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2019年3月11日 (月)

あれから8年経過 防災対策は

 「3・11」の大震災から8年が経過。午後2時46分。自分は、外で打合せが終わって前兼久の事務所に戻って来たのでした。車のラジオを聴きながら戻った。当時の事務所には自分以外に4名が執務していた。沖縄も含めて津波警報が発令されたので全員に自宅に戻るように指示をして解散してもらいました。港では船長が沖合に船を移動して津波襲来に備えて沖合いで待機。結果的には大きな津波の襲来はなかった。水深300m以深の海域であれば津波が襲来しても乗り切れるとのことだった。

 この8年間、日本だけでなく世界中で地震が発生している。それもマグニチュード6以上の揺れの観測が多くなっているのだ。地震だけでなく火山噴火も頻繁に報告されているのでした。環太平洋を取り巻く断層や火山帯に沿って発生しているのでした。より大きな災害が発生しないことを願うのみでした。

 防災よりも減災という言葉が目立つようになりました。今年配られた電話帳の裏表紙には減災というタイトルが大きく書かれていました。実は、まだ開封していないのでした。沖縄では、防災については手薄になっているように感じる。自衛隊反対や基地反対闘争が当たり前になっているので本格的な救援活動が必要な場合に、どこまで機能するか不明なのでした。

 民間人の自分が、こんなことを書くのも変ですが、ドクターヘリの運航でも場合によっては邪魔者扱いされ、爆音が五月蠅いとか着陸する際に「墜落する」と叫ぶ教員とか。救援物資を輸送したり、負傷者を輸送する際でも同じようなことが起きる可能性があるのでした。離島を複数存在する沖縄県では、離島への救援物資を輸送する際も反対派がシュプレヒコールを叫んだり、反対のプラカードが待ち構えるのだろう。普段から自衛隊や米軍反対を叫んでいる人々は救援物資を受け取るのだろうか。円滑な救援物資の輸送は不可能になりそうだ。

 あとは地元住民以外に観光客の保護も含めるとなると相当な規模での救援救護活動が予想されるが、対応できるのだろうか。心配になるのでした。一部の防災関係者と話す機会があったのですが、苦労しているとのことだった。

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