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2024年7月 7日 (日)

学生時代のクーラーなしの生活だった。プール監視は炎天下で50℃位を経験した

 今日も暑い一日でした。静岡では40℃を記録したとのニュースがありました。まだ沖縄は34℃なので、まさに沖縄が避暑地になっているのでした。内地では車の中の気温が42℃なんて写真が掲載されていました。

 かつて大学生の頃、市営プールの監視をしていたが、直射日光と輻射熱の影響で50℃近くまで温度計を確認したことがありました。水着一枚での監視業務だったが、Tシャツを着ていたが、1時間もしないで汗びっしょりになったことがありました。

 かつては、そんな気象状態の中で仕事をしていたが、今から考えたら、熱中症対策はどうなっているのかって言われそうですね。監視業務は45分程度が水泳時間で10分くらいの完全休憩をとっていたように記憶しています。水分補給は、しっかりと摂っていました。

 監視員の休憩所は、クーラーが効いているので、各自で交替しながら休憩していました。その点については、自分等の雇用主だった教育委員会の課長さんから、しっかりと休憩をとるようにとの指示が出ておりました。

 今のような塩タブレットはなかった。水分補給と食事をきちんと摂ること。睡眠時間の確保を実践していました。中高と水泳部だったので、直射日光の下で活動していたので、暑さには、それなりの抵抗力があったと思っています。

 下宿には、クーラーはなかった。扇風機もなかった。団扇と蚊取り線香、網戸位しかなかった。まして冷蔵庫については3年次になって広い部屋に転居した時に購入しました、。クーラーはありませんでした。大学の研究室では、教授の部屋にはクーラーがありました。

 3年生からは研究室に入って、それぞれ研究テーマを追求してました。夏場になると解剖した組織を顕微鏡で観察するための試料作りの指導を受けます、ミクロトームという大きなカミソリに似た刃を研いで組織切片を切り出すのでした。昼間は暑いので組織切片を切ることはできません。氷を当てて冷やして行っていました。

 組織をパラフィンの中に包埋して削り出すのでした。室内の温度が高いとパラフィンも柔らかくなるのでした。綺麗な切片を作り出すことができないと大変なのでした、気温が低下する夜中から朝方にかけて切片作りをしていました。

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