗手続きの際に事前の預ける荷物のX線検査場が鉄橋されていたのでした。搭乗手続きの際に、そのまま預かってもらいました。

 2階の手荷物検査場でも、すんなり通過できたのでした。パソコン、携帯端末二台、携帯電話、ベルト、腕時計だけを先に遠し、ゲートを潜って通過。いつもと同じ手順とは思うのですが、10名が自分の前に並んでいたが、スムーズに流れていた。朝一番なのですんなりだったのだろうか。桜ラウンジで恒例のトマトジュースを飲みながらのんびりリフレッシュできました。まだ、この時点では眠気はなかった。

 桜ラウンジで、多数の方が利用されています。自分は下戸なのでジュース類かコーヒー位しか飲みません。あとは柿の種やアラレを摘まんでいます。アルコール類としてビールやウィスキーに泡盛かな。サラリーマンでもビールを飲んでいる方がいるのはびっくりしています。空港を降りても電車かな。車の運転はしないだろうね。アルコールを飲んで機内でぐっすり睡眠ということになるのだろうか。飲酒後の睡眠では熟睡できないとの研究結果が出ているのでした。

 相変わらず飛行機に乗ると熟睡するのは自分の特技かな。今回のフライトは1時間位なのですが、時折、目が覚めていたのだろうかな。何回か、足を伸ばす際に目が覚めていたように覚えているのでした。以前、しっかりと足を伸ばした際に攣ったことがあるのでした。一瞬、漢方薬のお世話になるかなって思ったのですが、今回は大丈夫でした。

| | コメント (0)

2019年3月 6日 (水)

大荒れの天気 海洋実験は延期。

 天候が急転直下の大荒れでした。前日はウネリがあったのですが、リーフ内でのサンゴの移植活動は問題なく実施できました。ダイバー初心者の村長さんも水中では問題なかったと報告を受けています。

 南北に長く伸びた寒冷前線が午前中に通過、恩納村では朝から土砂降り状態でした。6日は沖縄県内の公立高校では入学試験が実施されていました。朝の土砂降りだったので那覇や浦添、宜野湾、嘉手納、沖縄市等では渋滞と交通事故が頻発していると交通情報が流れていました。朝の雨降りでは、交通渋滞が深刻になります。学校への送りで車が集中してしまうのでした。

 実は、午後から海洋での実証実験が計画されていたのですが、前々日に気象状態を確認したら、大荒れになるとの気象情報があったので傭船をお願いしている船長さんと安全管理を担当している自分で相談して実験の延期を提案しました。3月は年度末なので、3月25日までに実証実験を2回実施しなければならなかったのでした。3月の天気予報は、あまり天候が安定しない状況が続いているのでした。研究者からは、できるだけ安定した海域での実験をしたいとの要望があるのでした。学校関係が2つ、ソフトを作成する会社が二社かな、それぞれの都合を併せなければならないのでした。それぞれの都合、海況の問題等の一致することが難しいのでした。

  自分が委託を受けた内容としては、水中の様子を動画と静止画での撮影、船上から水を監視するシステムと水中のダイバーへの対応指示を与えるための水中スピーカーも準備ができているのでした。水中の様子を確認するための水中カメラとモニターも購入した。水中スピーカーについては、以前に実験したことがある物を使って新しく作り直した。再生できる技術を持った共同研究者の方が、改修して作ってもらいました。自分の与えられた指令内容については準備万端整えることができているのでした。

 お天気の神様にお願いして安定した海況にして欲しいのでした。

| | コメント (0)

2019年3月 5日 (火)

35 サンゴの日でした。

3月5日の語呂合わせで「35」「サンゴの日」になります。今日は前兼久漁港にて恩納村村長さんや漁協の組合長、OISTの学長さんも参加したサンゴ移植を負わせて実施しました。天候は晴れ間が広がってホッとしました。自分は参加していないですが、恩納村ダイビング協会もセレモニーから参加しています。漁協からの依頼です。ダイビング協会から移植する際のダイバーと水中のサンゴの移植風景を撮影するカメラマン役の依頼がありました。陸上や水中での静止画と動画の二本撮りでした。

 年々カメラの性能が向上しているので綺麗な映像が撮れたとの報告がありました。昨年は水中での動画はテレビのニュース番組でも放映されました。テレビ用の動画の企画は1秒間に30フレームの動画であれば通常のテレビでのニュース枠で放映しても大丈夫な画質と速度でありました。水中カメラでの動画撮影を担当した協会理事さんご苦労様でした。きれいな映像を見ることができました。静止画は、早速恩納村ダイビング協会のfacebookにも掲載してもらいました。それなりの反響がありました。

 我々、ダイバーだけが水中の様子を、直接垣間見ることができる特権ですね。それを静止画や動画で撮影して公開することも我々ダイバーの役割かと思っています。本来なら、定点観察として同じサンゴを年一回は撮影して記録を残しておきたいのでした。年数を加算することでサンゴの生育記録として有効な研究手段になるのでした。「継続は力なり」なんでした。

 モズク栽培が冬場の漁師さんの収入源となるですが、全滅に近い状況になっているのでした。チーム単位でモズク栽培を実施しているのですが、収入の目途が立たないことになるのでした。サンゴ養殖は、販売目的ではなく陸上の生け簀で生育して海に戻す方法をとっているのでした。

 サンゴが海中で成長することで海の再生にも役に立つと自分等は信じているのでした。サンゴ部会もあり、皆さんの力を借りています。科学者によってはサンゴの育成と移植は無意味だと唱える方もいますが、自分等は再生可能と考えて踏んばっています。

| | コメント (0)

2019年3月 4日 (月)

水辺および海洋での実証実験での安全対策は

 週明けの月曜日。今週は怒涛のようなスケジュールが立て込んでいるのでした。海洋での実証実験の安全対策を担当します。水中ドローンの制御実験を行います。実証実験については可視光通信の実験によって安全対策の必要性を実験の発注元の国レベルで認識してもらうことができたと思っています。

 自分が関わるまでは実験者が自分等だけで海岸線の砂浜や港湾施設内を勝手に使っていたのでした。水辺で活動する際は、救命胴衣を着ける。いざというときの救命救護資機材の準備。実験の当事者だけでなく実験の安全管理を専門に行う安全管理者の存在が必要を認めてもらうことができました。

 本来、港湾施設内での実験については、港湾施設の管理者に実験計画書を提出して、許可を受けるようにしています。漁港やヨットハーバー等ですが、さすがに船が行き交う場合は、許可が出ないこともあります。他の船の仕事を停めることはできません。実験船一隻だけでは許可は下りません。実験船以外に警戒船の二隻体制で申請します。それ以外に警戒船には安全監視員を二名配置するようにしています。

 これまでは安全対策関係の経費の計上は認められなかったのですが、3年前位から安全対策費として安全対策専門要員、潜水器材、緊急対応の際の救命救護資機材等を計上して認めてもらっています。某大学では、研究者を含めての傷害保険も計上して認められています。傷害保険の金額は一名に付き1000円程度ではあります。救命胴衣については、水辺活動でも必要としています。船に乗る際は、船に備え付けの桜マーク付きの救命胴衣を使っています。

 桜マーク入りの救命胴衣は高額なのでした。乗船する際は、桜マークなしの救命胴衣は賞罰の対象になります。船長さんの責任になるのでした。法律が改正されて桜マーク付きしかダメなのでした。国土交通省の役員さんと交渉しましたが、ダメとの返事。同じ性能に見えるのですが、ダメなのでした。国土交通省の天下り先で担当者の給与になるのだろうと勘ぐっているのでした。  

| | コメント (0)

2019年3月 3日 (日)

天候不順、低体温症に注意です。

 週末の日曜日ですが、お天気は愚図ついているのでした。時折、凄い勢いで雨が降り出すのでした。週末はツーリングが盛んになります。自転車にバイクツーリングだ。今日のように突然の土砂降りになると雨を避けるために雨宿りが必要になります。所謂、軒先での雨宿り。高架橋の下でも雨宿り。バイクツーリング派は、革ジャンにヘルメット、雨具はサイドバックに入れておけば、突然の天候急変でも大丈夫だったのでした。

 自転車でのツーリング派は、この季節は辛い状況になるかもしれないのでした。風の吹く方向が、時々刻々変わることがあるのでした。また、自転車では、バイクに比べると積める荷物の量が制限されます。雨具までは用意していないかもしれないのでした。突然の雨降りでは、人間の体力の限界を超えることがあるのでした。雨降りの影響で身体が濡れてしまい、それに風が吹いて体温の低下を招くことになります。俗にいうウィンドチル現象、低体温症になるのでした。

 東京マラソンでの出来事。日本記録を持っている選手が途中棄権をしました。雨降りの中のマラソン大会がスタートしました。選手のユニフォームを見ると薄着になっている。これは陸上競技の場合は、できるだけ軽量のユニフォームがベストになるのだろう。ずぶ濡れの中を疾走すれば体温低下を招くことになるのでした。ましてマラソン選手は、体脂肪は極限まで絞り込んでいるので防寒対策は着衣でカバーしなればならないのでした。

 大会をサポートする知人も心配していました。雨降りなので低体温症のランナーが増えるのではとスタート前にfacebookに書き込んでいました。知人は、マラソン大会をサポートする役割を担っているのでした。CPRやAEDの取り扱いの有資格者であり、経験豊富なファーストエイド教育の専門家でもあるのでした。ご苦労さまでした。

 自分はマラソンは大の苦手なのでした。走るようり泳いでほうが楽なのですが、最近は水泳も長い距離を泳いでいないのが現実なのでした。あぁぁ体力の低下は情けないのでした。

| | コメント (0)

2019年3月 2日 (土)

歯髄の治療が始まりました。

 もう週末の土曜日だ。幸いにしてお天気に恵まれています。今日は午前中に歯医者でした。先週から通っています。先週は金属鋳造冠が外れたので修復治療をお願いし、併せて歯科健診も実施しました。上顎部の一部に歯周病が見つかりました。週一ペースで根治治療に通うことにしました。最近の研究では、歯周病が内臓疾患に影響を及ぼすことが判っているので、今のうちに治療を実施することにしました。

 自分の年齢を考えると残りの人生を生きる際に何本の歯が残っているかです。スノーケルのチップを噛み過ぎて犬歯に当たる部分からダメになりました。あれが20代後半だったかと記憶しています。犬歯の周囲の歯髄に負担が強くかかっていたことを意味するのでした。職場近くの歯医者さんにお世話になりました。退職するまで歯科のメンテナンスを受けていました。退職後10年くらいは問題なかったのですが、50代になると恩納村にあった歯医者に通いました。その後、辺野古にある歯医者さんの存在を知ることになったのでした。それにはひょんなことからでした。

 レギレーターに使うマウスピースの問題に直面したのでした。たまたまマウスピースの研究をしている歯科医がいるということでご挨拶に伺いました。何回も伺い「疲れないマウスピースについて」構想を練っていただいたのでした。次に形状を決めるために複数のダイバーを対象にしてサンプルを作り、使用感についてアンケートを取る手法となりました。自分もサンプルを作ってもらいました。

 次いでに自分の歯科健診をお願いして、その後の自分の歯科の主治医となってもらいました。以来10年以上が経過した次第です。今日は、以前に撮影したレントゲン写真を比較しながら問題の歯髄部位の治療方針のコンサルを受けて治療が始まりました。3日間の抗菌剤と3回分の痛み止めの処方を受けて今日の治療が終わりました。また、来週の予約となりました。4月までには治療が終えるように段取りを調整します。

| | コメント (0)

2019年3月 1日 (金)

様々な食品類の値上げシーズンの到来だ。

 今日から3月。カレンダーを更新した。巷では値上げラッシュだ。食品関連の値上げのニュースだ。アイスクリーム、サバ缶、ソーセージ、冷凍食品、練り物製品等だ。4月も5月も6月も値上げの準備が始まっているとのことだ。4月は乳製品の牛乳にヨーグルトが決まっているとのことだ。ひとり者なので一週間の食費は、ある程度把握することができる。嗜好品については、以前より購入することがなくなったので問題ないかと思いますが、家計簿じゃないけどレシートを日付毎に保尊しているので確認は容易なのでした。

 カレーライスについては、もう何年も作っていない。全てレトルト製品に切り替えたのでした。大きな鍋で4人前位の量を作ってストックしていたが、面倒になって便利なレトルト製品に切り替えました。レトルト製品でも100円から500円以上もする豪華版まで様々な製品があるのでした。味の傾向は辛口を購入することが多くなりました。安い商品だとカレールーだけのイメージがあるのでした。そのために野菜タップリと表記された商品を買うことが多いです。鍋で暖めてご飯にかけて食べています。

 かつては一世を風靡した大塚製薬のボンカレーだったが、その後複数のレトルト製品が販売されるようになった。価格帯もピンキリだ。味についてはバラエティに富んでいるのでした。通販を利用すれば、日本中のレトルトカレーを食することができる時代になりました。もっぱら量販店にある4袋入りを買っています。あとはキャベツやニンジンのスライスされた野菜類を購入して一緒に食しています。海上自衛隊カレーのバージョンは食したことがないのでした。以前、ダイビング事故対策訓練で巡視船で移動中にカレーをご貯槽してもらったことがあります。金曜日のことでした。美味しかったのを覚えています。

 3月は講習や海洋実証実験が立て込んでいます。例年に比べると暖冬傾向だったのですが、これからも体調を維持して頑張ります。

| | コメント (0)

« 2019年2月 | トップページ | 2019年4月 »